04

導火線の火は消えることなく

 ヘルド帝国エネルギー管理局は、前夜の混乱と慌しさの続く中で、業務を再開していた。
 帝都の機能の中枢を司る機関である。管制・保安・技術を柱として十二の課を持つ帝都エネルギー管理局は一万人を越える職員を抱えていたが、そのうちで事件の詳細を知らされているのは、ごくわずかな人間であった。
 よく解らないが、何かまずい事が起きたらしい――一般職員の認識はその程度で、ケリエは常であれば、そうではない自分の地位に満足を覚えたはずだ。しかし今回ばかりは、それを羨ましくさえ思ってしまう。

「まったく……!」

 そんな考えを抱く自分に腹を立て、ケリエは乱暴に椅子を引いた。カップを叩きつけないよう気をつけたつもりだったが、派手な音がして、机上に紅茶の池が広がる。

「……ああもう! 何なのよ!」
「落ち着けよ、ケリエ。君が苛立ってもどうしようもないさ」

 慌てて書類を持ち上げた彼女に、樽のような体つきの男が苦笑して布巾をよこした。

「煩いわね、これが苛つかずにいられる!? 特殊部隊が聞いて呆れるわ。クソ偉そうにしてるだけじゃない! こっちがどんな気分で頭下げたと思ってんのよ!」
「そう言うなよ。彼らだって給料を貰っているんだ、そのうち見つかるさ。……まあ、それが死体でないことを祈るしかないね」

 言葉が終わらないうちに、射殺さんばかりの視線を向けられた。彼は丸太のような腕ごと肩をすくめ、打つ手なしと身振りで示す。同意を求められた眼鏡の男は、諦め気味にかぶりを振った。

「無理もない。今回ばかりは、私もケリエに賛成だね」
「上はどういうつもりなんだ?」
「知らないわよ! 騒ぐな落ち着け公表するなって、それだけ!……どうせ国務府でしょうけどね。ふざけてるわ、そんなまどろっこしいことやってる場合じゃないのに……!」
「……確かに、何を考えているのやら、だな」
「あの男、穏健派って言うより軟弱なんじゃないの? 日和見決め込むのは勝手だけど、こっちはいい迷惑なのよ!」

 苛立ちを叩き込むようにデスクを拭く女に、声にならない苦笑が漏れた。チームの中でも若いだけあって怒りの抑え方を知らない彼女は、しばしばこうして爆発するのだ。

「ともかく、万一の対策を考えよう。我々に楽観している暇は与えられていないのでね」
「万一の対策? 今まで何十年研究が続けられてると思ってるのよ。そんな急に、解決がつくわけが――」

 言葉尻に噛み付いたところで、部屋の扉が叩かれた。見慣れた連絡員の姿に、ケリエが顔色を変える。
 彼が言葉を発する前に戸口にたどり着いた彼女は、気遣わしげな報せに肩を落とした。

「そう……ありがと」

 明らかに勢いをなくした同僚に、二人は事情を察して顔を見合わせた。

「……ごめんなさい、早退するわ」
「妹さん、具合が良くないのかい?」
「ここのとこ落ち着いてたんだけど……ちょっと、病院の方と、いろいろね」
「早く行ってやるといい。また事態が変われば連絡を入れるよ」
「ええ、お願い」

 届出書にペンを走らせて、彼女は足早に部屋を出て行った。各部署から集まった測定値の書類を持ち上げ、眼鏡の男がため息をつく。

「やれやれ、嵐が去ったな」
「彼女は、あれだろう? あいつと親しかったしな。……そのぶんだけ、腹が立つんだろうけど……厄介なことだよ」

 静けさを取り戻した部屋には、MEASの稼動音が遠く聞こえるようだった。
 火のついた導火線が、じりじりと短くなっていく。その音を傍らに、彼らは爆弾への対処を捻り出そうと、数値との戦いを再開した。



