12

 空は暗く沈みはじめていた。この季節、帝都の夕暮れはひどく短い。空気もさらに肌寒さを増していて、握り締めた掌に指先を冷たく感じた。
 執務室の窓は警備上の理由から、外部から死角になる位置にくり抜かれている。薄暗さに目を細めると、急に部屋の照明が点いて、シファは一度目蓋を伏せた。
 バシュタルトは彼女に椅子を勧め、思い出したように問いかけた。

「何か飲むかね」
「いえ……結構です」

 耳の奥へ棲み着く音は、いつのまにか警鐘のようにけたたましくなっていた。胸を押す息苦しさも強くなる一方で、衝動に駆られて唇を噛む。精神的なものだとは思いたくない。

「……ご存知だったのですね」
「君らしくもないことをしたな。……あれが気に入ったか?」
「彼の父親に託されました。そんなものではありません」

 バシュタルトが、わずかに目をみはった。
 訝しげに見返したシファの前で、彼は肩を揺らせて笑い始める。

「は!……なるほど、巧い事を言う」

 笑みに細められた目が、背中を粟立てた。嗜虐ささえ含み、彼はゆっくりと告げる。

「ヴィクトール・ケルグレイドと『彼』の間に、血縁関係はない。……あれは、私の息子だからな」

 予想だにしなかった言葉に、シファは声を失った。それでは、今まで自分が根拠としてきたものは、全て引っくり返されてしまう。

「大方、あれの境遇に同情でもしたのだろう。赤の他人に手助けさせるには最適な虚言だが……馬鹿なことをしたものだ」
「……馬鹿なこと……ですか」

 血の繋がった父親の言葉とは思えない。批難の響きに、彼は興味深げに顎を撫でた。

「すでに慣れたのだよ。十八年もそうしていたのだ。理解しろとは言わんが……君ならば、言わずとも理解しているだろう。違うかね?」

 ――頭が割れるように痛い。うるさい、と胸中で吐き捨てた。呼吸をすることすら難しく、膝の上で掌を握り締める。

「……構わないのですか?」
「今までにも散々聞いた台詞だな。無意味だとは思わないかね。何ら解決方法を持たないならば、それは他人の傲慢さでしかない」

 どこまでも理性的な返答だ。帝国はMEASを捨てることができない。内部にも外部にもその理由は数多ある。解りきった答えだ。
 けれど、その意味を噛み砕くことはできなかった。
 目の前が霞み、シファは口元を押さえる。気を抜くと胃の内容物が逆流しそうだった。

「どうした?」
「……いえ……」

 首を振ったが、声を発した喉が痛んだ。それが嫌悪感からきたものではないことをようやく理解して、シファは吐き気を必至に飲み込む。
 様子の異変に気付いたバシュタルトが腰を上げたとき、部屋のドアが慌しく鳴った。

「失礼します、閣下――」
「入れ」

 応じる声を受けて入室した佐官が、部外者の存在に放とうとした声を飲む。
 バシュタルトは構わずに、用件を促した。

「何があった」
「も……申し上げます。エネルギー管理局から、緊急報告が入りました。IREが、急激に増大していると……!」
「……なんだと?」
「国務府より停止中の回復処理の再開が申請されました。……しかし、回復処理の停止が原因であると断定はできません。レツィト局長は、計画には反対しておりましたので……」

 不信感をあらわにする部下に、彼は無表情で顎を撫で――ふと、ソファに座った少女をかえりみた。
 その目が、得心が行ったように細められる。

「……閣下?」
「エレニノフの判断か……やむを得まい。近く三部会議を招集するだろう。そこで詳細な報告を受けると、そう伝えておけ」
「……は……」

 佐官は反論を飲み込み、一礼して部屋を後にした。局長も、何の裏付けもなしに処理の再開を願い出るほど愚かではあるまい。恐らくIREという爆弾の処理と報告書の作成に忙殺されることだろうが、承認が遅れればまた揉める。厄介なことだと苦く笑み、バシュタルトは棚から酒の壜を出した。
 黄金色の液体をグラスへ注ぎ、蒼白な顔をした少女へ差し出す。

