神坂咲は、ごく一般的な女子中学生だ。
家庭の事情で家事を担ってはいるが、そう極端に変わった少女と言うわけではない。
少なくとも、本人はそう思っている。個々人の自己認識は結局のところその人生観に密接に関係するので、彼女にとって家事をせねばならないのは仕方のないことでありかつ当たり前で、不満はまあ普通にあるにしろ、「まったく、もう」で流せるだけの性格をしている。
一般的に、いい子と評されて差し支えない少女である。
勿論文句は言うし姉と喧嘩もするが、基本的に彼女は根に持つということをしない。
したがって、巡り巡ってどうにもこうにも、彼女は神坂家の家事を取り仕切ることになってしまうのだ。
さて、そんな彼女は学校ではどのような様子なのかと言うと、完結に言って大して差はない。
友人である道原恵美は、じいっと先の弁当箱を覗き込み、ぽつりと言った。
「……イチゴとポテトサラダ」
「駄目。チーズ巻き」
ちっと舌打ちした彼女は、ずいと弁当箱を差し出す。
咲の箸が、そこからひょいとおかずを取り上げた。
そうしてトレードを果たしたポテトサラダを口に運び、恵美はとたんにやに下がった表情を浮かべる。
「うー、だめだあたしコレすごい好き。咲ぃ、ちょっとマジで嫁に来ない?」
「あはは、メグが年収一千万稼いでくれるならねー」
「うわ鬼! っていうかそんな男こんな田舎にいないって」
「あー、でもあたしここ出る気ないしねぇ」
「一千万は諦めなさい、家と土地付きよーぅ?」
「くっ、美味しい条件を持ち出すし……!」
冗談じみた会話を交わし、彼女らはおかしそうに笑った。
昼休みの学校は、ざわつきがどこか楽しげだ。あっという間に大量の食料を胃に納めたクラスメイトの男子が、廊下に集って室内野球を始めるのを横目に、恵美が肩をすくめて続ける。
「でもさー、すごいとは思うけど、大変だよねー。咲の母さん、マジで何もやんないの?」
「んー……まあ、仕事忙しそうだし。仕方ないしね」
「だって、無茶じゃん。あたしら来年受検だよ?」
「まあ……ねぇ。どうかなあ……多分お姉ちゃんが、手伝ってくれると……思うけど」
病院に通うところまではいかないにしろ、姉は気が強い性格であるというのに、どこかもろい面がある。
去年よりも大分安定してきたし、手伝ってくれるようにもなったが、やはり不安は残る。出来るだけ、無理はさせたくない。
ただでさえ、あんな事件があったのだ。去年は本当に心配で胃を痛くしたりもしたが、思ったよりも、姉はひどい状況にはならなかった。むしろ、落ち込みようはひどくても、どこか落ち着いた気がする。
それには、もしかしたら、姉をどうやら本当に好いているらしいあの人のお陰があるのかもしれないが――やりすぎて逆効果にならなければいいと、やはり少しばかり心配でもある。
「……今さ、今晩の献立考えてなかった?」
「え? 違うよ」
「……あ、そう」
「……そういえば何にしようかなー……」
お姉ちゃん、最近食欲減ってきてるしなあと続けた咲に、がっくりと恵美が肩を落とした。
――あんたは姉の母親か!
そう叫びたくなるのを、彼女は必死に堪える。
(余計なお世話だってわかってんのよ、わかってるけど心配なのよ気になんのよー!!)
友人の心の叫びなどつゆ知らず、咲が空になった弁当箱を片付けていると、少年が声をかけてきた。
「神坂」
日に焼けた、いかにもスポーツに打ち込んでいる風体の少年だ。
先はきょとんと目を瞠り、首をかしげる。
「何?」
「何って、うちのクラス今日図書当番だろ。いつまで食ってんだ」
「あ、そうだっけ。ごめん忘れてた」
「……あのな」
呆れたような言葉で返したが、どことなく責める気配はなく、むしろ好意を感じる。
そこへ恵美が、すかさずといった様子で口を挟んだ。
「ちょっとー、咲、あんた購買つきあうっつってたじゃん」
「わかってるってば。ごめん高山君、先行っててよ。後で行くから」
どう返すべきか、とっさに言葉を飲んだ高山に、恵美がニヤニヤと笑う。
それを睨んで、彼はぶっきらぼうに言った。
「別に、いーけど?」
「ごめんねー。ほらメグ、早く行こって」
「はいはーい」
弁当箱を片付けに行く先に、ひらひらと手を振りながら、恵美はぼそりと呟いた。
「高山」
「……」
「言っとくけど、わざとだから」
「……!!」
「あ、咲ー! 西ちゃんがノート返せって言ってたよー」
顔色を変えて自分を見た高山をきっぱりと無視し、恵美が席を立つ。
無論のこと、咲に淡い恋心を抱いている少年が、図書当番をこっそり楽しみにしていたことを知った上での行動である。
げに微笑ましきかな、中学生の日常模様。
少年の純情は、えてして少女に振り回される運命にあるのである。