15

滅びの柱

 目的地が近づくにつれ、体調は悪くなっていった。
 予想通りだ。シファは胸中でこぼして水筒のブランデーに口をつける。わずかな量のアルコールで、苦痛は簡単に押さえ込まれた。
 吐き気も頭痛も耳の奥で空回り続ける音も、軍本部で感じたほどのものではない。精神的なものが関わるのだという総司令官の言葉は正しいのだろう。
 雪が降り始めたことで、帝都の気温は加速度的に低くなっていた。臙脂の外套の襟を合わせて吐いた息は、白く濁って既視感を呼び起こす。
 あのときには、月が出ていた。
 大して過去の話ではないのに、何故かひどく遠い出来事に思える。
 管理局の鉄柵は高く黒く曇天に向かっていた。適度な間隔を置いて配置された衛兵の物々しさが、警備の厳重さをうかがわせる。

「……きつそうだな」
「見た目はね」

 飄々と言ってのけたシファに、イェンが渋い顔をする。
 外部からの侵入者に対しての警備は厳しいが、反面、職員が多いため内部からの攻撃の想定が甘い。ニドが指摘した点に管理局の最高責任者の手引きが伴えば、武力なしに目的を達すること自体は不可能ではなかった。
 問題は、その後だ。
 これから何年、何十年という間、国から逃げ続けなければならない。奇しくも示された行き先は古都エスト・エンドだったが、捕らえられることなくそこまでたどり着けるかどうかが、差しあたっての難関になる。
 ふと、イェンが呟いた。

「なあ……」
「何?」
「……いや。何でもない」

 シファはわずかに眉をひそめたが、そのまま門扉へと視線を戻した。怪訝な目を向ける衛兵に、はっきりとした口調で言う。

「シファ・エレニノフです。レツィト管理局長にお取次ぎください」
「……失礼ですが、お約束が?」
「ええ」

 衛兵は、困惑した様子で顔を見合わせた。段取りの悪さに目を眇める。連絡に不備があるならばすぐに確認を取るべきだ。何をもたついているのかと、声に険を混じらせる。

「何か?」
「申し訳ありませんが、現在MEASの調整中でして……日を改めていただけないでしょうか」

 口調は丁寧だが、事実上の門前払いだ。
 確かに普通であれば来客を受け入れるような時間帯ではない。だが、責任者へ確認も取らずに追い返されるいわれもまたないはずだ。

「……お取次ぎくださいと言った筈です。それはあなたの権限ではないでしょう」
「しかし……」

 なおも渋る衛兵をきつく睨むと、彼女の背後にある権力も手伝ってか、わずかに怯んだ。大人しく引き下がる気など毛頭ない。どう言い包めるかと打算をまとめ始めていたシファは、柵の内側から投げられた声に顔を向けた。

「いいんじゃないの。通してやれば?」

 ケリエ・サイセンは、常と同じ投げやりな目をこちらに向けて、軽く鼻を鳴らした。

「し、しかし……」
「彼女、総監殿のご令嬢よ。追い返したほうが面倒事になると思うけどね」

 ぞんざいな口調で親指をしゃくる。衛兵の二人は不信を隠しきれない様子で言葉を交わしあっていたが、やがて煩わしげに顔をしかめたまま、前を譲った。

「……わかりました。どうぞ」

 門が開く間にイェンと視線が合い、シファはわずかにうなずいた。
 白衣の背中を追うようにして、鉄柵の中に足を踏み入れる。ぴりぴりとした空気の中、シファは彼女に声を掛けた。

「ありがとうございます。助かりました」
「別に。感謝されるほどのことはしてないわ」

 門から施設までは、歩いて数分程度の距離がある。味気ないが物の隠れる影もない、一面の砂利を一望して、彼女はふと覚えた疑念を持て余した。
 管理局の扉口で、両脇に控えた衛兵が慇懃な礼を示す。
 扉が開くと同時に流れてきた暖気が胸を焼く。ケリエが顔をしかめたまま、顔を仰いだ。

