【 羊頭狗肉(ようとうくにく) 】
見かけと実質とが一致しないことの喩え。見掛け倒し。

 その少年は、ひどく異質な存在感を持っていた。

 細く艶やかな髪と目元の涼やかな瞳は、ぬばたまの黒。顔立ちは派手さこそないが、人形のように整っている。すっと通った鼻梁と丸みの少ない顔の輪郭は人目を引くのに十分だ。すらりと伸びた足を違和感なく机の下に畳んで、彼は静かに自分の番を待っているようだった。

「ねえ、あの人、結構イケてない?」
「うんうん、いい。かなりイケメン!」
「えー、でも冷たそうじゃない?」
「そこがいいんだって! 彼女いるかな?」

 少女たちが少年を見て、ひそひそと華やいだ声を交わす。
 そうなると、もちろんのこと面白くない思いをするのは少年と同性のクラスメイトだ。

「……ケッ、スカした顔しやがって」
「気に入らねえよな。どうせ成績優秀でスポーツもできてーなお坊っちゃんなんだろ?」
「うっわ、マジムカツク!」

 前の席の少女が当たり障りのない自己紹介を終え、後ろを気にしながら席に着く。
 担任の教師に促され、彼はすっと立ち上がった。

「……万里 十ばんり とおです。得意教科、ありません。目標は脱赤点です。運動神経、ありません。ボールが前に飛びません。友達が欲しくて奈良の山奥から出てきました! なにとぞよろしくお願いします!」

 握り拳で十は力強く締めくくる。
 何とも言いがたい感情が沈黙を呼び込み、教室が微妙な雰囲気に包まれた。

 

 

 ――そんな挨拶を繰り広げた入学初日。
 女子には全力でがっかりされたが、友達百人計画への掴みはとりあえずオッケーだったと、十はこっそり握り拳を作った。
 何しろ中身はこんなである。どうせ幻滅されるなら早い方がいい。

(ああ、やっぱり東京に出てきてよかった……!)

 ぞろぞろとつるんで下校する帰り道、今まさに、十は幸せを噛み締めていた。
 何しろ、クラスメイトが話をしてくれるのだ。遠巻きにされないし逃げられない。友好的といっていいくらいだ。これほど嬉しいことはない。夢にまで見た友達づきあいが、もう手の届くところにある気がする。
 自分以外のカバンを二つほど抱えつつ、十は頬を緩めながら級友の後を追った。

「万里の奴、メッチャ嬉しそうな顔でカバン持ってんなー」
「Mかあいつ」
「友達いなかったんだよ、同情してやれよ」
「一歩間違えるとパシらされそうだな」

 そんな会話が繰り広げられていることなどまったく気づくこともなく、十は隠し切れない笑顔でカバンを運んでいる。
 同じくジャンケンに負けていた少年が、電柱を蹴飛ばして豪快にカバンを投げ出した。

「うっし、着いたァ!」
「オイコラ! 投げんじゃねーよ吉田!」
「しっかり自分のだけ抱えやがって!」
「うっせぇ次だ次! 早く来い万里! ジャンケン!」
「あ、ごめん」

 あわてて足を速めたところ、眼鏡の少年から待ったが入った。

「走んなくていいぞー、万里。お前、転びかねん」
「失敬な! 僕は無能でもドジじゃない!」
「って、無能はいいのかよ!」
「お前の自己評価がわからねぇ!」

 懸命になって無能とドジの違いを力説しはじめた十に、返ってきたのは当然ながら呆れた反応だった。

 

 

 わいわいと騒がしい男子高校生の集団を見かけ、少女がくすくすと笑っていた。

「ねえ、あれ見て、あれ」
「うちの高校じゃん。何やってんの、イジメ?」
「や、ジャンケンしてる。遊んでんじゃない?」
「小学生かっての……ってちょっとちょっと! なにあれ、すごいイケメンいるんだけど!」
「えっ、どれ」
「ほら、あの黒髪サラッサラの!」
「うわ! 何あれ! 純和風!」
「ねー!? やばいお近づきになりたい。ねえねえ藤、あれ見て! 声かけてみようよ!」
「えー?」

 我関せずでプレッツェルをかじっていた少女が、首を傾げて友人を見た。
 十とは違う方向性で、人目を引く少女だった。同じく顔は整っているが、十を人形のようだと表現するなら、彼女は生命力に溢れた健康的な美だ。子猫のような目は生気に満ちてきらきらと輝き、人を巻き込むような引力を感じさせる。
 彼女は指さす先をまじまじと眺め、傾げていた首を、今度はすくめた。

「うーん。あたし、イケメン興味ないなあ」
「なんだよーう! 藤がいるといないとじゃ成功率ぜんっぜん違うんだよう! いいじゃん、イケメンとお話しようよ!」
「うーん。特技が腹踊り系男子だったら考えてもいい」
「ちょっともー藤! イケメンにおもしろさを求めない!」

 地団駄を踏む少女に別の少女がけらけらと笑い、背中を叩いた。

「藤が言うならしゃあない。あきらめろー」
「同じ学校なんだからさ、そのうちチャンスあるって」
「だって早い者勝ちじゃん! ツバつけときたいのー!」
「じゃあ単騎突破かましてこい」
「さすれば勇者と讃えよう」
「おぬしの犠牲、無駄にはせぬ……」
「爆死するの前提じゃん! もおおー!」

 厳かに手を合わせた友人たちに、少女が叫んだ。

 

 

