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覚悟

 祭りの翌日の駅は、地方へ戻る人の群れが疲れた賑わいを見せていた。
 続けざまに汽笛の響いたホームで新聞屋や花売りが精を出しているのを横目に、ケリエは手にしていた飴を戻した。何か菓子でもと思ったのだが、病人には辛い甘さだろう。
 ため息を一つ落とし、低い声で問いかける。

「……大丈夫なんでしょうね」
「こちらは最善を尽くす。あとは、あなたとあの娘の体力の問題だ」

 カラハル訛りの言葉に、ケリエは皮肉げに鼻を鳴らした。隣からその手元に落ちる無駄に長い影は、見張るように隣に立つ男の足に縫いついている。
 結局小さな花束を買って列車の窓に戻ると、妹が不安げな顔で身を乗り出した。隣に座る小太りの男は、ケリエの予想に反して善良を絵に描いたような顔をしていたが、やはり知らない人間との遠出は心細いのだろう。

「……お姉ちゃん……」
「いい、おじさんの言うこと、よく聞くのよ」

 細い手に花を持たせ、優しく言い聞かせる。妹は素直に頷いたが、骨ばった指は彼女の手を離そうとしない。ケリエは出来る限りの優しい笑みを浮かべると、妹の頬を撫でた。

「ほら。お姉ちゃんもすぐに行くから、そんな顔しないの」
「……うん」
「体が辛かったら、遠慮なく言いなさいよ。言わなきゃわかんないんだから、絶対我慢しちゃ駄目よ。約束ね」
「うん、わかった……」

 背の高い男が戻ると、妹が居心地悪げに窓際へ詰めた。彼はもう一人と違って人相が悪いので、怯えているのだろう。
 汽笛が駅に響いた。名残惜しそうに離された手に、彼女は困ったような苦笑を浮かべる。
 ケリエにとって、年が離れた妹の存在は足手まといでしかなかった。酒飲みの母親が置いていったお荷物。確かに彼女は、そんな妹を疎んでいたはずだ。
 だが、妹が重い病を患ったと知ったとき、ケリエは強い意識の変化を迫られた。
 守らなければ、と思ったのだ。過酷な運命を与えた何者かに対する怒りは、そのまま妹への愛情となった。大学を辞めて引き抜きに応じたのも、その給与だけでは足らず密かに民間企業へ技術を売ったのも、全て妹のためだった。少なくとも、彼女はそう信じていた。
 プラットホームを出た列車はけたたましい音を連れて、瞬く間に小さくなってゆく。
 鉄道を使えば朝にはクッカファリリへ着く。そこからの移動はまだ長い。病を患っている妹には厳しい道程だ。これは、大きな賭けになる。
 小さく振っていた手を下ろすと、一瞬だけ祈るように目を伏せ、ケリエは駅を後にした。
 引き返す道はなかった。




      *


 アカデミーの宿直室はひどく手狭だ。相部屋であることを差し引いても学生寮のほうがまだ広いのではないかとは、教官の意見の一致するところである。特にこんな冬の頃は、年季の入った建物であるだけに、隙間風が身に凍みる。
 ストーブに薪を加えたニドは、ゆっくりと息をついて、深夜の来訪者を顧みた。

「思ったよりも早かったな」
「……随分なお言葉ですね」

 シファは憮然と返した。いつも通りの憎まれ口に、ニドは笑いながらコーヒーを淹れる。

「お前は生真面目な分、ああだこうだと悩みを広げそうだと思ってな」

 強い香りが鼻につく。
 いつもなら断る苦手な飲み物だったが、彼女は大人しくカップを受け取った。

「で?」
「……欲しいものは手に入れる努力をしろと、仰いましたよね」
「ああ」
「私は、彼に生きていて欲しいと思います」

 ユズリは手を離した。自ら戻るのだと言った。だから生きていて欲しいと言うのは、シファの身勝手な感情でしかない。
 それでも、彼が死んでしまってはそう願うことすらもうできない。後悔が夜のようにやってくるのを、ただ蹲って待つのだけは嫌だ。
 マッチを擦る音が小さく響いた。やがて煙草の煙が、沈黙とともに部屋にたゆたう。

