06

感情と時機

 軍学校の舎屋の北には、枯れた風体の訓練場がある。俯瞰すると櫛の歯のような形をした、単純な煉瓦の建造物だ。
 物質干渉能力の対象には炎もあれば水もある。加熱と冷却の繰り返しで脆くなるのだが、このときも、左端のブースに大穴が空いて使用禁止になっていた。属性反発の恐れがあるためだ。
 その大穴を視界の端に、カデナーノイ・バシュタルトは蝋燭の火を睨みつけていた。苛立ちをどうにか押さえようと深呼吸を繰り返し、剣を手に、強く踏み込む。
 銀の刃が火を裂いた。炎となった火はたなびく煙のように延びて、失速し、うなだれるような軌道で地面に落ちる。
 シファが人形のように微笑み、絶妙の間合いで声を掛けた。

「あら、今度は少し伸びたわね、王子様。トカゲの墜落からカエルの跳躍へ、素晴らしい進歩だわ」

 言うまでもなく嫌味である。
 バシュタルトは怒りに肩を震わせていたが、やがて、唐突にソニーを振り返った。

「……ソニーエレンス・ガルハン!」
「え、はいっ」
「その女を黙らせろ!!」
「えええっ!?」

 炎を素手で消せというようなものだ。ソニーは振りきれそうな勢いで首を振った。
 シファは言うなれば、発火温度が低い上に爆発に近いぎりぎりの範囲で燃焼する火薬だ。毎度のごとく着火させるのはバシュタルトで、このときもまた、材料はイェンだった。
 シファを挑発するには効果的だ。冷静そのものの見た目に反して、彼女は中傷を受け流せるほど大人でない。自分のことでないならなおさらだ。中でもイェンの出自はよく槍玉に挙げられた。
 しかしそれにしても、わざと怒らせているにしては、バシュタルトにまったくもって勝ちの兆しが見えないのはなぜだろう。――案外、何も考えてないのかもしれない。
 ソニーが一触即発の空気に目をそらしたとき、崩れた壁の向こうを炎が掛け抜けていった。
 バシュタルトの炎がトカゲやカエルなら、それは獲物に飛びかかる大蛇に近い。軽快な音がその姿に続いた。大きく伸びた炎が、的を倒したのだろう。

「……あれ?」

 ソニーはようやく首をかしげる。一番端のブースは、使用禁止になっているはずだ。
 あわててシファを振り返ると、彼女も珍しく、それとわからなくもない渋面を作っていた。

「おおー、スゲー! 本気で回してやがる!」
「しかも当てたぜ。器用だな」
「ふふん、だてに器用貧乏呼ばわりされてねぇぞ」

 壁の向こうから声が聞こえてくる。そのひとつには、いやに聞き覚えがあった。――ラオだ。
 ソニーは思わず頭を抱えた。干渉能力はイメージと動作を結んで表出するものなので、どうしても直線的になりがちだ。それをばねのごとくぐるぐると回すのだから、器用を通り越して宴会芸の域だろう。だが、これはまずい。さすがにまずい。

「お前、曲芸団入っても食ってけるよな」
「誉め言葉と受け取っとく。次は四回転半だ!」

 ソニーはおずおずと、シファに声をかけた。

「シファ、あの」
「何?」
「止めないと……」
「止めてきたら」

 素っ気ない返事に、彼はたくましい肩を大きく落とした。体調が悪いのだろうとイェンは言っていたが、それでも悪いのは機嫌だけに見えてしまう。
 バシュタルトをそっと見やると、隣の様子には気づいていないようだった。苛立っていても集中はしているらしい。真剣な顔のまま、炎めがけて鋭く剣を振り抜く。止める暇もなかった。

「……あ!」
「げっ!」

 焦りの声が聞こえた直後、穴口から炎が飛び出した。
 のたうつ赤が、バシュタルトの放った火線に襲いかかる。

「な――!」

 バシュタルトが声を呑む。シファがとっさにバケツを掴み、勢い良く振りかぶった。
 派手な水音が、爆発の予兆を打ち消した。
 バシュタルトの炎は水に殺がれ、その鼻先にねじ込むように炎の大蛇が跳び抜ける。それは、煉瓦にほんのわずか白い跡をつけ、あっけなく消えた。
 凍りついたような沈黙が降る中、バシュタルトが半身から水を滴らせながら、ゆらりとシファを振り返った。

