06. 後悔の種類

 俺が覚えている限り最初の「事件」は、幼稚園児のときに起きた。

 お隣さん同士で母親も仲が良かった俺たち双子と真弓は、まるで犬っころのきょうだいのように、しょっちゅう一括りで世話をされた。
 一番よく行ったのは近所の公園だ。
 その頃からもう気が強くて、仕切り気質で、その頃は俺たちより背が高かった「まゆちゃん」をリーダー格に、いろんな遊びをしていたらしい。

 そのころの公園は、子供や付き添いの大人でにぎわっていた。
 だから、大人たちも油断してしまったのだ。

 異常事態が発覚したのは、かくれんぼを開始して一時間以上経ってからだった。
 真弓と一己が、どうしても見つからなかったのだ。

 半泣きになってうったえたガキの俺に、大人たちは蒼白になった。
 その後は大騒ぎになったことくらいしか覚えていない。多分何度も同じ事を聞かれたのだろうが、幼稚園児のことだ。役に立てたとは思えない。
 後から知ったことだが、このとき、真弓は変質者に誘拐されていた。
 たまたま居合わせた一己が騒ごうとしたので、動転した誘拐犯は何を考えたのか、一己まで車に詰め込んだのだ。

 普通なら、二人とも死んでいた。
 少なくとも、一己は死んでいたはずだ。

 さらに後から知ったところによると、このときの一己はホームアローンばりの戦いを繰り広げ、誘拐犯からまゆちゃんを救い出したらしい。ホームどころかアウェイだったというのに。
 当時はまだ名実ともに普通の幼稚園児だったはずだが、一体どこで道を誤ったのだろう。

 俺の記憶に残っているのは、真っ暗になったうちの玄関の前で、一己が「まゆちゃん」の手を引いて立っている姿だ。

 もうそれまでにさんざん泣いたんだろうに、まだぐずぐずと泣いている、まゆちゃん。
 同じくらいの小さな手をぎゅっと握った一己は、血相を変えた母さんに抱きしめられるまで、泣くのをずっと我慢していた。

 まゆちゃんは――真弓は、一己の手を絶対に離そうとしなかった。

 それが、俺にとって触れた初めての非日常。
 ――そして、多分、初めての失恋だった。

 

 

 

 

 

「ど・う・い・う・こ・と、よッ!!」

 ――幼馴染よ、それは俺が問いたい。
 小学生の頃までは俺より背が高かったこいつも、さすがに高校生になれば位置関係が逆転している。もっとも、精神的なそれはいまだ上回れないでいる気がするが。
 朝っぱらから俺の胸倉をつかんで締め上げてくる真弓に、俺はうんざりしながら返した。

「知るか。本人に聞け」
「聞いたって『うん、ちょっと』しか言わないわよあいつは―――!!」

 うわぁん、と盛大な泣き声だ。
 その原因は、遡れば今朝の話から始まる。

 こいつは毎度のごとく一己を出迎えにきたものの、昨夜から一己は不在。
 おまけに他の女のところに泊まってあまつさえ一緒に登校してきたとなれば、それはまあ荒れるだろう。言葉だけ聞けば。

 ――だがしかし、だ。

 俺は思わずため息を吐いた。
 理由は言うまでもない、呆れだ。

「お前な……あんなガキにまで目くじら立ててんじゃねぇよ」
「関係ないわよ、何歳だって女は女じゃない! ああもうなんなのよ一己のバカー!」
「だからそれは本人に言え! 本人に!」

 ぐいぐいと締め上げてくる細い手に、思わず怒鳴った。
 というか、なんで高校についてきてるんだ小学生。学校はどうした。制服は明らかにお嬢様学校だったぞ。そこから結構離れてるというのに、堂々と重役出勤でもするつもりか。
 そこでふと、俺は妙なことに気がついた。

「……そういや、ネヴィヤはどうした?」
「知らないわよ! なんであたしがあの子の行動把握してなきゃいけないわけ!?」

 言うまでもない。お前らの行動原理が同じだからだ。

 それはそうとして、珍しいことだ。てっきり二人がかりで締め上げられるものと思っていたのだが。
 首をひねったそのとき、教室から悲鳴じみた声が聞こえてきた。

「ちょっと、何なのよあなた! 私のカズキにひっついてー!」
「えっ。ええと、あの、一己さんとお付き合いなさってる――」
「カズキさん!? イヤー! なんだかムカつくわ、その呼び方ー!!」
「は、はあ……もうしわけありません……」