      *

 建国記念日を控え、街は活気に溢れていた。
 年に一度の大祭だ。多くの民族と宗教を混在させた帝国にとって、政治的安定を画すためには力を入れざるを得ない行事である。目に見える恩恵のあるその日を間近に、人々の表情は輝きを増している。
 そんな中で、あからさまにぶすくれた学友二人を、シファはちらりと見やった。
 体力という回答では駄目だと言うからわざわざプレゼント選びに付き合ったというのに、一体何が気に入らないのだろう。機嫌を取る気もさっぱりなかったもので、店を出てから分かれ道に到達するまで、彼らの間には無言が続いた。

「……じゃあ、私は軍本部へ行くから」
「あーそうですねー時間ですしねー! ちくしょーお前を頼った俺が馬鹿だったー!!」

 ラオが大声でぶつけた批難に、ふう、とシファはため息をつく。

「義理は果たしたわ。ちゃんとアドバイスした。あの子を喜ばせようと思うなら、奇抜な体力作りのマニュアルでも贈ったらって」
「贈れるかあッ!!」

 大小二人分の怒鳴り声が響く。シファは煩わしげに片耳を塞ぎ、いい加減飽きないものかと遠くを見やった。

「だから僕らが言ってるのは、もっとこう、女の子が喜ぶような……」
「そーだよ! ブレスレットとかペンダントとか、そういう……!」
「装飾品……邪魔になるから、あの鈍臭い子にそれはどうかと思うけど」
「……やる気ねぇだろ、シファ……っ!」
「やる気がどうこうというよりも、そろそろ面倒になってきてるだけね」
「この薄情モンー!!」

 地団太を踏むラオを、シファは呆れて眺めた。よくこんなことに体力を使えるものだ。

「別に何でもいいじゃない。あの子のことだから、何をあげたって喜ぶと思うわよ」
「それじゃ駄目なんだよ!」
「……何がどう駄目なのか、論理的に説明してもらえる?」
「他の奴と差をつけたいからお前に聞いてんだろ!!」

 シファは眉根を寄せた。贈り物は本来ならば相手を喜ばせるためのものだろう。それが贈りたい物と一致しなければ駄目だなんて本末転倒ではないか。それを当然とするのが恋であれば、自分は到底、そんなものには入れ込めそうにない。
 もう放っておこうかと考え始めた頃、抗議に疲れたラオがふてくされて訊ねた。

「……じゃあ、シファは何を贈るんだよ」
「ああ、絵本か詩集を……あの子、孤児院の子供達に読み聞かせをしてるみたいだから」

 途端に、少年たちの顔が輝いた。

「それだ!」
「それだよ! どうしてそれを言ってくれなかったのさ!?」
「……どう違うの?」
「全然違うよ!……こうしちゃいられない、急がなきゃ!」
「シファ、ありがとな!」

 我先に駆け出していく二人を、シファは釈然としない気持ちで見送った。やっぱりよく解らない。持久力トレーニングにしろ童話にしろ、本は本だと思うのだけれど。
 首を傾げながら出した懐中時計は、約束までに丁度良い時間を示していた。シファはポストへ封書を投函して、軍本部へ足を向ける。手紙の宛て先は旧知のガーディアンだ。学生の身である彼女にとって、情報源となる存在は希少である。
 休日をわざわざ学友との約束に費やしたのには理由が存在した。昨日の事件について、軍から事情聴取の通達があったためだ。
 ガーディアンは司法局の管轄だが、国務府や軍部を代表とする各機関へ派遣されることも多い。事件の統括が軍であったのだろう。つまりそれは、背後にレックニアの存在がある可能性を示唆している。
 昨夜の事件は、一晩経っても彼女の心に引っ掛かりを残していた。うまく利用されただけだとは思うのだが、どうにも違和感が拭えないのだ。実情がどうあれ事件の内情を把握しておきたかった。
 ――もし背後関係が嘘でなかったとしたら、自分は、どうするつもりなのだろう。
 胸中に浮かんだ疑問には、すぐに答えは見つからなかったのだけれど。

 

