03

後始末

 どうやら散々待たせたようで、班の二人は彼女の顔を見るなり泣き言をまくしたてた。
 幽霊を見ただのどうだのと騒いでいたが、どうせ見間違いだろう。そう思ったシファがいつものように適当にあしらっていると、反省のかけらもないと怒りだしたラオに、なぜだか従妹への贈り物について探りを入れることを約束させられてしまった。
 それだけでもため息が出る話だというのに、彼女にはまだ、面倒な仕事が残っていたのだ。
 自分の失態を報告しなければならないという、気の重い役割が。

「……なるほどなァ……」

 親指の腹で顎を撫で、アカデミー屈指の実戦経験をもつ教官はつぶやいた。
 下げられた左腕は肘から先を戦場で失っている。それにも拘らず、手合わせで彼に白星を上げた生徒はごくわずかだ。これでもっと威厳というものの似合う言動を持ち合わせていたならば、かつての英雄像に憧れて入学してきた少年達を幻滅させることもないのだろうが。
 報告に来た教え子は、微動だにせず彼を見返した。
 シファ・エレニノフは普段から表情に乏しい少女だが、今はどことなく不機嫌に見える。まだまだ子供だと胸中にこぼし、ニドは苦笑を刻まないようにして息を吸った。

「単独行動はするわ深追いはするわ、正気の沙汰とは思えんな。戦場で同じ事をやってみろ、部隊は全滅、作戦はガタガタ、下手すりゃ本国にまで被害が及ぶ。考える頭があるなら少しは使ったらどうだ」
「……はい」

 反論を飲み込むかのように、シファが唇を結ぶ。
 珍しい事もあるものだとニドは思う。彼女の父、グーデン・ロウガ・エレニノフとは旧知の仲であるため、娘であるシファのことも乳飲み児の頃から知っているが、ウリタスが口を酸っぱくして繰り返した基本中の基本を勇み足で失念したとは思えない。

「なぜ追った?」
「……申し訳ありません」
「俺が要求しているのは、謝罪ではなく釈明ないんだがな」

 だんまりを決め込むシファに、ニドは諦め気味のため息を吐き出す。軍であれば怒鳴りつけて頬を張り飛ばしてもいいが、現在のアカデミーは名家の子息子女の学び舎だ。軍属となることが決まっているわけでもないが――今回の彼女の行為は、たとえ成功したとしても、その意味するところが少々まずい。

「そんな奴に他人の命を預かる資格があると思うか? こんなことが続くようなら、軍には間違っても入れられんぞ。手前の力量を過大評価するな」
「はい」
「解ったなら行け。二度とないよう、肝に銘じておけよ」
「はい。……失礼します」

 一礼して部屋を出ようとしたシファを、ニドは一度呼び止めた。カップを持ち上げながら、砕けた口調で付け加える。

「ああ、それからな。馬鹿真面目に失敗を言いふらすんじゃねぇぞ。ごまかせる程度なら上手くごまかせ。それが賢いってことだ」
「……いやに実感のあるお言葉ですね」
「さてな」

 くくっと喉で笑い、彼はコーヒーを喉に流し込んだ。
 教官室を出て、シファは必要以上に疲れた気分で首筋を押さえる。そういえば、ここまで油を絞られたのは数年ぶりだ。
 思い出したのが父親のことだったので、機嫌は分かりやすく傾いた。

「シファ」

 聞き慣れた声の呼びかけに、シファは一呼吸置いて振り返る。
 案の定、予想していた相手の呆れ顔に出くわした。
 銅色の短い髪は、帝都では少ない色だ。イェン・アスターは、全体の二割を占める地方出身者にあたる。服装は決して高価なものではないが、無駄なく鍛えた体や世慣れた態度には、その辺りの貴族のお坊っちゃんよりもよほど揺るがない芯を思わせた。
 人付き合いの苦手なシファにとって、彼はアカデミーで初めて打ち解けた友人ではあるのだが――今は聞かれることが分かりきっているだけに、ため息が落ちた。