「お前に、覚悟はあるのか?」

 その言葉に、即答することはできなかった。
 覚悟はあるのだと言える愚かしさが欲しかった。彼だから嫌だなどという身勝手さがもどかしくて許せなくて、普通のことだなどと思いたくもなかった。誰であってもそんなことは間違っていると言い切る、そんな強さがあれば、きっと迷ったりはしなかったのだ。
 中途半端だと思う。それでも今は、頷くことしか出来ない。

「はい」
「後悔しないか」
「……それは……多分、難しいと思います」

 苦笑交じりの言葉は、彼女の本音だった。

「自分にとって、何が正しいのかすら解っていないんです。このまま何もしなければしないで後悔するでしょうし、何もしなければ良かったと後悔するかもしれない。……だけど、何もかも思い通りにならなるような方法なんてないなら、捨てられるものは捨てます」
「……色気ねぇ言い方だな。お前らしいと言やあお前らしいが、『何を捨ててもいい』くらい言ってみろ」
「だって、嘘ですよ、そんなの。……捨てられないものなんて、山ほどあります」

 全てを捨てることは、結局、自分にはできないのだ。彼以外はどうなってもいいと、他には何も要らないと、嘘でも言えるなら――そう願う時点で、自分はそれを選べない。
 シファはカップを握り締めた。
 大切なものが、嫌になるほどこの手の中にある。数え切れないそれらのものを、それらの人々を死なせても構わないと言えるほど、自分を見失うことはできない。それが自分だからだ。それだけは譲ることのできない、比較など何の意味もない、自分の意思だからだ。
 迷いを打ち払おうとするシファに、ニドが強い声で告げた。

「なら、お前はあいつと国を出ろ」

 シファは打たれたように顔を上げた。経験という重みを持つ男の目が、静かにそれを見返す。

「今のこの国は、『箱』があることに慣れきってやがる。ヴィクトール・ケルグレイドが考えたのも恐らくそこだ。解決つけなきゃならん奴らが『まだ先がある』と思い込んどる。このままでは埒があかん。強引にでもMEASを停めさせてしまえ」
「……ですが」
「どいつもこいつも勘違いしているようだがな。この国は、MEASが停まったところでそう簡単に潰れやしねぇ。蒸気機関のノウハウはまだ残ってるんだ。そりゃ少しは面倒事も増えるし不具合も出るだろうが、それだけだ」

 シファは眉を寄せた。それだけとは到底思えない。蒸気機関への切り戻しには莫大な費用がかかる。そうでなくとも少ない国内の炭鉱は既に大半が閉鎖されている。産業が転べば国の歳入が激減する。莫大な戦費を補うために税率を上げれば属国の不満が高まり、内乱が続けば戦争に負けてしまう。そうなれば、この国を待つのは最悪の状況だ。
 ニドは喉で笑い、コーヒーを飲み干した。

「お前は本当に優等生だな。考えることが教科書そのままだ」
「……間違っているとでも仰るんですか」
「戦争に金がかかるのは常識だ。それだけの利益と必要性を見込んで国は戦争を続ける。……なら、この場合の利益は何だ?」
「……」
「土地か? 金か? 人か? 自由か?……そいつを手に入れるのに戦争よりももっと効率的な方法があるなら、国はそれを選ぶべきだ。要は国の事情というよりゃ人の事情だな。国の中でも利害関係はある。戦争を止めたくない奴もごまんといるさ。だがな、俺に言わせれば、それは国を潰すような動機じゃない。そいつらを黙らせるためには、戦争を続ければ損をする状況を作ってやればいい」

 沈黙した教え子に口角を持ち上げ、彼は断じるように言った。

「お前が思っているほど、世界は単純にできてねぇよ。――腹を括れ。お前が、この国を変えてみろ」

 大げさなと、シファは顔をしかめそうになった。実際大事ではあるのだが、誇張された口調にはどうにも反発を覚えてしまう。そんな彼女の困惑を無視し、彼はそのまま続けた。

「レツィトはお前につく。管理局の局長だ、これ以上はない味方だろう。問題は時間がないことだな……回復処理を停止したせいで、MEASが不安定になっとるらしい。下手すりゃ、数日中にでも『箱』を使われちまう」