 ヘルド帝国軍本部は、プラント地帯から伸びる大通りを南に抜けた位置にある。緩やかなアーチを描く三階建ての南北館と、中心の八階の中央館で象るのは、板に杭を打ったような光の女神の紋章だ。
 その大理石をまとった姿を光の女神シアになぞらえ、白い護壁の通り名を持つ建物は、その名のとおり帝都を守るかのように西端に位置する。
 白大理石の塗装の内部は、どこか角張った忙しなさに包まれていた。軍人らしい歩き方とでも言うのだろうか。清掃員にまでその癖は伝染するようで、一定のリズムを打つ足音の中、シファは意識して背筋を伸ばした。
 彼女が軍本部を訪問することは、既に定期的な習慣になっていた。彼女を頻繁に呼び出すのが誰であるかは周知のことで、それが、時折すれ違いざまに投げられる胡乱げな視線を引き起こしている。
 皮肉なものだ。実情は、妬みを向けられるようなものではないというのに。
 ぼんやりとそんなことを考えていると、遠くから嫌な声に呼び止められた。

「シファ様! やはりこちらにいらしていたんですか!」

 怒っていますと言わんばかりの響きに、シファはとっさに身をすくめた。このまま気付かない振りをして立ち去ってしまおうかという考えが頭をよぎるが、そうする前に、ガーディアンの制服が行く手を塞いでしまう。
 諦めの面持ちで、シファは男を見上げた。

「……キーン、久し振りね。あなたとここで会うとは思わなかった」
「私はクレニアでの調査の報告が……いえ、それどころではありません! 一体どういうおつもりですか!」
「……何のことかしら」
「意味もなくとぼけないでください昨夜の件です昨夜の! 聞いたときには心臓が凍るかと思いましたよ! どうにかご無事だったからいいようなものの下手をすれば御身に関わるようなことだというのに一体何を考えてらっしゃるんです――ってどうして耳をふさいでいるんですか!」

 相変わらず、どこで息継ぎをしているのか疑問に思う説教だ。恵比須顔の細い目を精一杯に吊り上げてまくし立てる青年に、だから手紙にしたのにとシファは胸中でぼやく。

「それは勿論シファ様のご判断ですから何らかの理由はあったのだと思います、思いますけど何もかもご自分でやろうとなさらずとも他にいくらでも方法が――」

 感情的になっている割に声を低めているのをみると、衆目があることは認識しているらしい。要は「自分に任せてくれ」と言いたいのだろうとシファは思うが、彼とて今や司法局特殊捜査部の一隊を率いる立場だ。連絡を取るだけでも億劫に感じてしまう。
 中世の主従関係は時流の中で風化したものの、ある事件を契機にして、キーン・デザイアはエレニノフ家に――特にシファ個人に、終生仕えると言明している。心強いとも言えるのだろうが、どうにも心配性が過ぎる男だ。

「……その件で、さっきあなたに手紙を出してきたばかりよ。司法局はどの程度事件を把握しているの?」

 矛先をそらした質問に、彼は不満げに眉根を寄せた。

「レックニアの諜報員が、少年を拉致して逃亡したと……現場に居合わせた隊が、管理局の要請で追ったようです」
「管理局の要請?」
「ええ。偶然、こちらが視察に訪れていたようで……容疑者は元軍属のようです。管理局では手に負えないと判断したのでしょう」
「そう……身元は割れているのね」
「はい。名前はヴィクトール・ケルグレイド……クレットカリス出身で、軍時代には叩き上げの士官だったようです」

 クレットカリスは有名な商業都市で、帝国が成立した際に統合された国の首都だ。情勢は悪くなく、諜報員であると断定するには難しい条件が付加されたことになる。
 思案げに黙り込んでいたシファは、やがてひそめた声で言った。

