(つ……疲れた……)

 主に精神的な疲労でぐったりしながら、十はふらふらと帰り道を歩いていた。
 あの後もみんなして、もったいないだの贅沢者だの言いたい放題だったが、あれは半分以上おもしろがっているに違いない。
 ただし、もう半分はちゃんとやっかみなのだろう。
 笑うと花が咲くような――という言葉がしっくりくるくらい、彼女は魅力的な女の子だった。姉の零とタイプは違うが、並んでも遜色ないほどの美少女だ。

(かわいいのは確かだけど……無理、付き合うとか絶対無理)

 まぶしすぎてお近づきにはなりたくない。そもそもが、さあハイと言いなさいとばかりの「付き合って?」は、少なくとも告白とは言わない気がする。
 よろよろとため息を吐いたとき、肌をちりっと刺すような違和感に気づいた。
 覚えのある感覚に、十はきょろきょろと辺りを見回す。
 駅前の植え込みのレンガに腰を下ろして、変わった色の髪をした女の子が、ちまちまと水を飲んでいた。

「あ」

 思わず声を上げると、まそほがこちらに気づいた。
 二ヶ月前と同じ桜色のワンピースドレス。一分も変わらないその姿に、なぜだかほっとして胸をなで下ろした。

「えっと、あの……なんて言えばいいんだろ、あ、元気だった?」
「うん」
「そ、そっか。よかった」

 言った後でおかしな挨拶だと思ったのだが、まそほはこっくりとうなずいた。
 何となく隣に座って、通り過ぎていく人を眺める。東京の人は歩くのが早いと聞いていたけれど、ここまで外れになると、そうでもない。一回クラスメイトに連れられて原宿に行ったときには、めまぐるしすぎて本気で人酔いしたのだが。
 そのままぼんやりしていると、まそほが首を傾げた。

「とお、どうかしたの」
「え? あっ、ごめん! 特に用事があるってわけじゃなかったんだけど……!」
「うん」

 短い相槌に、不思議とうながされているような気になった。
 うっかり相談を持ちかけそうになって、十はしどろもどろになりながら話題を変える。

「え、えっと、このあいだはありがとう」
「うん」
「そうだ、姉さんが言ってたんだけど、何かさがしものして――うわあ!?」

 唐突に、植え込みの後ろから細い手が伸びてきた。
 まそほの小さな体を背中から抱きしめて、犯人は弾むような笑い声を立てる。

「万里君の本命はっけーん」
「ふ、ふじさんっ!? 何やってるの!」
「藤でいいよー。さんつけちゃうと富士山ふじさんみたいだし」
「じゃなくて! 何やってるの、まそほちゃんびっくりして固まってるよ!」

 大きな音をたてたときの猫のように、目をまん丸にしたまそほは、まばたきを忘れているようだった。
 そんな女の子を抱え込んだまま、藤はにこにこと笑顔を見せた。

「あはは、たまたま見かけたんだー。まそほちゃんていうの? ちょうかわいいね!」
「かわいいからって、犬猫じゃないんだから……!」
「えー。そほちゃん、やだ?」

 勝手にあだ名をつけて、藤はまそほの顔をのぞき込む。
 まそほはまだびっくりした顔をしていたが、その顔のまま、ふるふると首を横に振った。

「わぁい。そほちゃんの許可おりました!」
「……ごめん、なんかもうなんて反応したらいいですか」
「あはは。あのねそほちゃん、あたしは藤っていうんだー、そほちゃんとはライバルかもね!」
「え、ホントになんて突っ込んだらいいの!?」

 よいしょとばかり植え込みを乗り越えて、藤が当たり前のようにまそほの隣に座る。
 予想しなかった事態に頭を抱える十などさっぱり気にした様子もなく、彼女はものすごく上機嫌だ。

