Double-booking / tiara /

4.

 ホテルを後にすると、レナートの顔は自然と強張った。事務所に戻って短時間でかき集められた情報に目を通し、その思いは余計に強くなる。
 狙われたのはミタだった。
 相手は三人だ。単純な怨恨と考えるのは難しい。逃げた一人はまだ見つかっていないが、生きたまま手元に届けられるかどうかは怪しかった。
 そもそも、ミタのような女一人を殺すのに、わざわざ銃撃戦を仕掛けてくること自体が妙だ。夜道や寝床を狙うほうがよほど簡単だろう。――つまるところ、マフィアの抗争に見せかけたかったとしか思えない。

(……あのババアなら、何か知ってたかもしれねぇが)

 ミタの養い親も医者だった。どこかつかみ所がなく、自分の記憶する限り老人以外の何者でもない風貌をしているくせに妙にかくしゃくとした女医。
 なぜだか自分の祖父――当然ながらマフィアのボスなのだが、その祖父でさえ苦手にしていた女だった。もしかすると、若い頃に惚れてでもいたのかもしれない。

(……ったく。どんな隠し玉だ?)

 初めて見た時の印象は、びくびくした小さい生き物。
 あの暴力女医の孫娘だとは到底思えない姿に、興味を引かれたのを覚えている。
 「くれ」といって「やるか」と頭をどつかれたのもいい思い出だ。
 あの頃は、ペットに近い感覚だった。
 その弱っちい生き物が、女として心に棲み始めたのは、いつからだったか。
 多分それは、彼女が本当の意味での「医者」になってからだ。
 びくびくうつむいてばかりだった顔を上げた。笑うことが多くなった。馬鹿みたいな前しか見えていないひたむきさはいくら転んでも変わることなく、目的を見つけた人間だけがもつ強さを、内に秘めるようになった。

「不機嫌ねぇ。あの子と喧嘩でもしたの?」

 媚を含みながらも、氷のような冷たさのある声が言った。
 レナートは不機嫌な顔を上げる。かけらも臆さず艶やかに笑みを深めたのは、一見して娼婦と分かる女だ。襟ぐりの大きな黒いドレス。艶やかな赤毛と同色の紅を引いた唇が、楽しげに訊ねた。

「もしかして痴話喧嘩かしら。この間、思い切り誤解されてしまったものねぇ」
「……黙れ」
「うふふ、可哀相に。あなたはただの娼婦に興味なんてないのにね?」

 そうではないとわかっての揶揄だった。なにせ、不機嫌の原因を持ってきたのはこの女だ。

「……事務所には顔を出すなと言っていたはずだが」
「お急ぎだと思ったからよ。それに、いい機会だったから、ね」
「何だ? 二重スパイでも告白するか?」
「あら。いやだわ、それは最初から知っていたくせに。そうじゃないわよ、隠居するの」