「……エレニノフ、貴様……」
「お礼なら結構よ。怪我がないようでなによりだわ」
「ふざけるな!! 貴様わざとやったな!? どの面を下げっ――」

 派手なくしゃみに語尾を奪われ、少年は青い顔でガタガタと震え始めた。歯の根が合わないような状態で、なお噛みつこうとするさまは、いっそ健気とすら言えるかもしれない。

「……シファって、バシュタルトと喧嘩してるときが一番生き生きしてるかも……」
「そうかあ? 顔が笑ってるからじゃねぇの。むしろ気味悪ィ」

 独り言に応じられて、ソニーは難しい顔で振り返った。

「ラオ、ふざけすぎだよ。もうちょっとで属性反発起こしてたんだよ!」
「わりぃわりぃ。ちょーっとドジった」

 悪びれた様子もない友人に、ソニーは肩を落とす。騒ぎはバシュタルトの取り巻きまで加わって見事なまでに延焼し始めていた。一見すると多勢に無勢に見えるが、こんなときのシファは一人で十人分喋るのだ。止めようにも、バシュタルトの矛先がこちらに向けば火に油となる。
 慣れのようなものを漂わせて見守っていると、ニドが呆れた様子で顔を見せた。

「その辺にしておけ。まったく……お前ら、毎度毎度よく飽きんな」
「お言葉ですが、教官。今回私に非はないはずです」
「よくも抜けぬけと! ニド教官、この女と班を分けていただきたい! 俺は以前からそう言っているはずだ!」
「どこのガキのわがままだ。いい加減ぶつからねぇように学習しろ」

 すげなく返し、ニドはひらひらと手を振る。

「ほれ、散った散った。バシュタルト、怪我がないようなら着替えてこい」

 二大問題児の衝突をこれだけ手際良くおさめられるのは、この人を置いて他にない。お見事と呟いたラオに、ソニーは苦笑を見せた。そもそもこの二人をあらかじめ離しておかないのも、この教官くらいなのである。

「で……そこの元凶、何をのんきな顔で見物している?」

 ラオをはじめとする三人が、ぎくりと顔色を変える。
 素早く伸びた手がラオの頭を鷲づかみに捕らえた。にこやかとさえ言える顔とは裏腹に、万力のような力でぎりぎりと締め上げられ、ラオが悲鳴を上げる。

「危険物を扱うときには十分に気をつけろと、何度言えばわかる。ん?」
「い、いでででで、す、すい、すいませっ」
「それこそ痛い目を見たいだけなら協力してやろう。遠慮なく言え」
「い、いぃぃえぇそんなっ! 全力で遠慮させてくださいッ!!」

 壁の端に避難しながら、ソニーは小声でシファに訊ねた。

「……なんでわかったんだろ?」
「ひとつ、隣は使用禁止。ふたつ、バシュタルトの属性は火。みっつ、立ち位置」
「えーと……あ、そうか」

 納得してうなずいた。消去法で行くとラオになるわけだ。
 今日のシファはいつにもまして言葉少なだ。ソニーは心配そうな目を向けそうになって、あわてて顔をよそに向ける。シファ自身、気遣われたいとは思っていないはずだ。

「でも、すごいよね。僕はなかなかうまくできないから……ラオもシファも、器用でうらやましいよ」
「器用というか、慣れね」
「さっき、水をかけたときさ。使ってたよね?」

 シファが少し目をみはる。けれど、答えてきた声は、彼女のものではなかった。

「いい目だな、ガルハン」
「えっ……」

 ラオの頭を小脇に固めたまま、ニドがにやりと笑った。

「それだけ見えりゃあ上等だ。こいつは年季が違うだけだからな。昔はお前よりもひどかったぞ。よく大怪我してあわてたもんだ」
「教官」

 余計なことをと言わんばかりのシファに、彼はからからと笑った。

「なんであれ諦めずに努力しろ。結果はそのうちついてくるさ」
「は、はい!」

 ぎこちない返事にうなずき、ラオたちを引きずっていくニドを見て、ソニーは大きく息をついた。

「……びっくりした……」
「地獄耳ね」
「はは……そういえば、シファ、ニド教官に稽古つけてもらってたんだ?」

 負傷して退役したとはいえ、フリス・ニドは紛れもない英雄である。羨望まじりのソニーの言葉に、シファはいつもどおりの顔で返した。

「十にもならない頃から血反吐を吐くようなものをね。うらやましいなら頼んでみたら?」
「……や、やめとく」
「それがいいわ。必ずしも必要だとは思えないし、他にすべきことはいくらでもあるもの」

 あまりにきっぱりと切り捨てるので、ソニーは首をかしげた。シファ自身が努力しているのだ。説得力がない。
 ふと、シファが舎屋を見上げて、わずかに眉をひそめた。

「どうしたの?」
「……あれ、誰かしら」

 ソニーが同じように見上げると、二階の窓に見慣れない男女の姿があった。

「エネルギー管理局の人じゃないかな。今日は測定があるから」

 シファは沈黙し、考え込むように口元に触れる。
 凍えるような風が吹き抜けた。

 