「キーン、エネルギー管理局の人間と話がしたいの。できれば技術部の主任クラスで、伝手を作ってくれる?」

 糸目の青年は苦虫を噛み潰した顔でシファを見たが、やがて、諦めたようにうなずいた。

「……わかりました。どうせここでお止めしても、私に黙って首を突っ込まれるんでしょうから」

 シファは小さく肩をすくめた。

「父には勘付かれようにね。あの人に口を出されると厄介だから」
「心得ております。……どうか、くれぐれもお気をつけて。決して私に黙って無茶などなさらないでください」
「ええ。じゃあ、頼んだわよ」

 ここで渋ればまた時間を食う。素直に肯くと、キーンは物言いたげな素振りを見せながらも、エレベーターに足を向ける彼女をそのまま見送った。
 柵が閉まると、シファは息をついて壁に寄りかかる。こちらの身を案じているのはわかるのだが、毎度のこと疲れる男だ。
 アカデミーに入って以来、シファは学生には分不相応なネットワークを構築してきた。それは人好きのする性格とは言いがたい彼女が、父親の権力も部下の顔の広さも利用できるものは全て利用して作り上げたものだ。現在では、情報収集能力も協力者の数も、それなりのものになっている。
 それでも、施政者である父に対抗するには到底足りない。今の自分には、資金も情報も人材も、全てが圧倒的に不足している。
 焦りを苦く自覚し、シファはため息を噛み殺す。反りの合わない許嫁とあれほどあからさまな仲違いをしながら婚約を解消しようとしないのも、それが帝国の総司令官を後ろ盾に持つことを意味することが影響しているのだろう。打算的な生き方を選んでいるつもりでいて、実のところ、ひどく中途半端なのだ。

(それにしても……本当に、偶然?)

 司法局に捜査を依頼されていた訳ではないのならば、エネルギー管理局が情報漏洩を隠蔽するためにでまかせを言った可能性もある。それに、昨夜の男が敵国の諜報員であるならば、レックニアにとって鬼門であるはずのエスト・エンドを指定した意図が見えない。
 はたと、シファは自分の矛盾に気付いた。

(……違うわ。あれはただの時間稼ぎなのに)

 堂々巡りだ。どうにも、騙されたということを納得していない節がある。シファは天井を仰いだ。自分で思うより、案外割りきりが悪いのかもしれない。
 厳重な警備体制を取っている最上階に着くと、やはり、最初に投げられるのは気に食わなさそうな目と型どおりの敬礼だった。
 目的の執務室は、この階の中心にある。入室を許可する声を待って、シファは見事な彫り飾りの扉をくぐった。
 総司令官の秘書が上品な会釈を向ける。その向こうで慌ただしく書類をまとめていた男が、ようやくこちらを振り向いた。

「やあ、シファ。時間どおりだね」
「ご無沙汰しております、ウィスハ佐官」
「ああ」

 彼はうわの空で答え、ふと、再び書類から顔を上げた。

「……そんなに久し振りだったかい?」
「二月ほどだと思いますが」
「そう、そのくらいだろう……嫌だな、なんだか歳を取ったみたいだ」

 時間の感覚は年齢が重なるごとに短くなるという。二回りの年齢の差と言うのはこういうものかと、シファは微笑を作った。

「すまないが、会議が長引いていてね。じきにお戻りだと思うから、あちらで待っていてくれないか」
「わかりました」

 今日の事情聴取は、わざわざ総司令官の執務室を指定されていた。本来ならば多忙な立場である総司令官が行うようなものではないのだが、どうしたことか息子との婚約がまとまってからというもの、たびたび呼び出しがかかるのだ。慣れもする。
 秘書室と扉つながりになっている執務室は、重厚な印象を与える調度品で整えられていた。書籍や書類は丁寧に分類されて戸棚に背を並べているが、それがこの部屋の主人の性格ではなく、彼の優秀な秘書の多大なる努力からきていることをシファは知っている。
 出された茶に口をつけながら、彼女は応対用のソファでぼんやりと物思いに沈んだ。
 MEASには重大な欠陥があると、昨夜の男――ヴィクトール・ケルグレイドは言った。
 大陸の三分の一が焦土になるほどの惨禍が二年足らずで訪れる。それが嘘であるにしても、あの突拍子のなさは、ある程度その中に真実を引用していたためだろう。
 そして、もしもそれが事実であるのだとすれば、それを防ぐ手立ても帝国は持ち合わせているはずだ。そうでなければ議会は黙っていない。議員が個々に情報収集を行っている以上、国外ならばともかく国内の情報を完全に隠蔽することは不可能に近い。MEASの開発より、既に五十年――それだけの年月、議会にだんまりを押し通すことは出来ないだろう。そしてその推測が正しいならば、議員にその危険性を認識させながらも運用を納得させるだけの材料があるに違いない。

