08. 腹を括るということ

 状況を飲み込めていない俺の状況を、一己はまったく斟酌してくれなかった。

「ごめん、二巳。奥野のこと頼む」
「あ! ちょっ、待て一己……!」

 引き止める間もあればこそ。あの寝ぼけ風な顔に決然とした色を乗せて、一己はあっと言う間に去ってしまった。
 後ろに奥野の気配を感じて、冷や汗がにじむのを感じる。
 ……き、気まずい。ものっすごく気まずい。
 心の中で思いつく限りに一己への罵倒を並べていると、奥野がスカートの裾を払って立ち上がった。

「くそ、あいつ……。……奥野、大丈夫か?」
「へいき」

 奥野の視線は膝丈のスカートの先だ。まだ砂がついているとでもいうように、細い手が紺色の布を払い続ける。
 右足は地面につけないまま、ちょっと浮いた状態だ。多分、ひねってしまっんだろう。
 その頭頂部を見下ろして言葉に困っていると、固い声で奥野が言った。

「ひとりで、平気だから……気にしないで」

 ま、まだ怒ってるのか。
 顔を上げない奥野から怒りのオーラを感じ、俺は途方に暮れた。どうしろというのだ。

「……いや、でも……歩けないだろ。肩くらい貸す――」

 不意に拳を握りしめ、奥野が顔を上げた。
 こいつが目をつり上げている顔なんて、始めてみた。

「……井島君は、ずるい」
「え」

 泣き出しそうな、それでいて明確な怒りをたたえて、奥野は俺を睨んだ。
 そして大きく息を吸い、はっきりと、叫んだ。

「わたしは! 井島君が、好きだよ!」

 ――この状況でぶちまける台詞か!?
 思いっきり不意打ちを食らって、俺は逃げることもできずにうろたえた。
 いつもにこにこして親切なヤツだとばかり思ってきた奥野の激情は、まるで火花が散るみたいに苛烈で、おそろしく逃げ場がない。
 唖然と立ち尽くす俺に、奥野はまた泣き出しそうな顔になって、それでも泣かずに唇を噛んだ。

「……答えなくていい。ふられるって、もうちゃんとわかってるよ。こんなの、迷惑かもしれないけど、でも……でも……」
「奥野……」
「……わたしの気持ちを、なかったことにしようとしないで! ……ひどいよ……!」

 多分そのまま駆け去りたかったんだろうが、痛めた足じゃそうはいかなかったらしい。
 右足をひょこひょこさせながら、それでも、奥野の背中は決然と去って行く。

 俺は、引き止めることさえも思いつかずに見送った。

 追いかけてくるなと背中で語る女子なんて、生まれて初めて見た。
 真弓もよく「もういい!」とかいって逃げ出すが、あいつのあれは真逆で、追いかけて欲しいから逃げる種類のものだ。
 できれば一己に、一己が動かないなら他の誰かに。

 ただ、奥野は、そうじゃなかった。

「……勘弁してくれよ……」

 思い出したように額を押さえて、そのままその場にしゃがみ込む。
 ……いや、「勘弁してくれ」ってのは、おかしいかもしれない。
 言わせないように逃げ回ってたのは、俺だ。それで何が解決するわけでもないってわかってて、どうにかならないかと目をそらし続けていた。
 多分、それは、奥野をすごく傷つけたんだろう。

 図星を指された胸がズキズキと疼いた。
 俺は卑怯者で臆病者だ。そんなことはわかってる。
 でも、だったら――どうすればよかったって言うんだ。

 こっちまで泣きたい気分になっていたというのに、すっかり忘れていた異常事態は、俺を放っておいてはくれなかった。

 派手な爆発音が、空気と地面を震わせた。

「……は?」

 唖然と顔を上げた俺が見たのは、もくもくと上がる煙だった。
 爆弾でも落ちたかのような、もわっとした熱気と強い風が巻き起こる。

「ちょ……おい、嘘だろ……!?」

 なんで学校で爆発が起きるんだ。ここは日本だぞ。ハリウッド映画じゃあるまいし、そんなにポンポン爆破されてたまるものか。

 それよりなにより――いかん。奥野に気圧されてつい見送ってしまったが、あいつは怪我人だ。
 一己に頼まれたからだけじゃなく、何かあったら後悔してもしきれない。

 嫌がられるのはわかってたが、俺は急いで奥野を追った。

(いた……!)