「ふじ?」
「うん。藤でも藤ちゃんでもおねえちゃんでも、そほちゃんのすきに呼んでいいよ?」

 こっくりとうなずいたまそほが、考え込むようにして小首を傾げる。
 そこでようやく、十は違和感に気づいた。

「あれ……そういえば、藤さ」
「はいストップー」
「……えっと、藤」
「あはは。なんでしょう万里君」
「あの、ひとりなんだ?」

 よく見かける藤は、いつでも誰かと一緒にいた。面子はいつも違っていて、その中心にいるのはいつも笑顔の彼女で。
 楽しそうだなと思っていたので、彼女が一人でここにいるのは、すごくめずらしい気がしたのだ。
 目を丸くした藤が、なんだかくすぐったげに首をすくめた。

「だってとーちゃん、女の子ニガテでしょ。集団できたらこまんない?」
「ごめんなさいその呼び方はやめてください。泣くから。切なくて泣くから」
「ふふん、両手両膝ついてひれ伏すなら聞いてあげなくもないかなー」
「…………」
「あ、マジ葛藤してる? 冗談だよ、泣かない泣かない」
「いや、泣いてないし!」
「んー、じゃあ何がいいかなぁ。とーくん、バンバン……うーん。いまいちピンとこないかも」
「普通に万里でいいんじゃないかと!」
「あれ、あだ名きらい?」
「憧れてたけど、ってああしまった!」

 とっさに本音で返してしまって頭を抱える。
 藤がお腹を抱えて笑い出したとき、はしゃいだ声が割り込んできた。

「あー藤だー! なになに、なにしてんの?」
「なんだよ、イケメンと美少女つれてー」
「ちょっとヤバイ、マジ久しぶりじゃん! ねえねえどっか行こーよ!」

 他校の生徒だ。明るい色に染めた髪と着くずした制服とアクセサリー。派手な印象の彼らに次々とまくしたてられて、十は引け腰に藤から距離を取る。
 藤は足をぶらぶらさせて、にかっと笑った。

「んー、ハーレム勧誘中?」
「ぎゃはは! なにやってんの藤」
「ヒドイわ藤! 俺とのことは遊びだったのね!?」
「ちょっとやだー、マジキモイんだけどー」

 しなをつくって嘆いてみせる少年に、少女がけらけらと笑い声をたてた。
 話に入っていくことができず、十は抱えられたままのまそほに目を向ける。残念ながら相手はこちらを見ていなかったが、一人だったら空気に耐えられなくて、こっそり逃げていたかもしれない。

「ねー藤、ヒマなら遊ぼうよ」
「ゲーセン行こうぜ、ゲーセン」
「あたしカラオケがいいなー」

 話があっという間に展開していく。どうやら帰る口実ができそうだ。
 ほっとして十は腰を浮かせかけたが、藤は彼らに肩をすくめてみせた。

「ごめん。今日これから、おとーさんとデートなんだ」
「えぇ、なんだよ」
「藤パパかぁ。じゃあしょうがないねー」
「うー、今度ぜったい遊ぼうね? ぜったいね?」

 名残惜しそうな少女に笑顔で了解を返して、藤はひらひらと彼らに手を振る。
 十は圧倒されて彼らを見送った。
 何と言っていいのか、すごいエネルギーだと思う。別の世界の人間みたいだ。

「……藤、友達多いね」
「あはは。十っちも多いじゃん」
「え!?」
「なんでびっくり? 今日とかいっぱいついてきてたし」
「友達……と、友達、なのかな」

 慣れていないのでいまいちよくわからない。だけど多分、嫌われてはいないと思うのだ。面白がられているだけだとしても、遊ばれているのだとしても、誰かと一緒にいるのはものすごく心地いい。
 単語をかみしめる十に、藤があっけらかんと請け負った。

「うん。どっからみても友達」
「そ、そっかー。友達か……」

 いい響きだ。十が嬉しくなってにやけていると、ぽつんとした声が落ちた。

「……いいなあ」

 十と藤が、揃ってまそほを見る。
 知らずにこぼれた言葉だったのだろう。まそほは小さな両手で口を塞いでいた。

「なになに、どしたのそほちゃん。なにが?」
「あ……もしかして、友達いっぱいってとこ、じゃ」

 なにしろその気持ちはよくわかる。
 きょとんと目を瞬き、藤がぎゅうっとまそほを抱きしめた。

「やーだー、そほちゃん、友達の友達はみんな友達だよう?」
「ともだち?」
「うんそう。あたし友達いーっぱいいるから、そほちゃんも友達いっぱいってこと!」

 まそほと額を合わせて笑う藤が、どこか大人びて見えた。
 言っていることは小学生みたいだと思うのに、まるで干したてでふかふかの羽毛布団みたいな包容力がある。
 まそほは安心したように力を抜いて、されるがままになっている。
 ――うらやましいと思ったのは、一体どっちに対してだったのだろう。

