#067

 予定通り北京のホテルにチェックインした五輪サッカー日本代表の騒々しい面々は、宴会部長(自称)の部屋で各々持ち寄ったご当地の菓子折展覧会を開催していた。
 某小鳥の形をした饅頭を持参した東京のクラブの選手が、生粋の博多っ子に「よりによってそれ持ってくんじゃねえ!」などと噛みつかれる場面もあったが、本日のメインディッシュはそれではない。
 まだ試合も始まっていないのに憔悴しているエースストライカー、白田直幸その人だ。

 なにしろ鳥取で何が起きているのか、おもしろおかしく話を盛ってリアルタイムで拡散した人間が隣県(電車で約20分の距離)にいるのである。事情はほとんど筒抜けだ。
 年代別代表とはいえ、U-23にもなるとメンバーはほとんどがJ1や海外クラブの所属だ。J2から選出された白田や府録は例外的で、おまけに白田は飛び級のため最年少だということもあり、周囲のいいおもちゃになっているのが現状だった。
 誰も彼も、その目に同情などありはしない。むしろ有り余る好奇心で白田の様子を窺っていた。
 とはいえ集合時点からヨロヨロのボロボロだった相手に突っ込んでいくのも気が引ける。
 そんな中で、一人の勇者が何の気負いもなく白田に声を掛けた。

「なあシロ、お前が持ってきた焼き蟹煎餅うまかった。結婚祝いに一箱献上して」
「あ? あー……ああ、うん、それうまいよな……。そういや俺、お前が結婚したとか聞いてねーんだけど……」
「そうだっけ? まあいいじゃん」

 のっそりと起きあがった白田から水彩画テイストの蟹が描かれた箱を受け取り、中西は無駄に爽やかな笑顔で言った。

「ところでシロ、なんでそんな疲れてんの。むしろ疲れてんなら部屋戻って寝たら? それとも話聞いて欲しくてうだうだしてるんだったら、さっさと話して寝ればいいと思うよ?」
「うわちょっとニシ君!」
「ずばっと言った!」
「ひでえ、もう少し容赦ってやつを与えてやれよ……!」

 ゴンと音を立ててテーブルに額を打ち付けた白田は、それでもよろよろと顔を上げた。

「……今日さあ……俺、鳥取から飛行機で成田行ったんだよ」
「うん」
「それで……なんつったっけ、あれ、ピコーンって鳴るやつ。あれがすっげぇ鳴って。時計外しても上着脱いでもベルト外しても、なんかもうずーっと鳴り続けて。飛行機行きそうになってマジで泣くかと……」
「へえ、災難じゃん。原因何だった?」
「……靴に、なんか、いつのまにか金属仕込まれてた……」

 わくわくと聞いていた室内の空気が、一瞬、時が止まったように固まった。
 なるほどねえと淡泊な相槌を打った中西を押しのけ、冷静が売りのGKゴールキーパーがまくし立てた。

「はあ!? なんだそれ、仕込まれたって!」
「対戦国の陰謀とか?」
「あ、すげえ。そう言うとなんか面白そうだ!」
「面白くねぇよ! 下手したら最初の試合出れなくなってたんだぞ!?」

 真面目でまとめ役のキャプテンが、責任感いっぱいに声を荒げる。
 だがしかし、他の面子は笑うばかりだ。お調子者揃いで何も考えていないといえばそれも間違いではないが、これがそんな大層な原因など持っていないことを、十分に察していたからだ。
 一人だけ輪から外れて菓子を貪っていた府録が、鼻で笑って水を差した。

「はっ、そんな大げさなモンかよ。どうせ例のリカちゃん人形の仕業だろ」
「ああ、あの女装ライバルな。やっぱそうだよなー」
「うっわ濃い……! その言い方だとすっげー濃い!」
「そういや府録、リプし忘れてたけどさ、むしろアメリカ人ならバービーじゃねえの?」
「ちょお待ち、リカちゃんって日本人なんか!?」
「おー、確か名字が漢字だったはず」
「マジか! うわ、知らんかったわ……!」
「つーかなんでお前ら、着せ替え人形の名前とか知ってるんだよ……俺とか意味分かんなくてわざわざググったわ」
「なんでって妹が」
「姉ちゃんが」
「あーはいはい、話逸れてるからね。で? なんでそんなことになったんだよ、シロ」