「あたしも、さっきまで篭もっててさ。言っとくけど、すぐには――」

 背後で扉が閉まる音がした。その刹那、シファの頭上に凶刃が閃く。
 それを降り降ろされる前に、衛兵の腕を掴んで力任せに引き伸ばした。間髪入れず、その上を滑るようにして右肘を跳ね上げる。

「きゃっ!?」

 ケリエが悲鳴を上げる。シファは顎に入った肘をそのまま流して腕を引き、襲ってきた衛兵を床に引き倒した。ナイフが乾いた音を立てて床に落ちる。続けて鳩尾に膝を打ち込み、敵を無力化する。
 鈍い音に顔を上げると、イェンの足元にもう一人の衛兵がくず折れていた。

「怪我は?」
「掠めただけだ。そっちは……無事だな」
「……な……なんなのよ!? アンタたち、一体どういうつもり――」
「これを」

 裏返った声に、シファは拾い上げたナイフを見せた。ケリエが青ざめて口元を覆う。

「手伝ってください、そこに運びますから」
「あ……え、ええ」

 シファが示したのは手洗いだった。動転した様子だったが、彼女は言われるままに気を失った男を引き込む。
 用意していたテープを引き出して、手早く敵を拘束した。まさかこんなに早い段階で使う羽目になるとは思わなかったと、シファは段取り狂いに苛立ちを抑えながらつぶやく。

「……正規の軍じゃないわね」

 それどころか、民兵といっても差し支えないレベルだ。指導者と支援者は確実に存在するだろうが――その正体は、推測がつく。
 目と耳まで覆われたミイラを掃除道具のロッカーに押しこみ、イェンが渋面を作った。

「……レックニアの差し金か」
「少なくとも、支援を受けた武装勢力ってところ。こっちもしていることだし、大きなことは言えないけど……嫌な手だわ」
「ちょっと、どういうこと……!」

 大声を上げるケリエの口を手で押さえ、シファは単調に説明した。

「管理局が制圧された可能性が高いということです。……わざわざ制服まで用意しているのをみても、秘密裏に事を行っているようですね。騒がれるよりは中に入れて、口封じをと判断したのでしょうが」
「そんな……信じられない……」
「気付かれなかったのですか?」
「気付かないわよ。だって、別に何も、変なことなんて……」

 言葉が尻すぼみになったのは、研究室に篭もっていたという理由だろう。

「門の二人にお見覚えは?」
「衛兵の顔なんて、いちいち覚えてないわよ。……ここ、人が多いし」

 シファは思案げに顎に触れた。敵の人数は把握できないが、これだけの規模の施設を制圧するには少なくとも二十人が必要だ。現在の捕虜は二名。ただ、情報を引き出すには状況が不利に過ぎる。何よりも、回りくどい手を使う意図が見えないのが不気味だ。
 敵は恐らく、局部的な制圧を目論んでいる。だとすれば、MEASの破壊が目的ではないはずだ。すぐに思いつくのは機密の持ち出しだが、MEASが精霊王の遺物である以上、複製は不可能だろう。核の移動も、簡単に出来るようならば帝国がとうにやっている。

「どうする、起こすか?」

 イェンが掃除用具のロッカーを蹴る。目的や敵の構成を聞き出そうと言うのだろう。

「危険ね。大声を出されたらお終いだから」
「……何もしないで、外に事情を知らせるのが一番ってことか。門の二人くらいなら突破できる。敵が帝国の人間ならなおさら権限もないし、軍に任せた方が――」

 言葉はそこで途切れた。
 閃光が窓の外を内を視界を白く染める。形容しがたい音が耳を貫き、床に振動が走る。
 その瞬間、帝都は圧倒的な熱量に夜を奪われた。

 

 

 

 エネルギー管理局を中心とした光の柱は、まっすぐに天を貫いた。
 上空を覆う暗雲さえもかき消し、不自然な明るさが目を灼く。
 瞬きを二度する間にその光は掻き消えたが、その不気味な静けさは帝都だけでなく、近隣諸国をも震撼させた。

 ――その刹那、世界は滅びを目の当たりにしたのだ。