 速度を落とさずに校舎の角を曲がると、のろのろと歩いている後ろ姿が見えた。
 声をかけようと自分を奮い立たせたとき――唐突に、奥野が、その場にしゃがみ込んだ。

 ……何をやっているんだろう。
 足が痛んだにしては、思い切りよくうずくまったような気がする。

 膝を抱えて顔を押しつけた奥野は、この異常事態に気づいているのかいないのか、なにやらうーうー呻いている。めちゃくちゃ挙動不審だ。
 さんざん迷ったあげく、おそるおそる、うずくまった背中に声をかけた。

「お……奥野……なんつーか、その、もうちょっと場所変えといた方が……」
「ううううう」
「いや、うーじゃねえ。この状況やばいっての。やっぱ足が痛いんだったら、とりあえず手ぇ貸すから……」
「その優しさが痛い……!」
「なんでだよ!」

 とりあえず、会話をしてくれるつもりはあるようだ。
 あれだけ怒ってたくせに、えらく冷却が早くないだろうか。

「じ……じわじわ……はずかしく、なって、きて」
「……は?」

 怪訝に返して、気付いた。
 顔は見えないが耳が真っ赤だ。
 かたくなに顔を上げようとしないまま、奥野はうめいた。

「井島君、悪くないのに。なんかね、あの時はすっごく、ムッてきて……なんかもう、あれって逆ギレだよね、ごめん、もうやだ、ほんとばか、生きててごめんなさい……!」
「そこまでか!」

 冷却が早いにもほどがある。まさか啖呵を切ったあと、ものの一分で自己嫌悪を始めるとは。
 それでも――まあ、こいつらしいというのだろうか。
 誰かに負の感情を押しつけ続けるのは、こいつにとってすごくしんどいことなんだろう。
 クラスの女子に俺のことを愚痴れば、多分、簡単につるし上げることができただろうに。結局のところ、俺相手にさえ、怒り続けることができないでいるのだから。
 警戒していただけにものすごく決まりの悪い気分になって、頭を掻いた。

「……いや奥野、俺も悪い。っていうか俺が悪かった。だからとりあえず動こう、な!?」
「いっそこのまま爆破されてしまいたい……!」
「馬鹿言うな! ……ああもう、いい、文句はあとで聞くからな!」
「え、ひゃ――きゃああ!?」

 勢いをつけて、うずくまる奥野を引っ張り上げて抱えたものの、予想していた以上のリアルな重みにいきなり気持ちが挫けそうになった。
 ――いや、そうだよな。別に奥野が太いとかじゃない。人間の標準体重と奥野の身長を考えれば当然の重みだ。
 ぶっちゃけた話が、米袋何十キロ分までなら抱えて走れるかという話だ。むしろ相手がバランスを取ってくれる分、それよりは軽く感じるとクソ片割れから聞いたことがある。実体験は初めてだ。

 馬鹿なことを考えて気を紛らわせようとしたが、完全に失敗した。
 どうにかこうにか校舎までたどりつき、ようやく奥野を降ろす。爆発に驚いて出てきた生徒の中に、放送部の姿もあった。
 俺たちの姿に、奴はぎょっとして駆け寄ってきた。

「ええっ、何! 何やってんの井島弟!?」
「奥野が怪我してんだよ。悪い、保健室連れてってやってくれ」
「そりゃいいけど……あんたは?」
「俺は……警察呼んで、ついでに一己を回収してくる」
「はあ!? あんた兄のほうと違って一般人でしょ! 危ないって! それよか、奥野ちゃん保健室に連れてくの手伝いなよ!」

 思い切り痛いところを突かれた。
 その通りだと思う。正直、俺にできることがあるのかは甚だ疑問だ。
 それでも、あいつが一人で危なっかしい目に遭っているのを放置しておくのは、我慢できない。
 奥野は放送部とは裏腹に、はっとしたような顔になった。

「ごめん……! 井島君、行って。110番はわたしがするから!」
「ちょっと、奥野ちゃん!?」
「ごめん。だって、一己かずき君がいるんだよ。心配なのは当たり前なのに……引き留めちゃってほんとにごめん、わたしなら大丈夫だから……!」

 ――そうだ。奥野は、こういうやつだった。
 改めて、そんなことを思った。
 放送部が苦々しい顔になって黙り込む。
 こいつが言いたかったのは、ただ無謀な真似をするなということだけだったのだろう。それは正解で、もっともすぎる意見なのだが――俺には、無謀な真似に背中を押してくれる奥村の言葉が、嬉しかった。