 唐突な言葉に、レナートは返す言葉を失った。

「……突然だな」
「もう十分お金も貯めたし、夢だったのよね、なんにもしないで田舎で静かに暮らすの」

 くすくすと笑う声は少女のようだ。実際の年齢は知らないが、まだ田舎に引っ込むような年ではないだろう。

「これでも、あなたのことは結構気に入っていたのよ? だから、最後に情報と、それからアドバイスをね」

 彼女が身を屈めると、いつもとは違う、やわらかな花の香りが漂った。
 いよいよ本気らしいと一人ごちたレナートに、くすぐるような声がささやく。

「本気で好きな子なら、あなたみたいな男は手を引くのが一番よ。それができないなら、ちゃんと手に入れて守りなさいな。……いじめっこは、そろそろ卒業どきよ?」

 花の香りに頭痛がする。
 こめかみを押さえて、レナートはぞんざいに手を振った。

「わかった。さっさと田舎でも外国でも好きに引っ込んでろ」
「ふふ。結末を見られないのが残念だわ」

 軽やかに身を離す女の細い背中を、レナートは一度呼び止めた。

「餞だ。お前を追いそうな奴は、一応押さえておいてやる」

 軽く目を瞠った女は、苦笑のように表情を綻ばせた。

「だから私、あなたが好きよ。……幸運を祈るわ、レナート」

 女が去った室内に、レナートのため息が響いた。
 ――ベルゴンツィが、隣国の王子と接触している。
 おおかた、密輸ルートをアイマーロに奪われたのが原因だろう。どちらが先に接触したのかは分からないが、勢力を盛り返そうと足掻いているのは確かだ。
 レナートは顔を上げた。
 ドアの横には、片手を吊った部下が直立不動で立っている。傷は熱を持っているはずだが、厳つい顔は冷や汗一つ流してはいなかった。

「お前はどう思う?」
「少なくとも、確かであることが三つあります」
「三つか。ミタが標的だってのと、襲撃者が素人だってのと、もうひとつは?」
「内通者の存在です」

 レナートは目を細めた。

「……早計じゃねぇか?」
「彼女を『不幸な犠牲者』にするためには、我々が――少なくともあなたがあの場に居合わせることが必要です。周囲で待ち伏せていたことも考えられなくはありません。ですが、そうであれば、襲撃はもっと早いタイミングで行われるはずです」

 顎に手をかけ、レナートは鼻を鳴らした。
 確かに、手術中に銃撃されたなら、もっと応戦にてこずったはずだ。
 隣国の王子との取引と、ミタの命。まったく結びつかないのは確かだが、勘がしきりに疼いた。

「……念のため探らせろ。伯父貴に気づかれるなよ」

 無言でうなずき、部屋を出て行った部下は、変わりない無表情のまますぐに戻ってきた。

「どうした」
「……来客です」

 珍しいことに、返事まで間があった。
 その後ろから姿を見せた女に、納得すると同時に顔を引きつらせる。
 この場に現れるには、途方もなく差し支えのある人間――ハルシアの第一王女が、真剣な面持ちでレナートを見つめていた。

「……人違いだと思いたいとこだが、一応聞いとく。あんた、名前は?」
「ベアトリス・フォルト・ハルシアと申します」

 姫君はきっぱりと名乗りを上げたが、少しだけ眉尻を下げた。

「本当はわたくしの名ではないのですけれど、他の名を持ちませんの。ご容赦くださいませ」
「驚きの告白だな」

 痛み始めたこめかみに親指を押しつけながら椅子を勧めると、彼女は優美な所作で腰を落ち着けた。場違いどころの話ではない場所に飛び込んでおきながら、その美しい顔に浮かぶのは緊張よりも覚悟の割合が強い。
 惚れた女の「憧れの姫君」らしい態度に内心で感服しつつ、レナートは一応の配慮として煙草の火を消した。

「姫様じきじきにおいでいただいたってことは、俺の乏しい想像力じゃひとつくらいしか理由が思いつかねえんだが……正直、それが当たってたら同情するな。この国に」
「お聞かせいただけますか? それとも、わたくしからお話ししたほうがよろしいかしら」

 レナートは、値踏みするようにベアトリスの目を見据えた。
 彼女は目をそらさなかった。まるでそうすることで、何かを証明できると信じてでもいるように。

「あんたは本物じゃないんだろう?」
「……ええ」
「だったら、本物がどこかにいる。そうだな?」
「ええ」
「で、あんたが俺を訊ねてきたのは、俺が知りあいの医者を匿ってるからだ」

 ベアトリスはそっとうなずいた。
 レナートは投げやりに天井を仰ぐ。

「前言撤回だ。同情じゃなくて絶望するね。なにがどうなってそうなったっつーよりゃ、何がどう間違ってあれがそれなんだっつー……まあいいさ。その医者の話だ」

 両肘を膝に置き、レナートは睨むようにベアトリスを見据えた。

「正直、信じるかどうかは別問題だ。現実としてあいつが狙われてる以上、事実なんざ糞の役にも立ちやしねえ」
「存じております。……勝手を承知で申し上げますわ。どうか、彼女を連れて国を出てはいただけませんか」
「それで、あいつの身が守られると保障できるか?」