 

 

 アカデミーは六年制であり、主に法学・政治学・軍事科学等の学科を主流としている。その内容が示すとおり、軍の即戦力となる人材を育てる意味合いは低く、卒業後の進路も行政と軍に二分される。それにも拘らず彼らがいまだ士官候補生と呼ばれ得るのは、のちになって設置された軍幹部養成機関の入学者の九割がアカデミーの卒業生で占められるためだ。その課程を修了して、ようやく、彼らは士官となる資格を得る。
 アカデミーは建国当初から多くの施政者を送り出してきた。だが、長い間戦争を繰り返す中、やがて軍事よりも政治を上位とする考えが再び台頭を始める。戦争の目的は領土を主とした利権の獲得だ。しばしば口上に用いられる宗教上の諍いは、実は帝国においては二の次である問題だった。それは形式上とはいえ信仰の自由を認めている事にも現れる。
 戦争とは最終的な外交上の手段である。つまり、そこに至るまでに目的を達成できることが最も望ましい。それには、軍事的な考え方よりも政治学的な考え方をもつ、外交能力に長けた指導者を育てるべきだ――そう唱える声が多くなるに従い、アカデミーは軍の士官候補生課程としての色を薄め始めた。上位に三年間の軍幹部養成機関を設け、アカデミーでは軍事科学だけではなく歴史学や思想学、法学に重点を置くことで、帝国の最高学府として情勢の需要に応えようとしたのだ。
 もとよりあった学府が取って代わるのではない辺りが、この国のこの国たる所以だろう。新しい制度が定着する頃には、アカデミーはリーホア・エトセイルのような良家の子女さえ受け入れるほどの門戸の広がりを見せた。
 その変化を一概に評価はできまい。士官の質が落ちているという批判も根強い。そのための幹部養成課程だと学生たちは反論するだろうが、やはり、国の情勢は彼らにとって壁の外の話だ。名を上げようといきり立つことの少ない昨今の学生たちは、戦争の推移を他人事のように見る傾向があった。

「……だから、今の地勢がこうなっていて……スフィルクを占領できたとなると……」
「あ、なるほど。補給線が限定されるな」

 ピンを打った地図を覗き込み、ラオが頷いた。川の上流は帝国の領地であり、現在の戦地であるハウラクルムの元首都は高い山に囲まれている。その北東の町スフィルクは、かの植民地にとって重要な戦略拠点だった。

「そういうこと。クーハー教官は南部型の法律学の権威だし、ジッダ教官はリョエム民族学に造詣が深いから……上が後始末を考え始めているのは確かね」
「おいおい、もう勝った気なのかよ」
「重要な事よ。もう決めておかなければならない時期だわ」

 ここのところ、いやに不在の教官が多い理由は、彼らの専攻を考えれば自ずと知ることができた。招聘された彼らに求められるのは戦争の終結に入るための助言だ。占領のための戦争は、領地の獲得自体よりも、その後の統治の方が困難である。支配体制は迅速に整備しなければならない。しかし、被支配地の特質や民族性、既存の法体制を熟慮したものでなければならない。一刻も早いレックニアの打倒を唱える軍部にとっては、現地の権利を最小限に押さえて駐屯地を設営したいところだろうが、国務府――引いては議会は、現地民族の閉鎖性への配慮と軍部の先走りを牽制する意味から、長期的な計画を求めている。

「……けどさあ、国務府ってちょっとばかり慎重すぎねぇ?」
「ど、どうかなあ……」

 同意を求められたソニーが、気遣わしげにシファを見やった。
 体の大きさに反して、彼は過剰気味に細やかな気遣いを見せる。級友の父親のことを悪く言うようで気兼ねしているのだろうが、シファは涼しい顔でそれを受け流した。

「否定はしないわ。今は総司令官も急進派じゃないし、バランスが悪い」
「そうそう。なあイェン、お前もそう思うだろ?」
「……ん? ああ……」
「いや待て、本当に聞いてたかオイ。むしろ聞いてねぇだろ絶対」

 ぼんやりとした様子の友人を、ラオが裏手で叩く。シファはこっそりとため息をついた。事情を話してから丸一日が経つというのに、ずっとこの調子なのだ。もう少し態度を繕えないものだろうか。
 MEASに関する一連の危険性は不確定なものだ。安全装置がないとは考えられない根拠を延々と説明したものの、家族思いの彼にとっては、郷里がその被害の範囲内にあるというだけで苦悩するに十分なのかもしれない。
 いつものフォロー役の不調から、彼女は仕方なしに話を続けた。

「……国務府が慎重になる理由もあるわ。いつまでも戦争を続けるわけにはいかないから」
「でもさあ、このままじゃジリ貧だろ?」
「そこがジレンマなんでしょうね。領土が広がれば広がるほど統治は難しくなる」

