「藤? ああ、C組の王様か」
「王様?」

 昨日の告白騒ぎがクラス内で蒸し返される中、委員長が言った。
 予想外な単語に十が聞き返すと、もっともらしいうなずきが返る。

「そう、王様。といっても、別に君臨してるとか支配してるとか、そういうわけじゃないんだが……人気者というか、妙なカリスマがある奴だろう。すっかりクラスをまとめているらしい」
「そうなんだ……すごいね」

 人気者というのはいつも人に囲まれていることで知っていたつもりだったが、まさか王様の域まで達しているとは思わなかった。
 ますます自分とは違う世界の人間だ。
 思わず深々と息を吐いてしまった十を横目に、眼鏡の少年が後ろ頭を掻いた。

「姫でもアイドルでも女王様でもなくて、王様ねぇ。なんか想像つかねぇけど」
「でもさ、藤って中学でもそんな感じだったぜ。俺、同中だったけど、あいつ知らねーヤツいなかったくらい」
「へー」
「そうらしいな。夏休みまでに学年は制覇するんじゃないか? 着々と勢力圏を広げてるようだ」
「いや委員長、どこの三国志よ」
「敵対勢力どこだよ。生徒会とか?」
「お、いいなそれ。あと一人キャスト……いっそ立候補してみるか万里」
「何に!?」
「ヘタレ帝国つくれ、ヘタレ帝国。もち皇帝お前で」
「うっわ弱そう。ソッコー滅ぼされるぜそれ」
「いやいや、ヘタレは世界を救うかも?」
「…………」
「……おーい万里ー、このくらいでいちいち泣いてんなよ。干からびるぞ」
「泣いてない……ッ!」

 机に突っ伏して十はうめく。
 入学当初、放たれた「へたれ」という言葉の意味を知らないとうっかりこぼした十に、彼らは懇切丁寧にその意味を解説してくれたのだ。おかげで面白がりつつ罵倒されているのがしっかり分かってしまう。いっそ知らなければとも思うが、それはそれで涙を誘う光景だ。

「しっかし、あの藤がねー。……万里、お前さ、しばらく夜道に気をつけたほうがいいぜ」
「え?」

 同じ中学だったという少年の発言に、十はぎょっとして顔を向けた。
 ぽりぽりと首筋を掻きながら、彼は考えるように視線を上げる。

「藤はそんなことないんだけどさ。なんせアイツ、人気者だから。まさか振られるとか誰も思ってねぇし」
「あー、シンパによる闇討ち!」
「すげぇな万里! 頑張って生き延びろ!」
「ちょっ、シャレになってない……!」

 十が真っ青になって頭を抱えたとき、面白がるような声が降ってきた。

「お、噂をすれば藤だ」
「一緒にいんの、あれ誰?」
「弓道部の部長じゃん」
「えっ、あんなチャラいのに弓道部!?」

 窓から中庭を見下ろしてみれば、そこには確かに藤がいた。
 いつも一人でいることはないのに、集団の中でも真っ先に目がいってしまうのが不思議だ。華があるというのか、それこそ中心が彼女だからなのかもしれない。
 ふと、藤がこちらに気づいた。ぎくっと硬直する十にかまわず、藤はまっさらな笑顔で手を振ってくる。

「おーい、万里。呼んでんぞー」
「うぇっ……ぼ、僕!?」
「じゃなきゃ誰よ。他にいねーだろ」
「ほら振り返せって。別に減るもんでもないんだし」

 無責任に促されるが、衆目を浴びてそんなことをできる度胸があれば苦労していない。
 あわあわとうろたえているうちに、藤が誰かに呼ばれて視線を外す。ほっとするやら申し訳ないやらで息を吐き、十はよろよろと窓枠に突っ伏した。