 ――ガキ相手に何をやってるんだ、あいつは。
 思わず晴れた空の先を眺めたが、このまま放っておくのも気が引ける。
 困惑しっぱなしの鈴ちゃんを救出しに、教室へ足を踏み入れた俺は、出てきた人物とぶつかりそうになった。

「あ、悪……」

 途中で言葉を飲んでしまったのは、相手が奥野だったからだ。
 黒目がちな瞳と目が合う。ほとんど反射で身を強ばらせてしまったのだが――奥野は、ついと俺から視線を逸らした。

「おっ。おはよー奥野ちゃん。見てあれ面白いことになってる」
「おはよ、丘ちゃん」

 けらけら笑いながら放送部が声をかけて、奥野が先に教室に入っていく。
 無視された形になった俺に、真弓がけげんな目を向けてきた。

「……なにあれ。あんた、奥野さんになにかやったの?」
「してねぇよ」
「どこがよ。怒ってるじゃない」

 真弓は腰に手を当て、俺が悪いとばかりにらみをよこした。
 別に、何もしちゃいない。ことを起こそうとしてるのは奥野の方だ。

 そんな内心のわめきは、なんだか言い訳じみていることに気づいて、俺は重苦しいような感覚に視線を落とした。
 腹に重石を詰め込まれたような気分になる。

 奥野が誰かにあんな態度を取っているところなんて、見たことがない。
 怒っているならいい。だけど……もしかして俺は、奥野を傷つけたんじゃないだろうか。
 初めて気づいたこと自体にショックをうけた。そのまま突っ立っているわけにもいかずにのろのろ席に向かうと、背筋をくすぐるような甘い声が、教室の喧噪に割って入った。

「あら、何の騒ぎかしら」

 悠然と苦笑したのは、ついこの間からうちの副担任になった美女だ。
 完璧なプロポーションに、腰に右手をあてた色っぽいポージング。
 どこぞのモデルのようなたたずまいで現れたオフェリアは、騒動の中心に目をやって、ゆったりと笑みを浮かべた。

「かわいらしいお客さんね。妹さんには見えないけれど?」
「あ……おじゃましております。鈴切小梢ともうします」

 両手を揃えて、ぺこりと頭を下げた鈴ちゃんは、やっと出会えた常識人(に見える相手)に、とつとつと挨拶した。
 だがしかし、相手は一己に惚れている女。常識などというものが通用するわけはない。
 華やかだが突き放すような笑顔を浮かべ、押し掛け副担任は言った。

「ここはあなたのいるところではないでしょう? お嬢さん、学校はどちらかしら?」
「あ、あの……」
「カズキについてきてしまったの? 困った子。親御さんにご連絡した方がいいかもしれないわね」
「いえ、りょうしんはぞんじております。あの……」
「まあ、困ったこと」

 にこやかに追い返しをはかる美女に困惑する美少女の図式を横目に、俺はため息を吐いた。

「何くっらい顔してんのさ井島弟ー。兄貴のハーレムが今さら羨ましくなった?」
「馬鹿言うな」

 放送部が声をかけてくる。
 うろんに返して、俺はふと首をひねった。
 意外だ。てっきり美少女の追加で喜んでいると思ったのに、思ったよりもテンションが低い。

「どうしたよ、放送部。お望みの美少女だろ」
「……んー……あたしロリ嗜好ないんだよねー……せめてあと五年はいるかなー」

 つっまんなーい、と棒読みで締めくくる。
 どいつもこいつも好き勝手言いやがって。

「ところでさあ、井島弟」
「何だよ」
「あんた、奥野ちゃんに何かやったろ」

 うぐ、と言葉に詰まってしまった俺を、放送部は冷ややかな目で見下ろした。
 いつもなら仲のいい放送部と一緒にいる奥野は、さっきからえらく長いこと、無心に黒板を綺麗に掃除している。まだ一限目も始まっていないというのに。

「すっごいよねぇ。奥野ちゃん怒らせるとか、ガンジーも助走つけて殴るレベルじゃん。ありえないわー。才能あるわー」
「……別に何もしてねぇよ」
「未必の故意って知ってるかい数学部」
「知るわけねぇだろ放送部」

 なんだか朝っぱらから異常に疲れた気になって、俺は机にばったりと倒れ伏した。