「飲むといい。楽になる」
「……何の……冗談ですか……」
「毒は入っていないが?」

 たちの悪い冗談で混ぜ返され、シファは苦々しげな顔で彼を見た。
 それでもグラスを受け取り、一息ついてから口をつける。酒の強い匂いが鼻を突いたが、焼け付くような熱さとともにそれを嚥下すると、割れるように鳴っていた頭痛と吐き気が嘘のように消え去った。
 酔いのせいではない。困惑した面持ちで、シファは総司令官の背中を振り返る。
 彼は、壁に掛けられた剣を取り上げた。そのまま振り返らずに問いかける。

「気分はどうだ?」
「……これは……どういう――」

 バシュタルトが唐突に抜刀し、振り向きざまに彼女に斬りかかった。
 首のあった場所を剣が薙ぐ。反射的に床へ転がったシファは、体勢を直すために膝をついた。手を伸ばした先に剣を帯びていないことを思い出した頃、グラスが絨毯に落下して小さな染みを作る。それはそのままころころと転がり、やがて止まった。
 一瞬大きく脈打って止まったかのようだった心臓が、再び壊れそうなほどの早鐘を打ち始める。

「何を……!!」
「……それもエレニノフの仕込みか。随分とニドにしごかれていたようだが……」

 そのまま喉で笑い出した総司令官に、シファは困惑しながら呼吸を整える。彼は堪えきれない様子で笑っていたが、やがて息をついて、皮肉げにつぶやいた。

「あいつが、何故ああまで和平を求めるのか……彼の私に対する負い目も、君らしくもない行動も、すべてが理由のあるものだ。まったくもって、何もかも符号が合う。ようやく納得が行ったな……」
「どういうことです!?」
「剣の稽古を始める前、事故に遭った事は?」
「ですから、何の話を……!」
「君が咄嗟の危険に自ら対処できるよう……そう、己を無意識下に守る必要がないよう、ニドは殺さんばかりの厳しさで君を指南した。……なぜか? それは、君が何であるかを、何者にも知られぬようにするためだ」

 何を言いたいのか解らない。困惑に揺らいだ少女へ、バシュタルトは静かに問いかけた。

「……不思議に思わなかったかね? 常の君であれば、この程度の事に感情的な反論など返さない」
「それは……!」
「それは共鳴だ。君は、『箱』の所有者なのだよ」

 シファは打たれたように立ち尽くした。
 信じがたい言葉が唇をわななかせる。声は出なかった。何を言おうとしたのか、彼女自身が理解していなかった。
 バシュタルトは剣を鞘へ納め、冷えた声で続ける。

「『箱』は本来ならば自らを守るため、外宇宙に対して展開されるものだ。シェルターだとでも思えばいい。それを逆に展開することで、衝撃を内宇宙に完全に封じ込めるのだよ。核への共鳴は精神の状態にも影響を受けるようだが……主な症状としては、頭痛と吐き気だ。そして、アルコールによって抑制できる。……気分はまだ、優れないかね?」
「……私は」
「回復処理の停止が原因かどうかは不明だが、IREが増大している。『箱』は今までにない影響を受けているだろう。……あれは幼い頃から核に同調するよう調整しているのでな。先ほどまでの君は、大木の下の草のような状況だったというわけだ」

 今は割れるように響いている音が、彼の傍では消えていたことを、シファは唐突に思い出した。
 どうして忘れていたのだろう。どうしてもっと深く確かめなかったのだろう。自分が最初に彼に関わったのは、まさにそれが理由だったはずなのに。

「あれを守らねばならぬと、体の内から声でもしたか?」

 答えを返さないシファを見て、彼はわずかに笑みを浮かべた。

「……安心するといい。それは『箱』がMEASに同調し、同族への保守本能を覚醒させたに過ぎん。……気に病むことはない」

 違う、と叫んだはずの声が、喉で絡まった。
 拳を固く握り締める。痛みを覚えても、混乱は鎮まらなかった。

「この事は他言無用だ。ただ、自分がそうであるという認識だけはしておくのだな」

 信じられない思いで、シファはバシュタルトを見上げた。表情を拭い去った面からは、その考えを読み取ることが出来ない。

「なぜ……」

 息子の身代わりにして然るべき存在であるはずだ。
 それを見逃すと、たった今、目の前の男はそう言った。

「国政を司る者として、当然の選択ではないか?」
「……けれど、あなたは人の親でしょう!? 我が子と他人の命など、比べるまでもないことです!」
「異なことを言う。身代わりを望むほど、あれに入れ込んだか?」
「ごまかさないで下さい!」