「何か用?」
「お疲れだな。珍しいこともあるもんだとは思ったが……それ、怪我か?」

 相手の仕草に自分の袖口を見ると、臙脂の生地に血の跡が見てとれた。

「私の血じゃないわ。……あ、裾にも……落ちるかしら、これ」
「つくづくお前、そういうとこがお嬢じゃないんだよな……手くらいちゃんと洗っとけ」

 無造作に手首を取られて、彼女は胡乱げにそれを払った。

「無闇に女性の手に触れるのは、どうかと思うわ」
「ああ悪い、生物学的には女性でいらっしゃいましたっけ? 敵国の諜報員と大立ち回りやらかすような奴だから、すっかり忘れてた」

 軽口を無視して蛇口をひねると、シファは冷たい水の中に手をやった。刺すような温度に無言になったシファに、イェンがハンカチを差し出す。そういえば、自分のものは、血塗れになって捨てたのだった。

「あいかわらず察しがいいわね」
「……素直にありがとうとは行かなくても、せめて気が利くとか言えないか?」

 肩をすくめ、シファはハンカチを受け取る。

「それにしても、随分と話が駆け巡ってるみたいね」
「ラオが口滑らせてたからな。途中から、ほとんど武勇譚になってたぜ」

 可笑しそうに喉を鳴らしたイェンに、こめかみを押さえた。この分では尾ひれに背びれもつけて大袈裟な話をしていそうだ。

「あいつ、悪気はないんだろうがな」
「なければいいってものじゃない。実際のところ、運が良かっただけなのよ」

 口調に疲れを見て取ったのか、イェンが意外そうな顔をした。

「それにしても、一体どうしたんだ?」
「半分は聞いてる通り。あと半分は……勢い、かしら」
「……は?」
「隠すわけにもいかなかったのよ。相手を追っていたのが、警備隊だけじゃなくて」

 彼が訊ねたのが「何故追ったのか」であることを理解しながら、シファは意図を外した答えを返した。一瞬物言いたげな顔をしたものの、彼は追求せずに話を合わせた。

「聞いてるよ。ガーディアンだろ。相手がレックニアの諜報員なら不思議じゃない」
「……違うと思うわ」

 シファは無造作に袖を捲って、右腕を灯りに晒した。
 赤く残った痣に、イェンが顔をしかめる。

「どうした、それ」
「属性反発。まともに飛ばされたわ。打ち身だけだけど、実はまだ背中が痛い」
「おいおい、よくそれだけで済んだな……」

 同じ属性の物質干渉能力は同じ対象に発動した場合、強い反発を起こす。外傷がないのは幸運としか言いようがないだろう。

「じゃあ内通者の線か。上は大わらわだな。どっちにしろ、無茶も程々にしとけよ」
「お説教なら間に合ってるわ」
「……お前、懲りてねぇな?」

 半眼でつぶやかれた言葉をわざとらしく聞き流す。談話室に入ると、ざわめきが、急にひそやかになった。
 何を恐れてのことかは明白である。二人の人間がその場に居合わせたためだ。一人はシファ自身であり、もう一人は――カデナーノイ・バシュタルト。帝国軍総司令官の息子である彼は、彼女の許婚にあたる。
 異様に張り詰めた空気の中、少女は少年に対して、ゆっくりと微笑を作った。
 人形のように無感動な、形だけの笑みだ。シファにとって数少ない、苦労せず作ることのできる表情である。

「あら王子様、お加減はいかが? 模擬戦での怪我を心配していたのだけれど」
「は! 加減は悪いに決まっている。貴様の顔を見たからな、エレニノフ」
「それは嬉しいわ。貴方にご機嫌になっていただいてはこちらの気分が悪いもの」

 シファは笑みを貼り付けたまま言い放ち、カデナーノイが怒りに顔を赤くする。また始まったかと、イェンが天井を仰いだ。
 取り巻きを従えた少年の振る舞いは、常々アカデミーの支配者を名乗らんばかりに尊大だ。その高慢で感情的な態度が少女の癇に障るらしく、また少年も理屈家で合理主義的なきらいのある彼女が気に食わないようで、両者は事あるごとに対立を繰り返している。