「……じゃあ、頼む」
「うん。……気をつけて……」

 奥野はうなずいた。
 いつもと変わらない、やわらかなまなざしで、俺を見上げて。

 

 

 

 

 

一己かずき!」

 片割れを見つけたのは、爆心地から少し離れた場所だった。
 一己も鈴ちゃんもぼろぼろで、黒服にサングラスのターミネーターみたいな男と対峙している。
 もういい、状況のおかしさにつっこむのは後だ。

 一己が目を瞠る。
 こっちを振り返った黒服の顔面に向け、俺は迷わず、<消化器の放射口を向けた>。

「なッ……!」

 白色の消化剤が、どえらい勢いで噴射する。
 行きしなの駄賃とばかり抱えてきたのだ。正直、クッソ重いが、持ってきた甲斐があった。

 白煙がもうもうと上がる中、小さな影が黒服の背後に取り付いた。

「いいかげん、ねて、ください!」

 ゴギン、と鈍い音が響く。
 プロレスラーめいた分厚い体がぐらりと揺らぎ、どうっと、派手に地面へ倒れた。
 ――なんかものすごい音だったけど、大丈夫か、アレ。寝るどころか死んでないか。
 
 パトカーのサイレンが近づいてくる。
 多分、奥野以外にも通報したやつがいたんだろう。学校で何度も爆発が起きれば、そりゃそうなるか。ましてや、ついこの前、渡り廊下が破壊されたばかりだ。

 空になった消化器を地面に投げ出し、俺はその場にしゃがみ込んだ。
 がくがくする腕は確実にオーバーワークだ。明日の筋肉痛は間違いない。
 いつの間にか、ぼろぼろの一己が側にいて、俺に右手を差し出していた。

「……二巳つぐみ、ありがとう。助かった」
「うるせぇ馬鹿。悪いと思ってんならなんでもかんでも巻き込まれてんじゃねえよ……」

 弱々しい声になってしまったが、なんとか悪態はつけた。
 一己の手を借りて立ち上がる。
 「もうしわけありません……」としゅんとしてしまった鈴ちゃんは置いておくとして、問題は、本当にこいつなのだ。
 多分危険度という意味じゃ、こないだのアルゼンチンの方がおおごとだっただろう。
 だが、異常度は絶対に今回が上だ。
 今から次回が恐ろしい。そろそろ本気で、どうにか回避しろと言いたい。

「それで、二巳」
「なんだよ」
「奥野のことだけど」

 思わず変な声が出た。土煙だか消化剤だかに咽せたような顔をしてげほげほ咳き込んでごまかしたが、まずい、ごまかせた気がしない。
 だらだらと冷や汗を流す俺に、一己はのんきな顔で苦笑した。

「お、おおお奥野か。奥野なら、放送部に預けて――」
「いや、そっちじゃなくて。奥野が二巳のこ」
「いや言うな! 言わなくていいっつーかやめろ馬鹿!」

 かぶせるように叫んで言葉を遮った。
 ここまで来て気づかないふりができるとは思ってないが、それを言うなら、わざわざほじくりかえす必要だってないはずだ。

 あのときこいつは厄介ごとの真っ最中だったはずだ。
 まさかドンパチやってたくせに、奥野の宣言が聞こえていたとでもいうのか。
 それとも、とっくに気づいていたか。――その可能性に思い至って、余計にうろたえた。ありえるから怖い。

「知ってたよ」

 こいつ、あっさりとどめを刺しにきやがった……!
 うろたえにうろたえて後ずさった俺に、一己は困ったような顔をした。

「よくわかんないんだけど。なんで二巳が困るわけ」
「なんでって、そりゃ……普通は困るだろ」
「そうでもないと思う。俺の事を考えて困ってるんだったら、気にしないでくれ、って言うよ。俺は」

 気にするなと言われても、そんなものは無理だ。
 俺は多分、思い切りいやそうな顔になったのだろう。一己が肩を竦めた。

「二巳はさ、気を回しすぎなんだよ」
「……そんなんじゃねえよ」
「そ。ならいいんだけど」
「俺は――」

 何を言おうとしたのか、迷いすぎていて自分でもよくわからない。
 遅ればせながら警察が現場に到着して、結局、それきりになった。