(バシュタルト氏は……知っているのでしょうね)

 意味があるのかないのか歯解らないが帝国軍の総司令官はひどく含みのある物言いをする人物だった。シファは不審げに眉を寄せる。彼女がこの情報にたどり着くことを、期待していたとでもいうのだろうか。
 やがて扉が開く音がして、彼女は顔を上げた。佐官と秘書が長引いた会議を労う声が聞こえる。間もなく、この部屋の主が、客人のもとへ姿を見せた。
 腰を上げて待っていたシファは、丁寧に礼を取った。空気がわずかに重さを増したように思えて、知らず声が張る。

「久方ぶりにお目文字仕ります、閣下」
「足労痛み入る。……すまない、遅くなってしまったか」

 来客に席を勧め、帝国軍総司令官イーゲル・バシュタルトは、笑うように喉を鳴らした。

「話は聞いた。災難だったな」

 シファの父親とはアカデミーの同窓で、四十半ばという若さだが、彼はそこにいるだけで存在という重さを感じさせる男だった。目に見えない何かがともすれば声を押し潰そうとする。シファはそれに抗うようにして、平坦な微笑を作った。

「教官には油を絞られました」
「ニドか。あいつが人のことを言うと思うと、どうにも違和感が抜けんな。結果は成功だったのだ、判断自体は褒められたものではないが……そう気に病むことはない」
「……成功とは言い難いかもしれません。一人、取り逃がしましたから」

 いつもの調子で返した言葉に、ふと、相手が表情を変えた気がした。

「詳しい事情を聞かせてもらおう。名目上、此度は仕事なのでね」

 彼の秘書が、手早く二人分の紅茶を淹れ直す。扉を閉める音を最後に部屋に静寂が降り、シファは一つ息を吸って話し始めた。
 アカデミーの夜間警邏中に不審者と遭遇したこと、ヴァレス三番街で一度見失い、プラント街の紡糸工場内で発見したこと。掻い摘んで話した内容には、自分が聞いている「音」のことと、追い詰めた男が告げた言葉を差し引いた。
 総司令官は顎を撫でながら長い説明を聞いていたが、やがて、低く問うた。

「……なぜ、あれを追った?」
「手負いだったので、拿捕が可能であると考えたためです。……賊をご存知なのですか?」
「書類上だけだ。名前はヴィクトール・ケルグレイド。下級貴族の出だ。……気付いていたとは思うが、エネルギー管理局の衛兵だった」
「身元は確かだったのですか?」
「調査中ではあるが、今のところはな。さて……今の説明には気になる点がある。一度見失った時点で、君が敵を追う理由は消失したはずだ。それでも君はチームと合流せず、敵を再発見している。偶然にしては有り得ない確率だな。……なぜ見つける事が出来た?」
「見失った地点から大通りを避けて行き着く可能性が高いのは、こちらとプラント地帯でした。逃亡者に土地鑑があるならば、選ぶのはプラントでしょう。仲間の戻る場所はアカデミーですから、確実に合流するためには引き返すよりも進んだ方が無難だと判断しました。……その道中、敵を発見したわけですが」

 彼は喉の奥で笑った。

「素晴らしい偶然だな」
「ええ。お陰様で無謀な行動が一応の成功という形になりました」

 極力涼しい顔を心掛けて返し、シファは紅茶に口をつけた。
 そのまま、部屋の中に痛いほどの静寂が降りる。彼女は発言を頭の中で必死にたどった。何度も思い描いた返答ではあったが、相手が彼であるだけでこうも落ち着かないものか。
 ふと、バシュタルトが口を開いた。

