「バンちゃん遅いぞー。お茶さめちゃうよう」
「ほっとけ。どうせどうでもいいこと葛藤してたんだろ」
「あはは、れーちゃん冷たい!」
いつのまにか丁寧語もなくなっている。
この二人が並んだテーブルがなんだか異様な光景に思えて、十は思わず後ずさった。
猛獣と宇宙人が会談していたならこんな感じだろうか。平々凡々の一般人を自負する十には、壁が高いどころか深くて果てないお堀が見える。
「んーおいしー。六月はやっぱり、みな月だよねぇ」
「食うときは黙って食いな」
「はぁい」
無愛想な零の一刀両断にもめげる気配はない。
尊敬を通り越して畏怖を覚えながら、十は引け腰にテーブルへついた。
「はいどうぞー」
「あ、ありがと……」
藤がにこにこと差し出した湯のみを困惑しながら受け取り、十ははたと声を上げた。
「って、ちょっと待って……なんでお客さんがお茶まで淹れてるの!?」
「淹れたいやつが淹れればいいだろ」
「そーそー。いいじゃないですか。はいアナタ」
「ごめん、もうどこから言っていけば……っ!」
十のうめきは当然ながら相手にされない。
藤が選んだ和菓子はういろうにあんこを乗せたようなお菓子で、さっぱりした甘さがお茶とよく合った。
だがしかし、味がわかったのは一口目まで。
にこにこ上機嫌な藤が早々に茶菓子を食べ終え、ぽんぽん振ってくる話題に、相変わらず笑顔のひとつもない姉はつっけんどんな言葉を返し続ける。
きりきりと痛む胃に泣きそうになっていると、きれいな手つきで湯飲みを持った藤が、思い出したように訊ねた。
「ところでバンちゃん、すっかり忘れてるみたいだけど。ご用事なあに?」
「えっ? あ、そ……そう! あの、姉さん……」
十は姉にすがりつくような目を向けた。
ちらりと顔をしかめた零が、藤の顔を眺めて面倒くさそうな声を出す。
「……大したもんじゃない。放っておけ」
目を丸くして、藤はことんと首を傾げた。
「あれ、やっぱ呪われてるんだ?」
「え!? 藤、心当たりが……」
「んー、バンちゃんが挙動不審だったから、そうかなーと」
「わかりやすくてすみません!」
頭を抱えてテーブルに突っ伏すと、頭頂部に茶筒が飛んできた。
行儀が悪いと言いたいらしい。容赦ない仕打ちを見せた姉は、話は終わりだとばかり湯飲みを手に取っている。
倣うように湯飲みに手を伸ばした藤が、ふと思い出したようにポケットを探った。
「そだ。もしかしたら、それってこれかも?」
「へ?」
取り出されたショッキングピンクの物体を見て、十はぎょっと身を引いた。
人差し指ほどの大きさだが、その形状はどこからどう見ても藁人形だった。ストラップなのか、頭頂部から輪っかが出ているのが、派手な色合いとあいまって、いやにシュールだ。
「な、そ、なんでそんなものっ」
「ほら、あたしバンちゃんに振られたじゃん」
「あれを振ったというのは議論の余地があると……!」
「で、マリが呪っちゃえーって、くれた」
「本人目の前! っていうかオブラートに! お願いだからオブラートに包んでください!」
「うるさい愚弟。黙れ」
一刀両断に斬り捨て、零は頬杖をついてゆらゆら揺れる藁人形を見た。
ふん、と小さく息を吐き、視線を外す。
「放っておけ」
「え……でも、姉さん」
めずらしく食い下がる弟に苦い顔を見せ、彼女はこめかみを揉むように押さえた。
「呪いは縁を怨で『つなぐもの』だ。切れば切っただけの歪みを生む。その程度なら大した悪さはしねぇよ。下手につつくな」
反論を許さない低い声で言い、姉はそれきり話を断ち切った。
湯飲みのお茶を飲み干して、億劫そうに腰を上げる。
「雨が降り出した。早いところ帰りな」
地下にいたにもかかわらず姉の言葉は正確で、宵の空からはしとしとと細かな雨が振り落ちていた。
傘を貸そうとした十に、藤はにんまりと笑みを見せる。
「あるんだなー、雨具。相合傘も捨てがたいけど!」
「いや、濡れるしそれはちょっと……」
「ありゃ、そこ? まあいいや」
ごそごそと鞄を探った藤が広げたのは、色鮮やかな赤い防水布だ。
十はきょとんと目を瞬く。
「カッパ?」
「ちっがーう。ポンチョ!」
頬を膨らませて抗議されても、何がどう違うのかわからない。
ともあれ子供の落書きのような大振りの花が描かれた雨具を着込んだ藤は、どう見てもてるてる坊主で、素直に言ってしまえばなんだか幼稚園児のようだった。