 軌道修正を試みた中西に、白田は今度は言いたくないと言わんばかりに顔を背けた。
 とはいえ、それで黙秘を許すような寛容さは誰も持ち合わせていない。
 中西は少し考えるような仕草を見せ、おもむろに人差し指を立てた。

「ああ、なるほど。ものすごく奇跡的な何某かの現象が起きて、社長さんからOK貰えたとか? それじゃ逆恨み買っても仕方ないよな」
「は!? ちょ、違っ……」
「おー、白田もついに結婚かー」
「いやいや早すぎねえ? 相手まだ高校生だろ」
「うっわ女子高生! 何かスゲー犯罪臭!」
「歳は二つしか離れてないのになー」
「だから違うっつの! お前ら分かって言ってんだろ!」

 じゃあ何だ、と言われてしぶしぶ口を開く羽目になるのは、もはや自明の理だった。






 話は一週間ほど前に遡る。

 府録の即席極まりない計略にまんまと嵌って、自らが所属するクラブの社長に告白まがいの言葉を吐いてしまうという自爆をかました白田は、最初こそ悩みに悩んだ。一体どんな顔をしてどんな対応をすればいいのだろうかと。
 きっかけは酔った勢いでも、眞咲に告げた言葉はすべて本当のことだ。自分自身の気持ちも、それはもう頭を抱えてのたうち回りたいくらい気恥ずかしいのは置いておいて、とりあえず納得はした。あとはもうすっぱり振られて話は終わりだと、いっそ自棄に近い開き直り方をしていたのだが――現実は残念なことに、もっと容赦がなかった。

 まず、事の翌日は、眞咲が事務局に来なかった。

「へ? 社長、今日来ないんスか」
「そうなんだよ。ほら、一応学生さんだしねぇ」

 なんでも期末考査が目前だとかで、単位不足に目を瞑って貰うためにもテストで高得点を叩き出さなければならないらしい。
 社長業の傍らでそんな芸当ができる辺り、頭のできが違いすぎてドン引きする。
 肩すかしをくらった気分でその日は引き上げた。

 さらにその翌日は昼過ぎに出勤してきたが、練習を終えた白田が事務局に顔を覗かせたときには、広報部や営業部と入れ替わり立ち替わり会議室に籠もっていた。
 五輪でサッカー日本代表が勝ち進めば、白田を擁するガイナスの広告媒体価値が上がる。そこを逃さずスポンサー契約に結びつけるために、今から入念な準備をしているらしい。

「……あのさー白田君にフージ君、そんなとこで座り込んでたら不審者丸出しなんだけど。何? スパイごっこ?」
「へっ!? いや、別になにも……っていつの間にいたんだよフージ!」
「河本サン、シー! ナイショ!」
「何やってんのよ、本当に。今すっごく忙しいんだから邪魔しないの」

 広報の女性にあきれ顔で追い払われ、結局、いつだったかやったように事務局の隅っこでノートパソコンを借りて、試合のスカウティングビデオを見ながら時間を潰すことになった。
 途中でふと、これって待ち伏せに近いんじゃないかと気付いてしまったが、気付かなかったことにした。とりあえず、迷惑をかけたことは早いうちに謝っておきたい。それ以外の云々はその後だ。
 ようやく会議を終えた眞咲をようやく捕まえた時には、もう九時に近かった。

「社長! 悪い、一昨日のことで話が……」
「ああ、あの件? 災難だったわね。種村さんにちゃんとお礼を言っておいたほうがいいわよ」

 含みの全く見えない笑顔に、白田は透明な壁にぶち当たった気分で硬直した。

「いや、それもだけど……なんつーか、その、ちょっと話が……」
「今はとてもじゃないけど時間が取れないわ。マスコミ関係なら広報と、チームのことならコーチと、個人的なことなら内容に応じてキャプテンか広野さんあたりに相談して貰えるかしら。お願いできますよね、広野さん」
「そりゃまあ、僕でよければ聞きますけど。何だいシロ、移籍でもしたくなった?」

 広野が不思議そうに首を傾げた。
 じゃあよろしくと社長室の扉を閉めてしまった眞咲は、鉄壁の笑顔だった。
 とりつく島もないとはこのことで、もしかして一昨日のあれは夢だったんじゃないかと白田は再び一晩悩むことになった。
 そんなはずはないと己を奮い立たせたときには、半ば意地になっていた。

