#072

 九月月初。

 月が変わってもまだ夏と変わらない気温の中、ガイナスは他チームより二日早い金曜平日のナイターで、J2リーグ戦の第34節を戦った。
 夏場の消耗戦も佳境を迎え、ホーム・アウェイのどちらにとっても苦しい試合展開だったが、後半20分に白田が拮抗を破ると、そのまま虎の子の1点を守りきったガイナスが貴重な勝ち点3をものにした。

 試合終了のホイッスルとともに、スタジアムが揺れるような歓声と拍手が沸き起こる。
 守備の脆さを度々指摘されてきたチームだけに、サポーターの盛り上がりもひとしおだ。サポーターだけでなく、選手やスタッフも興奮さめやらぬまま喜びに沸いている。
 ピッチレポーターからヒーローインタビューを受ける白田の受け答えも、人見知りの気がある白田にはめずらしいほど溌剌としていた。

『素晴らしいゴール、素晴らしい勝利でした! 白田選手、決勝点を振り返っていただけますか?』
『そうっすね、トラがすごくいいボールをくれたんで。体勢くずれたんですけど、気持ちで押し込みました!』
『大きな大きな、勝ち点3です。――暫定ではありますが、ガイナス、クラブ史上初めて、J2首位に立ちました!』

 スタジアムを包んだ割れんばかりの大歓声に、白田も年相応の笑顔を見せる。
 眞咲はわずかばかり硬さのある表情で、オーロラビジョンに映るその姿を眺めた。
 勝利は嬉しい。苦しい夏場を乗り切り、耐えきっての勝利にはチームの成長を感じた。なにより、観客のこの盛り上がりは素晴らしい成果だ。
 ――ただ、首位であるという事実に、素直に浮かれることはできない理由があった。

『とうとう歴史を刻みましたね! 次節に向けて、抱負をお願いします!』
『まだ先は長いんですけど。監督がいつも言ってるとおり、全員で一試合一試合、大事に戦っていきたいです。ので、えーっと……えー、皆さん、友達とか、ご近所さんとか、とにかくいっぱい連れてきてください! 応援よろしくお願いします!』

 満点を与えられる挨拶だ。
 ここにも成長の跡を見て、眞咲は苦笑を零す。
 隣に来た強化部長の広野が、面白がるようないつもの笑みを見せた。

「いやあ、シロも大人になりましたねー。棒読みじゃなかったですよ、今の」
「そうね。本人の努力の成果だわ」
「ですよねえ。じゃ、たまにはちゃんと褒めてやってください」

 眞咲は肩を竦めて応じ、コールと太鼓のリズムが響くピッチを見下ろした。
 広野も同じように顔を向け、感慨深げに目を細める。

「……正直ね、僕も、ここまで来ると思ってなかったんです」
「まだ10節ほど残ってはいるけど……まあ、そうね」
「ですよねえ。昇格要件、本気で考えなきゃいけなくなるとはなあ……」

 今度の苦笑は、さっきよりも苦みの方が強かった。
 諭すような、願うような目の色に、眞咲は細く息を吐く。

「……選手は戦って、結果を出した。それに応えたいとは思ってるわ」
「あ、よかった一刀両断じゃなくて。ほっとしました」

 おどけて胸を撫で下ろして見せ、広野は声のトーンを低くした。

「難しいのはわかってますけど、あいつらの頑張りに応えてやって欲しい気持ちはあるんです。それに、もう当分、こんなチャンスは転がって来ないかもしれない。選手のモチベーションにも関わりますし、気の早い話ですけど、来年のチーム編成にも影響が出ます。本当に難しいですね」
「そうね……」

 簡単に答えの出る問題ではない。
 この場で返事ができるものでもなく、まだ10節を残した状態では確定的な話でもない。
 ただ、考えなければならない時期に来ていることは確かだった。

 勝利の場にはそぐわない憂いを払い、眞咲は足早に会見場へ向かった。
 その背中を見送った広野も、また、複雑な感情を抱いてため息を飲み込むと、スタッフの呼びかけに応じて歩き始めた。

 

 

 

 

