季節は二つほど変わり、冬が訪れた。
穏やかに晴れた空に、弾けるような音を立てて色煙が上がる。楽隊の奏でる曲は、浮ついた空気を押し上げるような華やかな曲だ。
国中の人々が押しかけたような喧騒の中、白い花で飾り立てられた車の上で、政略結婚とは思えないほどの満面の笑顔でベアトリスが手を振る。その隣でヤケクソっぽい笑顔を引きつらせているのは、王女の従弟であるフェランドだ。
ちぐはぐな雰囲気の二人を見下ろしながら、ミタは出窓にだらしなく寄りかかって、深々とため息をついた。
「はああああああ……」
吐き出したあとは再び頬が膨れる。唇も勝手に曲がってしまって、眉間には皺が寄った。
そんなことはお構いなしに、階下の盛り上がりは最高潮だ。
子守りなのか見張りなのか分からない状態のレナートが、呆れ顔で出窓に腰を降ろした。
「なんだ、その膨れっ面。おまえが見てぇっつったんだろ。わざわざ連れてきてやったんだからもっと感謝しろ。主に俺に」
「だってなんでよりによってあのボンクラなんですかー!!」
がばりと顔をあげたミタが涙目になっているのを見て、レナートはこめかみを押さえる。
イシュメル王子が王の姪であるアリーシャ姫と運命の出会いを遂げ、ベアトリスがそれを心から祝福すると表明したのが半年前。もちろん国内は大騒ぎになったが、それをなだめるようなタイミングで出てきたのは、ベアトリス姫と第一位王位継承者であるフェランドの婚約だった。
天と地の差の評判も一役買ったのだろう。当初こそ政府には困惑する人間が少なくなかったが、国民の圧倒的な指示を得て、おそろしいほどの速さで成婚と相成ったのだった。
――もちろん、あの見た目に反してしたたかな姫君が、精力的に暗躍していたであろうことは言うまでもない。
「継承権がなかろうが、まあ王女様だからな。夫婦の共同統治なら前例もある。血筋の問題もなくなる。うまいことやったもんだ」
子供のように唇を曲げて、ミタがうらめしげにレナートを見上げる。
いいかげん相手をするのが面倒になって、パレードを見下ろしていたレナートは、ふと思い出したように言った。
「そういやぁ忘れてた。王女様から伝言だ」
「へっ!?」
話は少し前に遡る。
ベアトリスの婚約破棄で巻き起こった大騒ぎがようやく沈静化し始めたころ、王女は変装とも呼べない軽装でレナートの前に現れた。
「よう姫様。ご機嫌麗しゅうとでも言ったほうがいいか?」
「まあ。婚約を破棄されたばかりの女性におっしゃることではございませんわ」
「そりゃ失礼。この度はご計略するするとお進みになり心よりお喜び申し上げます――だな」
ベアトリスは鈴を転がすような声で笑った。
どこか思いつめた色がなくなって、表情は快活と言えるほど明るい。ここのところの騒ぎで疲れていないはずはないのだが、それ以上に「してやったり」の感が強いのだろう。
「で? 次期女王陛下が俺みてぇなチンピラに何の御用だ? あまり賢い真似とは思えないぜ」
ふと笑みを柔らかくして、ベアトリスはいずまいを正した。
「……これで最後ですわ。ミタさんにお伝えください。ご心配をおかけしましたが――すべて、片付きましたと」
「へえ。そりゃめでたい」
少しだけ、以前のような複雑そうな笑みを見せたことに、レナートは気づかない振りをした。
「まだ安全に掌握したとは言えませんが、当面の危機は去ったものと思われます。……ありがとうございました。あなた方のおかげですわ」
「やめてくれ。――まあ、参考程度に聞かせてもらうさ。あんたはそろそろ、あいつの望みどおりにあんたのすべきことをしてくれればいい」
「ええ。わたくしにできる全てで、ミタさんの思いにお応えいたします」
今度こそ、にこりと笑い、ベアトリスはうなずいた。
話を聞いたミタはますます複雑そうな顔をして、唇を尖らせた。
民衆に手を振るベアトリスの笑顔は本当に屈託がない。それだけを見ても、彼女自身が納得した道なのだとわかるけれど、それでも不満はこぼれてくる。
「……そりゃ一番いい方法なんだってわかってますけど、でもなんていうかやっぱり姫様があの駄目駄目さんと結婚するなんてなんかこう、面白くないっていうか」
人差し指をつつき回してミタがぶつぶつとつぶやく。
いいかげんしつこい。後頭部を掻きむしり、レナートは投げやり気味に言った。
「んじゃ、イシュメル王子のほうがマシだったってか?」
「冗談じゃないですっ!」