「ふん……それにしても、今日は随分と愚かな真似をしたようだな。単独行動に走るなど、貴様のような女の下につく兵に同情する」
「否定はしないわ。けれど、そうね、あなたの下につく兵とどちらがより災難かしら。しばしば癇癪を起こす上に、失敗の責任を部下に押し付ける……今日の模擬戦を見たままの感想なのだけれど、指揮官に必要なのは責任に対する勇気ではない?」
「……貴様こそ、冷静な判断とやらが聞いて呆れるな! 独断で深追いするなどとは、軽率にも程が――」
「確かにあなたならそんなことは有り得ないでしょうね。王子様は大変だわ、大勢の取り巻きに守ってもらわないと、一歩たりとて動けないのだもの」
「貴様……侮辱する気か!?」
「すぐに挑発に乗るなんて立場のある方の態度とも思えないわね。帝国軍の総司令官は血縁では選ばれないのよ。あなたの実力で手に入れることのかなう地位かしら? お父上のご心労が察せられるわ」

 普段の淡白さの欠片もなく、シファは立て板に水の勢いで畳み掛けた。
 実際、バシュタルトの感情的な非難は的を射ている。射てはいるのだが、はいそうですねと頷くつもりはない。こと嫌いな相手に対する彼女の姿勢は清々しいまでに一貫している。
 いがみ合う二人の緊張が最高潮に達しようとしたとき、場違いな声がそこへ割り込んだ。

「あ……シファ! ここにいたの」

 たった一声で、場の空気が一変した。
 談話室に顔を見せた少女は、声にたがわない姿をしていた。肩にかかる金色の巻き毛と、春の空の瞳。可憐な面差しは彼女の呼び名どおり、天使のような印象を抱かせる。
 リーホア・エトセイルは張り詰めていた空気をものともせず、従姉のもとに駆け寄った。

「よかった、無事だったのね。怪我はない?」
「……見ての通りね」

 騒がれるのが面倒で、シファはさりげなく袖を隠す。素っ気ない答えだったが、彼女は心の底からほっとしたように手を合わせた。

「ちっ……おい、行くぞ」

 カデナーノイが取り巻きを促して談話室を出て行く。彼もこの少女を苦手としているようで、リーホアが介入してきた場合の一時停戦は、既に暗黙の了解となっていた。
 大した神経だとシファは思う。彼に喧嘩を売る人間もそうはいないが、自分たちの間に割って入る人間はさらにいない。その大した神経を持った少女は、心を砕いて言い募った。

「シファ……お願いだから、あまり無茶なことはしないでね。伯父様だって、とても心配なさって――」
「はいはい、わかったから」
「シファ」

 言葉を遮られて、彼女は儚げに眉根を寄せる。頭を抱えたくなって視線を投げたシファに、お鉢を回されたイェンが身を竦めた。

「あー……そういえば、リーホア。槍術の授業はどうだ?」

 不自然極まりない話題の振り方だったが、リーホアは素直に受け取って表情を翳らせる。これで矛先を変えることが出来る辺り、本当にシファと血が繋がっているとは思えないほど素直だ。

「……がんばっている、つもりなんですけれど……」
「向き不向きあるからな。どうしても駄目なら、暇なときにでも練習見てやろうか?」

 深い考えもなく転がり出た言葉に、談話室がどっと騒がしくなった。

「おい待て! イェン、お前抜け駆けだぞ!」
「駄目だよリーホア! 悪いことは言わないから、こいつに近づかないほうがいい!」
「えっ? あの……どうしてですか?」
「シファから聞いてないか? こいつこんな『女に興味ありません』って顔しといて、実のところ――」
「おい、ちょっと待て。何でそんな話に……」

 助け舟を出すはずが、代わりに泥沼に突き落とされたような気分だ。突如沸き起こった騒動の中、シファまでもが呆れたように言う。

「今度はこの子なの? 移り気も程々にしなさいよ」
「だから、違うっつって……!」
「まあ別にいいけど。こじらせて、誰かに刺されたりしないようにね」

 言いたいことは山ほどあるが言葉にならない。イェンが耐えがたい様子で顔を覆うのをよそに、シファは時計に目をやった。そろそろ戻らなければ、シャワーを浴びる時間もなくなる。
 きびすを返そうとして、彼女はふと、思い出したように従妹を振り返った。

「そういえば、リーホア。聞きたいことがあるの」
「何?」
「今、何か欲しいものはある?」

 ささやくように低く訊かれ、彼女は目をしばたかせた。

「ええと……体力かしら」
「……そう。伝えておくわ」

 シファが得てきたその回答に、大小二人が納得しなかったのは言うまでもない。