Double-booking / tiara /

0.

 偽者にできることは限られていた。

 まるで花嫁衣裳を先取りしたような白いドレスの裾を引き、ベアトリスは感慨にも近い思いを胸に、隣国の王子を見上げる。

 遠く、歓喜の声が響いていた。
 はやりたつ国民を煽るように、楽隊がフーガを繰り返す。王女の正式な婚約発表――集まった民衆の誰もが最良の日だと疑っていない、そのことを嬉しいと思う。

 王国の姫として、己にできるすべてに真剣に取り組んできたつもりだ。それだけが、胸をさいなみ続ける矛盾と罪悪感をなだめる方法だった。
 ベアトリスに求められたものは、決して多くはない。
 そのうちの最も大きな役割が、隣国グラントーレの王位継承者であるイシュメルに嫁ぐことだ。近年急速に国力を上げてきたグラントーレは、ハルシアにとって長年の懸念事項だった。長年の婚約が現実のものとなるかは五分の状況であっただけに、無事今日に漕ぎ着けたことは、国民を安堵させた。

(これで……ようやく……)

 終わりではないことは分かっていても、胸が熱くなる。
 視線に気付いたイシュメルは、穏やかに微笑み、恭しくベアトリスの手を取った。
 丁寧に整えられた月光のような髪、均整の取れた体。やや切れ長だが、慈愛をにじませて微笑む黒曜石の目。あるべき姿をその場に現し、王子はベアトリスを促した。
 歓声が一段と大きくなった。じきに、パレードが始まる。

 ふと、王子が薄く笑みを浮かべた。
 黒い瞳はこちらを見ない。ざわめく内心を押し殺し、ベアトリスは微笑んだ。

「どうかなさいまして? イシュメル王子」

 いえ、と言葉を濁し、王子はベアトリスに向けて笑みを深めた。
 空は高く晴れていた。
 祝祭の色煙が鮮やかな音を立てて打ち上げられる。浮き立つような音楽がその先に吸い込まれていく。

「豊かだと思ったのですよ。……この国は、とても豊かだ。水の加護をもつ姫あってのことでしょうね」

 ベアトリスは楚々と微笑んだ。

「光栄ですわ」
「その姫を賜ることで、わが国もその恩恵を受ける……わが国の民も、《水の姫》を心から歓迎することでしょう」

 底知れない闇を抱いた目がベアトリスを見据えた。
 その秀麗な顔には変わらず穏やかな微笑が浮かんでいたが、それは筋肉がそう形作っているだけの表情だ。
 ベアトリスは微笑んだ。
 手袋の下で、汗がにじむのを感じた。

 ――歓迎されるのは貴女ではないと、その笑みは言外に告げていた。

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