ミタが勢いよく顔をあげた。猫が毛を逆立てるような勢いに、レナートは目をみはる。
「ああもう、もうもうもうっ、あの人の名前出さないでください! 思い出しちゃったじゃないですか!」
盛大に頬を膨らませ、ミタは通り過ぎようとしているパレードに目を戻した。
色とりどりの花が飛び交っては、歓声を乗せて落ちていく。
ふと、人垣からはずれたところに年配の女性が立っていることに気づいた。不思議と目が吸い寄せられて、ミタは首を傾げる。灰色の地味な外套が場違いだったのも、大きなカバンを手にしているのもひとつの原因かも知れない。
どこか標本のような顔が、ひどく遠いものを見るように目を細めた。
不思議に思ってレナートを振りかえろうとしたとき、先にレナートが声を掛けてきた。
「――そんなに嫌いなのか?」
「へ?」
きょとんと目を見張り、イシュメル王子のことを言っているのだと気づいて思いきり眉を寄せた。
そんなもの、答えはひとつだ。生まれてこの方、こんなにはっきりしたラベルを人に貼ったのは初めてなのだから。
「嫌いです。だいっきらいです。もー二度と顔も見たくないくらい嫌いですっ」
「……ふーん」
あれ、とミタはレナートを振り返った。その顔にどこか不機嫌な――もっと言えばふてくされたような色を見つけて、首をかしげる。
「あの、レナートさん?」
「何だよ」
「え、えっと……なんで機嫌悪いんですか」
盛大なため息が返ってきた。
「何でってお前……ああ、いい。気づいてねぇならいい。ほら、気ィすんだら帰るぞ」
「え? あの、何なんですか? 気になるじゃないですか!」
「あー聞こえねぇ」
「レナートさん!」
レナートはわざとらしく耳を塞いで部屋を出ていく。
それを追いかけようとあわてて椅子を降りて、その椅子に蹴つまずいて転んだ。
「い、いたた……」
「あーあー。ったく、何やってんだ」
ミタは驚いて顔を上げた。
呆れ顔のレナートが、目の前で手を差し伸べていた。
そういえば、いつだってそうだったのだ。一歩引いたところでからかいながら、それでも、いつでも。彼は面倒くさそうな顔で、それでもすぐに手を差し伸べられる距離にいてくれた。
「……レナートさん」
ミタの呼びかけに、レナートが片眉を上げた。
「わたし、前から聞きたかったんですけど……あの、勘違いでも笑わないで下さいね」
「何だよ」
「レナートさんって、わたしのこと好きなんですか?」
「は」
ぽかんと口を開けたレナートの顔に、やっぱり言うんじゃなかったと視線を落としたとき、くそっと吐き捨てたレナートがミタの頭を押さえて癖っ毛をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「わわ、な、なにするんですかっ」
「うるせえ。なんかムカついたんだよこの馬鹿」
「ば、ばかって。なんですか、ばかって!」
「今さら改めて聞いてんじゃねえよ馬鹿」
「まだ言うんですかー!」
しばらく馬鹿馬鹿言いながら存分に掻き回して気がすんだのか、レナートは体重をかけてミタの頭を押さえたまま、疲れたようなため息を吐いた。
「……そろそろ信じろ、この馬鹿」
答えになっていないような返事だったけれど、それはどこか、途方にくれたような優しい響きで。
頭に腕を載せられたまま、ミタは唇を尖らせた。
「わたし、ドジですよ」
「ああ」
「色気もないですし」
「見りゃわかる」
腹が立ったので足を踏んでみた。
たいしてダメージを与えられなかったようで、ミタは平然としているレナートに膨れっ面を向けた。
「……レナートさんこそ、やさしくないし、意地悪だし、お天道様の下を歩けないお仕事だし……」
「で?」
ミタはレナートの上着を掴んで、彼の胸のあたりに、顔を隠すように額を押しあてた。
「……でも、できたら、ずっと一緒にいたいです」
今まで自分が培ってきたものを、その過程を、この人は知っている。
迎えにきてくれて嬉しかった。助けてくれて嬉しかった。そのために彼が難しい立場にたたされていることを、本当は知っていた。
今までずっと、一人なんだと思っていた。
これからは、二人に、なれるだろうか。
季節は冬。
ずれた歯車で動き続けた運命は、ずれたそのまま、新しい道を選び取ろうとしていた。
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