「あ、とっつぁんがうらやましそうな顔してる。うりうり」
「違っ、っていうかそのネタやめてよ……!」
「むう。親愛のあかしなのに」

 藤がぷくっと頬をふくらませる。たじたじになってまた距離を取った十は、はたと気づいて顔を戻した。

「あ……そうだ、あの、今日はごめん」
「えー、なになに? 振ったこと謝るのって微妙じゃない?」
「違っ! じゃなくて、いや確かにそのことだけど……その、集団で行ったから」

 小首を傾げる藤に、まそほが不思議そうに彼女の真似をする。
 二人は不思議そうだが、十は神妙な顔を崩さなかった。尾行に気づかなかっただけとはいえ、告白現場にギャラリーを連れていってしまったのは、明らかに十の落ち度だ。普通の女の子なら、泣いてしまっていたかもしれない。

「僕、後つけられてるの本気で気づかなくって……あの、別に全然、冷やかそうとか思ってたわけじゃなくて、その」
「あはは。うん、わかってる。けっこー気づかいさんだよね、トントン」
「……もう誰のことだかわかんないよ、それ……」

 なんだかパンダの名前みたいだ。
 がっくりとうなだれた十に、藤は笑い声を弾ませた。

「かわいくない? トントン」
「もっと普通なのがいい……」
「普通ねー。じゃ、ありきたりだけど、バンちゃんとか」

 思ったよりもすんなりと飲み込めて、十は藤を見た。
 バンというのは、万里のバンだろう。
 新鮮な響きを口の中で繰り返す。なんだか友達という感じがして、勝手に頬がゆるんだ。

「ん? これはアリ? じゃあバンちゃんでいっか。普通すぎておもしろくないけど」
「普通って言葉は、僕がこよなく愛しているものです……」
「あー、バンちゃんにはないものだもんねぇ。いい方にも悪い方にも」
「さらっとひどい!」

 泣きたい気分で頭を抱える。
 藤の笑い声にかぶって、電子音が流れた。どこかで聞き覚えのある、軽やかなピアノのフレーズだ。
 携帯電話を手にした藤が、形のいい眉をへにゃんと寄せた。

「あ、やば。おとーさんもう来てるみたい」
「あ……デートだっけ。仲いいんだ」
「あはは。ほら、パーティあるって言ったでしょ。服買いに行くんだー」

 ますます別世界の話だ。
 いっそ感心し始めていた十に、ふと、藤がにんまりとした笑みで携帯電話を顎にあてた。

「バンちゃん、いっしょにくる? 紹介するよー」
「無理! っていうか断ったよね!?」
「ざんねん。まあ気が変わったら言ってねー。7月31日だから」
「いやもうホント、あきらめてください……」
「おもしろいからやだ。じゃあそほちゃんも、またね!」

 ひらひらと手を振って、藤は軽快な足取りで歩いていく。
 再会を疑っていないその背中に、十はなんだか疲れた気分でため息を吐いた。
 なんというのか、うっかり虫眼鏡で太陽を見たような気分だ。ここまで自分と対極に位置する人間もめずらしい。ましてやそれが女の子ときたら、苦手もいいところであるはずなのに――なんだかんだ言いながら、彼女とのやりとりを楽しんでいる自分がいた。

「……とお」

 ためらいがちに手を振り返していたまそほが、ぽつんとつぶやいた。

「あ、ごめん。なんかまきこんじゃって……」

 ふるふると首を振り、大きな目がじっと十を見上げる。
 そこに浮かんでいるのは、不安に似た色だった。

「ふじ、なにかくっつけてた」
「……へ?」