 烈しい声にも、彼は表情を変えなかった。

「この国に必要な犠牲だ。この国を動かす者として、選択できるものは限られている。……あれが『箱』であると知ったときから、既に決められていたことだ。あれ自身にも、己の命運を幼いころから説き伏せている」
「……ですが!」
「無駄な感情を与えるな。犠牲を強要される人間に、同情が何の役に立つ? 死にゆくものに余計な苦しみを与えるだけだ」
「では……ではなぜ、彼に教育を!? 諦めていないからではないのですか!」

 彼はわずかに表情を歪めた。わずかに見せた苦い色は、恐らく迷いであったのだろう。
 ゆっくりと息を吐き出し、バシュタルトは低い声で告げた。

「……私には、君の父親と同じ選択は出来ぬのだよ。シファ・エレニノフ」

 シファは血が滲むほどに、拳を握り締めた。どうしようもないほどの衝動を痛みで押さえこむ。何が辛いのか悔しいのかさえ、見失い始めていた。

「……教えて下さい……どうしたら、こんなものを肯定できるんですか……!」

 縋りつくような慟哭に、彼は答えなかった。
 その判断を否定できないことなど、本当は解りきっているのだ。自分が間違っていることを知っているのに、認めたくないと駄々をこねているに過ぎない。
 悔しくて苦しくて、目の前が揺れるようだ。
 部屋に降りた静寂を破ったのは、焦りを感じる足音だった。バシュタルトが剣を壁に戻す。かちゃりという音が、まるで感情に鍵を下ろしたように響いた。

「……迎えが来たようだな。しばらくは大人しくしておくといい」

 秘書室で言い争うような声が聞こえた。ほどなく、忙しない様子で扉が叩かれる。許可の声を受けて姿を見せたのは、記憶にある父の部下だった。

「お取り込み中失礼いたします。エレニノフ総監の御命により参りました。ご令嬢の身柄をお譲りください」
「……おや、大事な一人娘を迎えに来る暇もないと見えるな」
「公務中です。閣下が現在、場をお離れになるわけには――」
「それにしては、公私混同ではないかね? 君たちも要らぬ苦労をするものだ」

 皮肉の応酬を聞きながら、シファは喉元までこみあげていた全てに対する怒りが、急速に小さく冷え固まるのを感じた。
 何かを喪ったような疲労感が肩から足元へと染み込んでいく。視界が暗く沈む。まるで急に冬の夜を思い出したかのように、指先がかじかんでいた。

(もう、どうでも……)

 そんな投げやりさが頭を過ぎったとき、もう一人の来客が遅れて顔を見せた。

「すまんが、そいつはうちの大事な生徒なんでな。連れて帰らせてもらうぞ」

 唐突に割り込んだ声へ、ぎょっとした視線が集まる。国務府の青年官吏が愕然とその名を呼んだ。

「フ……フリス・ニド……!?」
「ほお。若者に知られとるとは光栄だな」
「……古い話だとはいえ、帝国の英雄の名だ。不思議ではあるまい」

 バシュタルトの言葉に軽く片眉を上げ、アカデミーの教官は教え子を促した。

「エレニノフ、何をぼさっとしてる。帰るぞ」

 我に返った黒服が、慌てた声を上げた。

「お……お待ちください! 我々は、エレニノフ総監から……!」
「あいつには言ってあるさ、そう目くじらを立てるな」
「し、しかし!」
「……良いと言っておるのだ、戻ってそう伝えるといい」