妙に似合っているのが不思議だ。
くるりと綺麗に一回転して見せた藤に、十は苦笑する。
「ど? かわいい?」
「うん、かわいい」
「……うーん。ちょーっとニュアンスが違う気がするなぁ」
顎に手を当ててうなる藤に頭をかいて、十は傘を広げた。
駅まで送る道すがら、弾むような足取りで歩く藤は、悪天候など気にした様子もなくぽんぽんと言葉を投げてくる。
それに答える合間、なんだかどんよりしてため息ばかり吐いている十に、やがて藤が困ったような顔で足を止めた。
「なんでバンちゃんがおちこむかなー」
「……だって、ごめん、なんかむりやり連れて来ておいて、全然何の解決にも……」
「いいよー気にしないで。たのしかったし」
「……姉さん、ほんと、ああだから……」
ひたすら沈み込む十に、藤はぽりぽりと頬を掻き、くるりとターンして彼の前に出た。
赤いポンチョの裾がきれいに翻って弧を描く。びくっと立ち止まった十に、彼女は顔をのぞき込むようにして、にっこりと笑って見せた。
「心配ご無用。れーちゃんのお墨付きでしょ? だいじょうぶ。なんたってあたしだもん」
かげりのない笑顔に気圧されて、十はとまどいがちにうなずいた。
確かに、藤は強い。迷わずにひょうひょうと歩くその姿はいつも背筋が伸びていて、いつも人に囲まれながらも、きっと一人でも問題なく変わらないような気がする。
十でなくても、本当に困ったときには、いくらでも力になる人間はいるだろう。
そして、他人の助力がなかったとしても、彼女は悲観することなく自力でなんとかしてしまうに違いない。
それでも、どうしても落胆してしまうのは、自分が力になれる部分だと思っていたからだ。
――結局は姉だのみの上に何の役にも立っていないのだが。なんだかますます落ち込んでくる。おまけにその姉だのみすら、藤から声をかけてもらってようやく実現できたのだ。
「……藤は、さ」
「ん?」
「あの、みんなに好かれてるから……なんか、ちょっと……その、こういうの、慣れてないんじゃないかと思ってたんだけど……」
十の言葉に、藤はけらけらと笑った。
「やだなー、バンちゃん。みんなに好かれるなんて無理だよ」
「え」
「あたしなりに気を使ってるつもりでいたって、無神経だって言われることもあるし。軽そうでむかつくとか、にこにこしてたら八方美人だって怒られたりとか、ふつーにあるよ?」
あまりに当然のように言うので、どうしたらいいのかわからなくなった。
自分の言葉の無神経さを、それこそ突きつけられた気がしたからだ。
すっかり立ち止まってしまった十の顔を藤がのぞき込み、不思議そうに首を傾げた。
「困ったなあ。そんなに意外?」
「……あの、ごめん」
「もー。バンちゃんが落ち込んでどうすんの」
その通り過ぎて、返す言葉もない。余計に落ち込んでしまう十に、藤は苦笑に近い笑みを見せた。
トン、とローファーでステップを踏み、彼女は歌うように言った。
「あたしね、あたしが好きな人のことは、きらわないでおこうって思うんだ」
「え……」
「あっちがどんなにあたしのこときらっても、あたしが一方的にだって好き好き言いつづけたら、いつか両思いになるかもしれないじゃん。だから誰にだって笑ってたいし、誰のことも悪口なんて言いたくないし、根性据えて八方美人やってようって思ってるの。しつこいよー。あの世までだって持ち越す気、満々だからね!」
けろりとした屈託のない笑みは、雨の中だというのに、この上なく明るいものに見えた。
この上なく陽性で、前向きで、強い。
眩しすぎて近づけないほどだと、万里のようなタイプは思ってしまうほどに。
弾むように足を止めた藤は、笑顔をいたずらめいたものにかえて、万里の顔をのぞき込んだ。
「だからバンちゃん、覚悟しないとだよ?」
「あ、えっ。な、何を……?」
「あたし、諦めの悪さはピカイチだから。あたしのこと好きになる覚悟、ちゃーんとしてないと!」
「そっ……ええ!?」
藤はいつもどおりに笑い、軽く伸びをして、十の数歩前を踊るようにトントンと歩いていった。
軽やかなその声がどこか遠く思えたのは、ゆらゆらと蠢く黒い靄のせいだったのか、それとも他の何かだったのか――十には結局、理解することはかなわなかった。