「君は彼に……自分との、共通点を見つけたのではないかね?」

 奇妙な言葉だった。シファは訝しげな表情を作り、彼に訊ねる。

「私が、第一級犯罪者を故意に逃したと――」
「そうではない。言い方を変えようか……追う必要はなく、追うべきではなかった。それでも君が彼を追っのは、理由があるからではなく、追わずにはいられなかったからではないか?」

 心臓が早鐘を打ち始めた。まさしくその通りだったためだ。自らの手の内をさらけ出す気はなかったので、どうにか平静を塗りたくって返す。

「……不思議なことを仰いますね」
「そうかね?」
「ええ。私が相手を追ったのは、捕らえることが可能であると踏んだためです。手柄を焦っての単身行動に過ぎません」

 彼は唇の端を持ち上げた。自分の知らない何かを知っているのだろう。当たり前のことだが、釈然としない。

「……じきに、会わせたい人間がいる」
「どなたかお聞きしても?」
「答えを返すことは出来んがな。君に関わりの深い人間かもしれないし、そうではないかもしれん。もし、前者であるなら――まあいい。時が来ればわかる事だ」

 彼は言葉を止め、どこか苦さを含んだ表情を垣間見せた。疑念を浮かべたシファの言葉を遮るように、話題を別のものへ移す。

「……ところで、ここのところ、息子とはどうだね」

 それは詰問を打ち切る台詞だ。内心で安堵しつつ、彼女はゆっくりと肩から力を抜く。

「変わりありません。これ以上悪くなることはないでしょうが」
「先日は、模擬戦で叩きのめしたらしいな」
「耳のお早いことですね。私が直接負わせたわけではありませんが……まあ、軽傷です。彼は大袈裟ですから」

 飄々と言ってのけた。普通なら相手の親に向ける台詞ではないだろうが、そもそも最初からがおかしい。十歳の時分、初めて会った一人息子を言い負かして泣かせてからの付き合いである。恐らく我がままで甘ったれの息子を焚きつける意図で組んだ婚約だったのだろうが、そうであれば、見事に目論みどおりの展開を見せているように思えた。

「あれは多少偏屈が過ぎるが、我を押さえることを知れば、使えるようになるだろう。触発されればいいが……あのままならば、それまでだな」

 シファは複雑な思いでバシュタルトを見た。彼はしばしば、身内に対して冷ややかな物言いをする。似た者同士だと評したニドの言葉が、やけに胸に引っかかった。
 わずかに目を伏せ、シファは苦さを切り捨てるかのように話を戻した。

「一つ、お聞きしても宜しいですか?」
「なんだね」
「……ケルグレイドといいましたか。彼は何の罪で追われたのでしょう」
「面白い質問ではあるな。君はどう思う?」

 シファは内心で舌打ちした。この男がこのような言い方をするときには、解答を与えてくれはしないのだ。

「……エネルギー管理局は、帝国にとって最重要機密に属する情報を多く保持しています。考え得るものとしては、敵国の諜報員である可能性が最も高いのでしょうが……」
「納得がいかないのかね」
「ええ。いま私がここにいることも含め、不自然さがすぎます。よほど重要な事件なのだということは推測がつきますが」
「おや。君は私の期待を一身に受ける士官候補生だ。何ら不思議ではあるまい?」
「からかわないでください。よもや、本気で仰っているわけではないでしょう?」

 淡白に返すと、彼は可笑しそうに笑った。

「可愛げがないな」
「自覚はあります」
「もっとも、私はそこが気に入っているのだがね。捻くれ者で、冷静で、感情の起伏が少ない。是非息子と上手くまとまって欲しいものだ」

 頭痛がする。どこまでが冗談で、どこからが本気なのか。
 シファは無表情のまま、押さえていた指をほどいた。

「……情に厚く感情的で、素直ですよ、私は」

 彼は笑って、取り合わなかった。