 精霊王信仰と自国文化を植民地に強いていたレックニアに対抗するため、ヘルドは属国に応分の自由を与えている。決して独立国には手を出さず、一度植民地となる屈辱を味わった国に手を差し伸べるといった形を取る辺り、厳しい言い方をすればやり方が小狡い。

「不満を押さえるって言っても、限界があるのよ。帝国がしていることも結局は併呑だもの。現に、反政府組織は勢力を持ち始めているわけだし……パイプ役がいないせいもあるでしょうけど、終わらせるめどが立たないことには、自治区の拡大も空手形のままだわ」
「そうそう、そうだよな。だからいっそのこと、だーっと本国まで攻め入る勢いで行って、後から譲歩って形で領地を戻してさ。そういうのなら講和自体は楽なんじゃねぇ?」
「……講和楽にするために死人増やす馬鹿がどこにいる」

 イェンがじろりとラオを睨んだ。
 確かに、首都を陥落させずとも、本国への侵攻はレックニアに大きな動揺を走らせるだろう。だがそれは、非常に困難な計画だ。

「主力を決勝点に投入せよ、ってね。じわじわいくか、どかんと行くかだろ。総数は大して変わらねーって」
「引用が違うわ。それは戦争じゃなくて戦闘」
「あれ、そうだっけ」
「……第一、やり方変えて強引に行って、後続断たれたらどうする? 半端じゃない距離がある上に現地の不満買ってみろ。こっちは一度の負けで内政も今後の侵攻もまずくなるんだ。慎重になるのも否定できないだろ」
「でもさあイェン」
「……というより、民間人の被害を気にしてるのよ。そうでしょ?」

 回りくどい説明を、シファが一言にしてしまう。ソニーが納得したように諸手を打った。

「あ、そうか。そうだよね、そっちの方がまずいよ」
「あー……民間人ねぇ……」

 ラオが気の乗らない顔で返したとき、きゃあっと沸いた声が、責任のない談義を遮った。
 視線を向けると、女生徒がはしゃいだ様子で集まっている。どうやら俳優の写真を持参した者があったらしい。黄色いと表現するのが相応しい歓声はそれを取り巻いて、何とも花々しい雰囲気を図書室にもたらしていた。

「……暢気なもんだよなあ」
「そうね。好きな女の子への贈り物で至極真剣に悩めるくらいだから」

 ぼやきを痛烈に打ち返され、ラオが机に突っ伏した。確かに悩みとしては暢気だと、イェンは笑みを噛み殺す。
 帝都では、無声映画が人気を博している。先日公開された話題作は、敵国に嫁ぐことを決められた姫と青年実業家の恋物語だ。手に手を取って国を捨てる物語は昔からの定石だが、戦時中に、しかも名ばかりとはいえ士官学校で賞賛される内容とは言い難いだろう。

「……お前だってああいうの嫌いなくせに、なぁんで俺ばっかし……」
「別に、嫌いじゃないわよ」
「嘘つけ! この態度、絶っ対馬鹿にしてるよな!?」
「え? ど、どうかなあ……」

 同意を求められ、ソニーが困りきって肩をすぼめた。椅子に納まりきらない体はそれでも大きかったが、どうにも縮こまった印象を覚えさせる。

「嫌いではない。苦手なだけ」
「へえ、苦手ねぇ。ふーん」

 納得しない様子で、ラオが口を尖らせる。シファは口の中で言葉を転がした。苦手――そう、苦手なのだろう。けれど、今ひとつしっくりこない。釈然としないと言った方が近いような気もする。恋だの愛だのが常識や規範を超えてしまうようなものならば、これほど厄介なものはないだろう。少なくとも、シファには理解しがたい感情だ。個人の感情で国を滅ぼされてはかなわない。正誤の差異は結局のところ全体数の高率による判断でしかないが、ならば尚更、その時世と場所にあるべき規範は重要になるのではないか。
 そんなことをぼんやりと考え込んでいるうちに、鐘が鳴った。あちこちで椅子を引く音が続き、シファも地図を丸めながら席を立つ。

「次って剣術だったよな。よっしゃ、今日こそ教官に一矢報いてやるぜ!」
「元気だなあ……。外、寒そうだよ」

 学友らの声を聞きながら、彼女は手をかけた地図を見下ろした。
 情勢は、自分たちとはひどく離れた場所で着実に動き始めていた。それだというのに、今自分がしていることは、何て個人的で些細なことだろう。
 それでも彼女は、協力者に声を掛けることをためらわなかった。

「イェン。今日の終業後は空いている?」

 彼は一瞬だけ嫌そうな顔をしたが、ため息を一つ落として頷いた。