 間断ない問いかけに、ベアトリスが表情を翳らせる。

「それは……」
「保障できるならそうするさ。あいつが何に縛られてようが無理にでも連れて行く。だがな、あいつにとっての異国は俺にとってもそうだ。シマを出ればできることが限られる。正直、出て行けばそれで終わる話だとも思えない。違うか?」

 うなだれた姫君の細い指が、そろえられた膝の上できつく握られていた。
 素直で結構だ。レナートは内心でつぶやき、ようやくベアトリスから目を離した。

「悪いが力にはなれないな。まあ、あんたが保身でここまで来たわけじゃないのは信じるさ」

 ベアトリスが顔を上げた。
 どんな表情を浮かべればいいのか、悩んでいるような顔だった。それでも美しい顔立ちに変わりはないのだから、これで本物ではないと気づくほうが難しい。
 ――憂国の姫君ってところだな。
 内心で茶化し、レナートは答えを期待せずに訊ねた。

「ひとつ教えてくれ。動いてるのは誰だ?」
「……わかりません。確証を得られる状況ではありませんの」
「少なくともトップじゃねぇな。王室がやるにしちゃお粗末過ぎる。それを前提に、心当たりは?」

 ベアトリスが、はっとしてレナートを見つめた。表情まで素直なお姫様だとひとりごちたとき、ドアが叩かれた。
 直立不動で沈黙を守っていた部下が外に出て用件を聞き、レナートに耳打ちする。

「姿を消したようです」

 思わず額を叩いた。

「……素人の女に逃げられてどうすんだ、おい」
「どういうことですの?」
「どうもこうも、あの馬鹿、患者が気になって仕方ないんだろうよ」

 少しだけ驚いたような色を見せたベアトリスは、ふわりと微苦笑を浮かべた。
 そこには、かすかな罪悪感があった。

「……立派な、お医者様ですのね」
「言っとくが、こいつはあんたの影響だぜ」

 意味がつかめなかったのか、ベアトリスが目を瞬かせた。

「いつだったか子供の医療がどーの、貧乏人の環境がどーのって喋ってただろ。あの馬鹿、真に受けて危うく破産しかけたぜ。まあ、そうなる前に国が補助金出してくれてどうにかなったが……だから余計、あんたに心酔してんだよ。わかるか?」

 余計なことは言うなという思いを込めて、レナートは言った。
 真相を話す必要などないのだ。ベアトリスのためではなく、ミタのためには、真実などかけらの価値もない。

「わかったら帰りな、お姫さん。あんたに言われなくても、俺はあいつを死なせやしねぇよ」

 言い置いて、席を立った。早いところミタを見つけなければ危険だ。幸い、行き先はほぼ間違いなく診療所だろう。
 ベアトリスはじっと膝を見つめて黙っていたが、やがて、意を決した様子で顔を上げた。

「わたくしも、同行させてはいただけませんか」
「何のために?」

 ベアトリスは迷うように視線を落とした。何も考えていなかったと言うより、どう説明していいのか分からない、そんな雰囲気だった。
 再び背中を向けるより先に、部下の一人が部屋に駆け込んできた。
 顔をしかめるレナートに構わず、慌てた様子で言う。

「レナートさん、ボスがお呼びです」
「……なんだと?」

 何の用だと思うよりも先に、疑念が胸を覆った。
 あまりにもタイミングが良すぎる。

「よくわからないんすが、今すぐ来いってことなんですよ! 一体どういうつもり――」
「ラウロ」

 低い声で名前を呼ばれ、若い部下がびくりと声を呑んだ。
 腕を吊ったままの男が、扉のほうへ顎をしゃくる。

「す、すいません、おれ……」

 部下の二人が部屋を出てから、レナートは音のないため息を吐いた。

「……お姫さん。あんた、護衛は連れてるな?」

 戸惑ったように小首をかしげ、ベアトリスはうなずいた。

「ええ、外でお待ちいただいております。それが……?」

 レナートは内心の苛立ちを押し殺し、平坦な声で言った。

「状況が変わった。頼みがある」

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