 興味を失ったようにバシュタルトが言い、旧友を一瞥した。

「相変わらずのようだな」
「そりゃお互い様だ。ガキ虐めて楽しいか、お前は」

 彼は答えずに鼻を鳴らした。やれやれと首を振り、ニドは座り込んだままのシファに近づく。

「おい、立たんか。帰るぞ」

 腕を掴んで立たせると、彼は止める暇もなく軍本部から教え子を連れ出した。ただでさえ顔の知れた人物である。好奇の視線がちらほらと向けられたが、足を止められることはなかった。
 外に出ると、沈みかけた夕日が路を赤く染めていた。
 煉瓦に長い影が伸びる。
 祭典の音楽はいまだ鳴り止まずに、あちらこちらで賑やかしく残り火を煽っている。
 短い夕暮れを終えて、花火が夜空を飾るには、まだ少し時間があった。
 いつの間にか腕は離されていた。シファは惰性で師の後を歩きながら、どこかぼんやりと、煉瓦の影を目でたどった。赤く染まる路はひどく静かに見えて、現実感がない。

「帰る頃には日が暮れるな、こりゃあ」
「……」
「腹が減っただろう。何か食っていくか?」
「……」
「……何とか言わんか。いつまでいじけとるつもりだ」

 わずかに肩を震わせたが、やはりうんともすんとも応えない。ニドはため息をついた。

「難しいとは思うが、わかってやれ。あいつは――」
「言わないでください」

 彼女がようやく発した言葉は、強く響いたわりに泣き出しそうな印象を抱かせた。

「……何を言われても……今は、否定しか出来ません」

 頑なな言葉に顔をしかめ、彼は乱雑な手つきで頭を掻く。

「お前らはよく似た親子だよ。無駄に頭が回るもんだから、先回りして逃げちまう……全くなあ、厄介なとこばかり似やがって」
「……」
「あいつはお前を守ろうとした。それは事実だ。……それくらいは認めてやれ。公平さなんざ、机を離れりゃただの幻想に過ぎん。血縁と赤の他人をはかりにかければ、前者に傾くのは自然だろうよ」
「けれど……父は、公人です」
「お前がそれを言うのか?」

 冷ややかな声に、シファは唇を噛んだ。
 母を優先しなかった父を憎んでいたはずなのに、今自分が口にした言葉は、それと全く逆のものだ。明らかな矛盾が渦まき、喉の奥で質量を増していた。

「政治家も軍人も、結局のところは人間だ。口で言うほど簡単なことじゃねえ。……人間が人間らしく生きようとするのは、誰にも止められん。……止めるべきじゃないと、俺は思っとる」
「でも、私は……そうは、思えません」

 水道橋から見下ろす街路を、祭りから帰る子供たちが走っていく。眠ってしまった子供を背負う父親の姿や、古市で発掘したストーブを抱えて家路を急ぐ労働者、楽しそうに話しながらゆっくりと歩いていく老夫婦。
 穏やかな光景を照らす、夕日は冷たい炎のようだ。涙を堪える役にも立たない。

「……これはおかしい、あれは間違っている、そんなことは認められない……私は、そう言って否定するばかりで。……それなら何が正しいのか、自分で答えも見つけられないくせに……」

 ニドはその横顔が見ているものを目で追い、難儀なことだと息を吐いた。

「……どうしたら良いんですか?……どうしたら、受け入れられるんですか? 守らなければいけないものも、他に方法がないことも、仕方がないことだっていうことも解っているのに……他にどうすることもできないのに、それでも、そんなのは嫌だって、そんな我がまましか思いつかなくて……本当に……」

 ――自分が嫌になる。
 そうつぶやいた少女は、子供らしくないことを言っているようで、ひどく幼い子供のようでもあった。
 ニドは若いことだと苦笑し、それ以上何も言わずに歩き始める。
 何かを言われるよりもずっと楽だったので、彼女はうつむいたままそれに続いた。

 

 

 彼が再び声を発したのは、連れ帰られた実家に足を踏み入れたときだった。

「シファ」

 アカデミーに在籍するようになってから、名で呼ばれたことはない。振り返ったシファに、彼は口の端を持ち上げてみせる。

「お前はまだ子供だ。欲しいもんがあるなら、無理だの駄目だの聞き分けのいいことを言う前に、どうやったら手に入るか考えろ。多少の無茶はフォローしてやる。……それが大人の役目だ」

 ――欲しいもの。
 口の中でつぶやいたシファは、そのまま表情を歪めてうつむいた。ニドはその頭をぐしゃぐしゃと撫でていったが、その手を振り払われなかったことに苦く笑う。

「お前は、生意気なくらいがちょうどいいな」

 幼い頃と同じように、シファは顔を上げなかった。