「ちょっと見ました奥さん? この子、女の子を無視りやがりましてよ」
「ねえ! まったく最近の子ときたら!」
「……ごめん、僕が悪いのは分かってるけどやめて……」

 藤に駆け寄った女の子二人組が、弓道部の部長だという茶髪の少年を巻き込んでなにやら楽しげに話している。
 すごいなあ、と十は内心にこぼした。どれだけ友達が多いのだろう。よくあれで顔と名前を一致させられるものだ。十などいまだにクラスメイトの名前も覚え切れていない。――中学までは名前を呼ぶような友達などいなかったから、嬉しい悩みではあるのだが。
 窓枠に両腕を置いたまま、ぼんやり藤を眺めていた十は、ふと、錯覚を起こしたような気がして目をこすった。
 藤の輪郭が、わずかに黒くぼやけたような気がしたのだ。

(……そういえば、まそほちゃんがなんか言ってたけど……まさか、本当に悪いものに憑かれてる?)

 だとしても、返された呪を見事に浄化してみせたまそほのことだ。藤にそうしなかったということは、なにか引っかかる、程度のことだったのかもしれない。
 本当に危なければ引き留めていたはずだ。
 というか、そもそも藤なら何が起きてもなんとかなりそうな気がする。
 気をつけて、と言い残して去ってしまったまそほは、いったい十に何を期待しているのか。
 考え込んでいるところに、クラスメイトの裏声が響いた。

「キャー、万里くんが藤さんに熱い視線を送ってるワー!」
「へ!?」
「なになに、いまさら惚れちゃった?」
「え、ちがっ」
「いやいやお前も男だったか。かっわいーもんなあ藤!」
「告白されて始まる恋……ってオイオイ振っちゃったあとだよ!」
「手遅れ感がなんかすっげぇ万里っぽいな」
「違うってば! なんで勝手に盛り上がってんの!?」
「なんでって面白いから」
「ああ、すっげぇ面白いな」

 真顔で断言されて、十は泣きそうになりながら再度突っ伏す。
 そのままずるずると床にくずおれた十を、眼鏡の委員長が見やり、顎に手をあてて首を捻った。

「一つ聞きたいんだが……万里、藤のことは、別に嫌いじゃないんだよな?」
「へっ?」

 十は思わず顔を上げたが、委員長はまじめくさって、からかう様子はない。
 しどろもどろになりながら、うなずいた。

「ええと……その、嫌いになるほうが、難しいんじゃないかな……」
「そうか。ならいいんだ。……お前はどうも、嫌なことを嫌だと言えそうにないからな。気の回し過ぎなら、それに越したことはない」
「あー、たしかになー」
「っていうか万里、お前、嫌いなものってあんの」
「あ、自分の嫌いなとこってのはナシ……、おい、万里?」

 沈黙した十が無表情になっていることに気づき、友人が眉をひそめた。
 元々顔立ちが整っているだけに、表情が抜け落ちてみると、どこかぞっとするような冷たさがある。

「――神様」

 ぽつり、とつぶやくように落ちた声が、やけに冷え冷えと響いた。
 休憩時間の賑やかさには場違いで、子供じみた言葉にしては切実な現実味を含んでいる。
 友人たちは困惑して顔を見合わせていたが、やがて一人がしゃがみ込むと、万里の肩を力強く叩いた。

「気持ちはわかるぞ、万里。俺だってカップルがいちゃこらしてたら爆発しろって思うし。なんで俺には彼女ができないんだって神を呪うことだってある!」

 十は目をしばたたかせ、力説する友人を見た。

「え、あ、うん?」
「だがな万里! 運命を呪っても何一つ事態は好転しない! つまり今俺たちがやるべきは! 運命にあらがうための努力だ! 具体的には合コンだ!」

 拳を握っての宣言に、周囲が先ほどとは違う意味で静まり返った。

「……へ?」

 ぽかんとした十が、口を開けたまま固まる。

「いや全然わかんねえよ何でそうなるよ」
「つーか岡本、それお前の願望じゃねぇか」
「学校一の美少女を振った男が合コンか……。うん、呪われろ!」
「闇討ち待ったなしだな! がんばれよ万里!」
「待って、ゴメン、しないけど! そんな危険なことなら逃げるけど! そもそも合コンって何……!?」

 この上ないタイミングで予鈴のチャイムが鳴り響き、十の疑問は、放課後に持ち越されることになった。