Double-booking / tiara /

1.

 ほとんど聞こえないくらいの距離で、楽隊が同じフレーズを繰り返していた。パレードが最高潮を迎える頃合いだ。もっとも、ミタの注意は目の前の銃創に注がれていて、それを思い出すにはあと二十分ほどの時間が必要だったが。

 所狭しと機材の詰まれた、手狭な部屋だった。

 それもそのはず、ここは大学病院でもなければ金にまかせた私立病院でもない。せいぜいが町医者といったところで、下手をすると診療所に近い場所だ。当然のごとく全身麻酔などという無茶ができるはずはなかったが、屈強な患者は手術の間、うめき声ひとつ漏らさなかった。
 慎重すぎるほどの手つきで縫合を進めながら、ミタはぐるぐると頭を回り続ける手順を、口の中で自分に言い聞かせるように繰り返した。患部は左腕。上腕骨骨折。弾丸は貫通。動脈の損傷はなし。最低限の創処置と抗生物質の経口投与、あとは骨折の処理だけ――そう思う間にも手は動き続けていたが、頭は何か見落としがないかと小心者のミタをつつきまわしていた。

 無事に縫合を終え、血を拭って最低限の添え木をつけて包帯を巻く。骨折があるため本当ならきちんと固定してしまいたいのだが、それは最初に断られていた。しても外されてしまうだろう。

 息が詰まるような時間が終わり、ミタはようやく手袋とマスクを外した。

「お、終わりました……」
「ん……? ああ、終わったか」

 壁際であくび交じりに言ったのは、剣呑な雰囲気の青年だった。
 織りの綺麗な黒いスーツに派手なシャツ。明らかにまっとうな職業の人間ではない。無造作なようでいて隙のない雰囲気が、それを肯定していた。
 患者である中年の男が手術台に体を起こし、無言のままうなずいて返す。こちらは一目見ただけで、いわゆる「筋者」だと分かる顔をしていた。
 極度の緊張から開放され、ミタは半泣きで青年を振り返った。まだ年若く、べそをかいた顔はいかにも頼りない。肩にかかる癖っ毛は真っ黒に染められて、細身で地味な印象に拍車をかけていた。

「レ、レナートさん……!」
「よしよし、よく頑張ったなー」
「お、お願いですから、ベルゴンツィのお抱えの医者に行って下さいぃ! わ、わざわざうちにこなくたって……いつもいつもっ」
「ちゃんとできる範囲見てやってんだろ?」
「そういう問題じゃ……って、ああ!」

 ミタはあわててラジオに飛びついた。
 スイッチを入れられたラジオが、興奮の余韻を残して告げる。以上、宮殿前よりお送りいたしました――。
 無機質な黒い機械を抱いて床に沈んだミタなどお構いなしに、ラジオは王室の慶事に浮かれている。
 レナートが呆れ顔で、ミタの後ろ頭を小突いた。

「……相変わらずだな、その少女趣味」
「ち、違いますっ! 目当ては王子様じゃなくて姫様ですっ! ……うう、見に行けないからせめて中継でって思ってたのに……」
「……訂正する。相変わらずの信奉者ぶりだな」
「当たり前じゃないですか! 白湖七国の中でも、うちの姫様は別格ですよ!? お綺麗で、お優しくって、頭もよくって、それから、えーっと」
「あーすげぇすげぇ。大したもんだ」
「いひゃ! いひゃいですー!」
「おー、よく伸びるなァ」

 ひっぱられた両頬を涙目でさすり、ミタは恨みがましい目で幼馴染を見上げた。

「な、なんでわたし、ほっぺたつねられたんでしょう……」
「それがわかってねぇからだろうが」
「はぁ」

 面白くなさそうな顔をするレナートに、ミタは釈然としない顔で首をひねった。――わかっていないって、一体何をだろう。それはもちろん、うちの姫様の魅力を全部分かってるなんて、とても言えないけれど。
 ミタの姫様好きは、今に始まったことではない。語り出すと止まらない様子は、まるで幼児が母親を自慢しているかのようだ。
 ミタに限らず、この国のたった一人の姫君は国民に人気があった。ベアトリス姫は確かに美しい姫だが、それだけではない。王族の役割というものに強い信念を持ち、積極的に国民と関わっているからこその人気だ。
 首をひねるミタをじろりと眺めたレナートは、諦めたようにため息を吐いて薄茶の髪をかき上げた。

「ところで、こいつはもう帰していいのかね」
「えっ? ……あ、ああっ、ごめんなさい! ええと、今日はシャワーは……」
「あのなあ、坊主に説教だぞ」
「いいんです。毎回言わないと忘れちゃうんですっ! ……ええと、最低でも一月はおとなしくしてくださいね。えっと、あと、痛み止め……」

 患者は無言で首を振った。感覚が鈍るのを避けたいのだと、ミタも分かってはいるのだが。

「う……じゃあ、解熱剤と抗生物質で……」

 おどおどと言い、ミタは薬棚に向かった。
 どもり癖と気弱な態度がたたって患者からはヤブ扱いされているが、気弱だからこそ患者は多い。薬代を取り立てることができないためだ。レナートというマフィアのボスの甥っ子がちょくちょく出入りして睨みを利かせていなければ、とうの昔に路頭に迷っていただろう。薬代を払わないのはなにも貧しい患者に限らない。悪質な患者も少なくないのだ。
 ミタは心の底からため息をついた。
 それでもやっぱり、手に余るような患者を連れてくるのは勘弁して欲しい。

(……あれ?)

 ふと、廊下から足音が聞こえたような気がした。
 玄関には休診の札をかけている。急患だろうか。
 首をかしげたミタは、レナートたちが表情を消したことに気づかなかった。
 扉に向かおうとして腕を掴まれ、そのまま引き倒される。

「ひゃ……!?」

 悲鳴を上げかけたとき、蹴破られた扉から銃弾が叩き込まれた。
 目の前で机の脚が火花を散らし、ミタはひっと息を呑む。青ざめるミタの頭上で、レナートが引き金を絞った。
 耳ざわりな音が続く。二度、三度――やがて静寂が引き戻されると、ミタはおそるおそる薄目を開けた。

「大丈夫か?」

 レナートがミタを覗き込んで訊ねる。彼には珍しく、焦りの混じる声だった。
 何かを返したいが、声が出ない。ミタは床にへたりこんだまま、ぱくぱくと口を開閉させてレナートを見上げた。
 手術を終えたばかりの男が、扉口に張り付いていた。吊っていない方の手に銃を握っている。その足元に人が倒れているのを見て、ミタは再び悲鳴を飲み込んだ。

「一人、逃がしました」

 レナートが舌を打った。

「アイマーロの奴ら……にしちゃ、妙だな」
「ええ、恐らくは――」
「お……お願いですから、よそでやってくださいぃ」

 涙声で口を挟んだミタを、男二人が見つめた。
 あまりにタイミングがぴったりだったので、ミタは目を瞬く。

「あ、あの……?」
「そうもいかねえな、こいつは」

 レナートがちょっと眉を寄せて、ぽんとミタの頭を叩いた。

「え?」
「もしかしなくても、狙いはお前だぜ」

 たっぷり三秒かけてその言葉を飲み込み、ミタは卒倒した。

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