 三日目にはジジと鉢合わせした。
 実に三日ぶりの遭遇だったが、話を聞くに部外者のくせしてスポンサーになるだのならないだので入り浸っているらしい。
 その彼女――もとい彼は、白田を見るなり目を吊り上げて、妙に甲高い声で叫んだ。もちろんのこと英語で。

『ちょっとあんた、キキに一体何言ったのよ!?』
「何怒ってんのかぜんぜんわかんねーよ!」
『あの! 意固地ったらないキキが! なんかものすっごく気持ち悪いくらい仕事セーブしてるのよ! あんたが何か言ったからでしょ!? ……はっ! まさかあんた、何か不埒な真似でもしたんじゃ……! いっくら貧乏クラブで替えがきかないからってスター気取り!? いやあああ許せないいいいい!』
「だから何言ってんのかわかんねーって! 首締めんな! ……あ、社長、いいとこに……って何だその笑顔。……オイ、スルーかよ!? 放置してくかこの状況!?」
『あんたホント何やったのよ――!!』

 四日目は試合でそれどころではなかった。
 試合後に姿を探したが見当たらないことで、完全に避けられていることを認識した。

 そんなわけで、五日目にはとうとう放り投げた。主に我慢とか自重とか外聞とかその辺を。

 とにかく眞咲を捕まえて一言言ってやらねばおちおち北京に出立することもできない。
 明らかな錯覚で事実誤認だが白田は気付かない。フージを菓子で買収し、ジジの足止めを任せて眞咲を捕捉すると、目が合うなりくるりときびすを返した眞咲とクラブハウス内を競歩ぎみの速度で追いかけっこする羽目になった。
 運動神経と体力の問題だけではなく、避けていませんという体裁を取り繕おうとしている眞咲の方が分が悪い。
 ようやく捕まえたのは、物干しスペースになっているクラブハウスの屋上だった。
 細っこい手を掴むと、眞咲が観念したようなため息をとともに振り返った。
 その顔はいかにも平然としていて、何を言われようとバドミントンのスマッシュ並に打ち落としてやると言わんばかりだった。

「何か用? 言いたいことがあるなら手短にお願い」
「なんで逃げるんだよ」
「逃げてはいないわ。避けてはいるけど」
「じゃあ、なんで避けるんだよ」
「……そうね。時間と距離を置けば頭も冷えて、少しは現実的な妥協点を見つけてくれると期待していたからかしら」
「何だそれ」

 無駄にややこしい言い回しをされても、すっかり頭に血が上っていた白田には理解できない。
 理解できないまま、ぐしゃぐしゃと髪をかき回した。

「もういい、よくわかった」
「……そう。理解してくれたなら……」

 苦みを帯びた眞咲の安堵は、びしりと突きつけられた指先に脆くも崩れ去った。

「そうやってなあなあですませようったってなあ、そうはいくか! いいか社長! 絶対メダル取って帰ってもう一回言うからな! 今度はせめてキッチリ振れよ!!」






 ここまで聞いて、中西の腹筋が崩壊した。
 ソファの背にしがみつくようにして突っ伏し、バシバシと叩きながら笑い声を弾けさせる。

「あはははは! ははっ、は、ちょ、ちょっと無理、もう無理、腹筋死ぬ。お前ほんっと色々残念っぷりが半端ないよ、シロ!」
「おい見ろ、ニシ君がかつてないほど爆笑してる……!」
「何この貴重映像。とりあえず撮っとくか。どっかに売れんだろ」
「シロ、恐ろしい子……!」

 笑い続ける中西に、白田はふてくされて押し黙る。
 爆笑するさまでさえ爽やか極まりない日本サッカー界の貴公子(本人未承認)は、よやく笑いの発作を収めると、目尻を拭って白田の肩を叩いた。
 浮かべた微笑には慈愛さえ漂い、ゆっくりと話しかける声は諭すような穏やかさだった。

「……なあシロ。いくら俺のためだって、そんなに体を張って笑いを取ろうとしなくてもいいんだよ?」
「取ろうとしてねーよチクショー!!」

 さすがに叫んで、白田はその手を払い落とした。