 とっさに腰を浮かせたシファを、ニドが手を振ることで宥める。

「落ち着け。何も今すぐというわけじゃない」
「時間がないのでしょう。……手を貸していただけるんですか」

 灰皿に灰を落とし、ニドは唇の端を持ち上げた。

「馬ァ鹿、俺が直接しゃしゃり出てどうする。叛逆の後始末をやる人間がおらんだろうが」

 確かにその通りではある。だが、内通者がいたところで、その作戦を一人で実行するのは困難だ。
 そんな思いが顔に出たのだろう。彼はにやりと笑みを深くする。

「お前には味方がいるはずだがな。そいつ一人説得できんようじゃ、先が思いやられるぞ」

 ――味方。
 口の中で反芻して、シファは眉根を寄せた。彼が言っているのが、遠出の腹心ではないこと察したからだ。

「まあ、今回は時間がないんでな。説明する手間は省いてやった。あとはお前から話せ」
(……まさか)

 嫌な予感とともに振り返ると、諦めたような間を置いて扉が開いた。

「イェン……」
「……よう」

 ぎこちない沈黙が部屋を満たす。
 どちらともなく視線が外れた。ストーブの音が、どことなく気を抜くように鳴る。段取りの早い教官に胸中で悪態をついていると、イェンは一つ息を吐いて、彼女に目を戻した。

「……トウマは、範囲内だった」

 一瞬何の事かと思い、ああ、と納得する。
 IREの爆発は帝国の三分の一を焦土に変える。彼の故郷はその中に含まれていた。それが彼にとって十分な理由になることは、彼女にも理解できる。
 バシュタルトがイェンに口を割らせたのは、その必要があったからではない。虱潰しに探さずとも、おそらく、彼はすでに目星をつけていたはずだからだ。
 お互いに負い目のほうが大きいのか。そう思うと、肩から力が抜けた。

「……お互い、約束を果たしただけってことね」

 こちらに向けられた視線が、自分の推測を肯定した。謝る必要はない。気に病む必要もない。求めるものは、別にあるのだ。

「迷惑をかけることになるけど、もう少し付き合ってもらってもいい?」
「……いいも何も……お前、さらっとでかすぎる対価求めるよな」
「無理にとは言わないけど」
「嫌だとは言ってねぇよ」

 イェンはくしゃくしゃと髪を掻き回す。いささか驚いて、シファは彼を見返した。
 すでに、秘密裏に行うことができる種類の話ではない。いくら学生であり、ニドが庇い立てしたところで、彼の将来に大きなマイナス要因を残すことは疑う余地もないだろう。
 それをその程度と言ってしまうのだから、大物だ。

(……きっと、こういうところだわ)

 彼は優先順位をごまかさない。大切なものにはきちんと順番をつけていて、上位のものを守るためならば迷わない。そんな潔さを、羨ましく思っていた。
 そしてその優先順位の中に、自分が組み込まれているなんて思わなかったから――ひどく、嬉しいと思った。

「話は決まったな。早いうちにおっ始めるか」

 ニドは呆気ない口調で言い、管理局の見取り図を広げた。シファは顔を引き締めると、二人に視線をめぐらせる。

「ありがとう、イェン。……教官も、よろしくお願いします」
「気にするな。俺はガキを死なせても構わないと思うほど、今のこの国を買ってないんでな。どうせなら給料を貰っとる連中に頭を捻らせりゃいい」
「……父には、何と?」
「なに、いつまでもガキをガキだと思ってるからだとでも言ってやるさ」

 笑みを消し、彼は二人の教え子を見据える。

「いいか、これは何の関係もねぇ第三者にとっちゃ、ただの叛逆だ。エレニノフ、お前は今回の責任をすべて負うことになる。国に戻ることはまず適わんと思え。アスター、お前は残るなら更に難しい立場に置かれる。その覚悟がないなら今すぐに戻れ」
「もう答えた筈です」
「今回ので死人出しさえしなきゃ、実家でしばかれることはないんで」
「……素直にハイと言えんのか、お前らは」

 軍人には程遠い反応に、ニドが渋い顔をする。
 ストーブの上、薬缶が甲高い音で沸騰を知らせた。