 ――そんな少女たちの騒ぎなどつゆ知らず。
 「万里十は無能かドジか」という命題を「とりあえず何もないとこで転んだらドジ決定」という結論に達して、カバン運びにも飽きてだらだらと歩いていた高校生の一行の話題は、自然と胃の空き具合に集中していった。

「腹へったー」
「コンビニ寄ってく?」
「あ、僕、お金ない……」

 思い出したようにうなだれた十の肩を、背の高い少年が慰めるように叩いた。

「うまい棒にしとけ、うまい棒」
「ああ、あれはいいもんだ」
「……実はそれも買えません……!」
「所持金十円以下!?」
「お前それ貧乏の域越えてんぞ!」
「うう……姉さん小遣いとかくれないんだ……」

 とたん、視線が集中した。
 あまりにぎらついた強い目に、十は思わず後ずさる。

「万里姉? 似てる? 似てるなら紹介しろ!」
「和風美女!」
「大和撫子万歳ッ!!」
「つーか今から見に行こーぜ! いいよな万里!」
「え、や、いいけど……中身、めちゃくちゃ容赦なく鬼だよ?」

 十は引け腰に補足したものの、騒ぎはなぜかさらに盛り上がった。

「ツンデレ? いい!」
「いや、ツンツンツンデレくらいじゃね?」

 クラスメイトが家に遊びに来てくれるなんて、中学の頃には考えられなかったことだ。できるなら実現したい。
 姉の顔を思い浮かべ、十は真剣に考えを巡らせた。

「うん、多分いきなり死ぬことは……ないと、思う。きっと。いくらなんでも」
「なにその自信のなさ!」
「命の危機的な危険かよ! どんなDVだよ!?」
「……もしかしたら変な呪いとかかけられるかもしれないけど、たぶん命に別状は……ないと、思いたいところです」
「電波系!?」

 とりあえず写メを送れという無理難題を宿題に、十はクラスメイトと別れて家路についた。
 携帯電話の画面をたびたび眺めては、ゆるむ頬を引き締めようと無駄な努力をする。
 何せ初体験だ。姉と実家しか乗っていなかったアドレス帳が、今や友達の名前でにぎわっている。写真を全般的に毛嫌いしている姉のことを思うと命の危険を覚えるが、それでも顔はにやけた。感動していると言ってもいい。
 暗くて寒くてじめじめしたところは大好きだ。だがしかし、だからといって別にどんより一人で生きたいわけではないのだ。むしろメンタルの弱さには自信があるので、誰かがこんな風に普通に話し掛けてくれるだけで、本気で幸せを感じる。

(……田舎出てきて、本当よかった……!)

 携帯の画面を眺めながらしみじみ感慨にふけっていた十は、目の前にいた小さな影に気づかなかった。

「うわっ! ……す、すみません!」

 腹の辺りに衝撃を覚え、反射的に謝りながら携帯電話を握りこむ。
 目の前に尻餅をついていたのは、小さな女の子だ。
 一息に血の気が引いた。

「ご、ごごごごめん! だ、大丈夫!?」
「うん」

 女の子は、こっくりと頷いて立ち上がった。
 その膝小僧や、広げて眺めた小さな両手に擦り傷がないことを確かめて、十はほっと息を吐き――不意に、打たれたような感覚に身をすくめた。
 緩みきった神経に、何かを引っ掛けたのだ。

(な、何!? いや待って、こんなとこで何かに絡まれたら勝てない! ……ここでなくても勝てないけど……!)

 山の中ならいざ知らず、街中で妙なものに出会うとは思わなかった。
 顔を青くしてきょろきょろと首をめぐらせる十に、少女がぽつりと訊ねた。

「あなた、なに?」
「……へ?」

 目を落とせば、黒目がちな瞳がひたりと十を見上げていた。
 十は困惑して頬を掻く。

「え、えーと……」
「なにか、へん。まっくろ」
「すみません!」

 反射で謝ると、どんぐりのような大きな目がぱちぱちと瞬きを繰り返した。
 十は虚を突かれて、つられたように同じ方向へ首をかしげる。
 そこでようやく、女の子の髪が変わった色をしていることに気づいた。
 桃色というには、くすんだ薄紅。
 どう考えても自然な色ではないのに、それはあまりにも違和感なく、目の前の女の子の一部に見えた。かわいらしいお人形のような顔立ちによく似合っている。髪の色を淡くしたような桜色のワンピースは、赤い細かな刺繍と細いリボンに彩られ、絵本から抜け出してきたお姫様のようだった。

(うわぁ、東京の子ってすごいなあ。こういうのも似合うんだ)

 十がずれた感想を抱いたとき、つま先に何かが触れた。
 見下ろせば、ミネラルウォーターのペットボトルが転がっている。

「あ……。おみず」
「ご、ごめん! 落としちゃった……!? どうしよう、僕、いまお金持ってなくて……! え、ええっと!」

 女の子がしゅんとうつむく。
 十は混乱の極みに追い詰められて、ぐしゃぐしゃと髪をかき回した。

「……そ、そうだ、家ならあるかも! すぐ持って来るから、ごめん、ちょっと待って……ってうわあ!?」

 小さな体が、糸を切ったようにバランスを崩した。
 あわててそれを受け止め、十は真っ青になって女の子の顔をのぞき込む。
 意識がない。呼吸はちゃんとしているようだが、こんなに急に眠ったりはできないだろう。

(え、どうしよう、救急車!? 救急車ってこういうとき呼んでいいんだっけ? うああもう誰か助けてー!)

 心の中で叫ぶ。
 ――こんな時に思い浮かぶのが、未だに姉の姿であることに気づいて、なんだかいろいろと絶望しそうになった。