 そして翌日。
 米子空港では、おそろしく衆目を集める光景が繰り広げられていた。

 白人の金髪美女(外見上)が、下手をすると県内で今一番有名かもしれない、サッカー日本代表の新星(仮)の胸倉を掴んでいたのだ。

『いいこと!? あんたなんてキキにとってはただの下僕よ。パシリよ。部下よ! あたしがいなくなるからって、まかり間違っても調子に乗ってキキを襲ったりするんじゃないわよ!!』
「それ言うためにここまで送らせたのか! しねーよ! つーか、いらんこと訳すな、フージ!!」
「エー、僕、スイカバー三箱で通訳なんだヨー」
「買収されやがった……!?」
『信用できないわ! これだから若い男は……! いい、二人っきりだろうがそうじゃなかろうが、キキの半径30センチメートル以内に近づくんじゃないわよ。ましてやゴシップ利用して外堀埋めようなんて考えたら、36時間以内に飛んできて美保湾に沈めてやるわ!』
「ねえよ! なんつー妄想してんだ!」

 そもそも、暑苦しいまでに眞咲との別れを惜しんでいたジジが、空港までの交通手段にタクシーでなく白田を捕まえたことを不審に思うべきだった。
 フージの通訳という差し水を挟みながらも二人は喧々囂々と言い合い、ついには息を切らせて睨み合った。

『……あんたが、キキの仕事のキーマンだってのは認めるわ』
「へっ? あ、ああ、どうも……」
『短い間だったけど、ガイナスの人間は誰も彼もお人好しばっかりで、キキが手を離せないのも、まあ、分からないでもないわ。腹は立つけど、嫌いじゃない。あなた達が生き延びることを、少しくらいは願ってあげる。……幸運を』

 言うが早いか、ジジはスーツケースとともに見事なターンできびすを返した。
 予想外の賛辞に、白田は笑って片手を上げた。
 ふと、思い出したようにジジが振り返る。

『そうだわ、ステイツ産のロリコンインテリマッチョが来たら速攻で追い返しなさい。金に目ぇ眩ませんじゃないわよ!』

 それまで同時通訳をしていたフージが、最後の発言は訳さなかった。
 何を言ったんだと訊ねた白田に、わざとらしく腕を組んで頭を振る。

「……シャチョーの知り合いってー、キバツなヒトばっかだネー」
「……キバツって何だよ?」
「シロとかジジみたいなー、ヘンなヒト!」
「ちょっと待て、俺は普通だろ!?」
「どーだろーネー」

 フージが頭の後ろで手を組み、いかにもごまかしですと言わんばかりにそっぽを向いて口笛を吹き始める。
 巧いのがまた腹立たしい。
 先輩として制裁を加えるべくフージの後ろ頭を鷲掴みにしていると、背後から声を掛けてきた人物がいた。

「白田君じゃないか。奇遇だね」

 黒縁眼鏡の、どこか見覚えのある男性だった。
 見覚えはあるのだが、誰だったかは思い出せない。考え込んでフリーズした白田の脇を、フージがつつく。

「エージェントでショー? この前、クラブハウスきてタヨー」
「えーっと……あー……ああ! 思い出した、代理人の」
「そうそう、その代理人の田村だよ。悲しいなあ、結構頑張って会いに来てるつもりなんだけど」
「……スイマセン」

 白田は決まり悪げに首の後ろを掻いた。
 そうは言っても覚えていないものは覚えていない。今年は特に、マスコミや他チームの選手・スタッフやリーグ関係者と、白田の記憶力では追いつかないような人数とはじめましてをしているわけだから、顔と属性が一致しない相手も山ほどいた。
 実のところ、代理人契約を持ちかけて来たのは彼だけではないのだ。
 白田を有望な取引相手だとみなした彼らは、基本的な手法なのか、鳥取まで入れ替わり立ち替わり顔を出している。
 白田の場合、契約に気乗りがしないというよりは、契約条件や移籍について無頓着なのだ。眞咲が全部やってくれるなら別にそれでいいかとよく考えずに決めてしまっているが、それを口に出すのはあまりよくないだろうと、いくら白田でも理解している。
 対応に困り切っている白田に、田村はいかにもやり手めいた笑顔で言った。

「さっき着いたところなんだ。よかったら、これから一緒に食事でもどうだい? ご馳走するよ」
「オゴリ!?」
「もちろん君も。ガイナスのフージ選手だよね、注目してるよ」
「アリガトーゴザイマース!」

 尻尾があったらはち切れんばかりに振っていただろう。喜んだ原因は、褒められたことよりも主にタダメシの方だったが。
 お前だけ行って来いなんて発言は、いくらなんでもできないだろう。田村の目的は、明らかに白田なのだ。
 断れない流れに、白田は無言で後ろ頭を掻いた。