05. 変化の足音

 ――名前を出せと言われたものの。
 どたばたしているうちに女の子の名乗りをすっかり忘れていることに気付いたのは、警察に事情を聞かれている真っ最中だった。
 馬鹿にされても仕方ないが、あの状況でたった一度聞いたきりなのだ。動転していてまったく思い出せなくても、仕方がないだろう。

 えーと、あれだ、鈴……鈴木? 鈴田?
 挙動不審になった俺に、当たり前のように、警察は不審の目を向けた。
 なんか名前言ったら分かるって言われたんすよ! とヤケになって叫んだものの、説得力がないのは俺が一番わかっている。
 結局途中で電話がかかってきて、どうやら呼び戻されたらしい警官は、渋りながら撤収していったのだが。

 すっかり暗くなった帰り道。
 ぐったりしながら歩いていた俺は、一己が手のひらで玩んでいるものを見て顔を引きつらせた。
 白い鈴だ。
 ピンポン球くらいの大きさのそれは、かろん、と不思議な音を響かせる。
 材質のわからない、不思議な音色だった。

「……何だソレ」
「うん、なんかあの子の落し物みた」
「拾うな―――!!」

 言い終わるのを待たずに叫んでしまった。
 一己がきょとんと目を瞬く。胸倉掴んで揺さぶりたくなる衝動をどうにか押さえこむ俺に、奴はすっとぼけた口調で言った。

「拾わないでほっとくのって、ひどくないか?」
「じゃあ警察に届けとけ! 手放せ今すぐとにかくお前が保管すんな!!」
「うーん……でも、大事なものだったら困るかもしれないし」
「だったらお前が持ってくほうが困るだろ!」
「まあまあ。学校で落としたんだから、学校に探しにくるだろうしさ」
「じゃあ職員室だ! 預けろよ絶対、朝イチで! いいな!?」

 一己があっさり肯いたので、俺はがっくりと肩を落とした。
 まったく、今まで何度と知れず厄介ごとに巻き込まれてきたくせに――ついでにそのきっかけは毎度のごとく女だったくせに、こいつには本気で危機感というものが存在しない。
 あまりに暢気すぎて、いいかげん腹が立ってくる。

 俺にできることは明日の朝、無事にトラブルと手を切れるよう祈ることだけだ。

 

 だがしかし。
 無視できないほど、確信に近い予感があった。

 でもってその予感は、その日の夜、形を持って襲撃してきたのである。

 

 

 

 

「夜分におそれいります! もうしわけありません、井島一己いしま かずきさんは、こちらにおいでですか!?」

 ドアを突き破らんばかりの勢いで現れた忍者少女に、俺は膝から崩れ落ちた。
 服装は忍装束ではなくて、近くにあるお嬢様学校の制服になっていたが、問題はそこじゃない。
 ……早い。早すぎる。
 つーかなんでピンポイントに一己を名指しで乗り込んで来るんだ。

 来訪者を確かめもせずドアを開けた、風呂上りの一己は、頭にタオルをかぶったまま首を傾げた。

「えーと……鈴ちゃんだっけ。よくわかったね、家」
「えっ。あ……ええと、その」

 鈴――えーと、鈴なんとかさんは、びくっと肩を揺らして目を逸らした。
 何か裏がありそうだが、知りたくないので言わないで欲しい。

 しかし何だって、こんなときに限って真弓もネヴィヤも新規参戦の女教師も不在なのか。
 けっこう性格はマトモそうな子だから、多分目の前で女の大戦争が起きたら関わるまいとするだろうに。
 ――というか、あいつらに太刀打ちしようとするには、さすがに幼すぎる。

「それより、あの……白い鈴をひろわれませんでしたか?」
「ああ、そうだった。取ってくるから、ちょっと待ってて」

 二階に上って行く一己をなんとなく見送り、俺ははたと気付く。
 ……逃げそびれた。
 さびついた動きで後ろを振り返れば、美少女というには幼すぎる女の子が、平たい胸を撫で下ろしている。
 鈴なんとか――もう面倒だから鈴ちゃんでいいか。
 別にこの子が悪い子だとは思わない。真弓やネヴィヤもそうだったように、好き好んで一己をトラブルに巻きこんだわけじゃないだろう。

 だけど、これまでの俺は、そんな非日常や危険を身近に感じたことなんてなかった。
 いつだってあいつはよく分からないうちによく分からないことに巻きこまれて、いつの間にか平然と帰ってきていたのだ。

 白状しよう。
 俺はビビっていた。
 このとき俺は、俺の家族を巻きこむ危険を、初めて実感していたのだ。

「もうしわけありません」
「……は?」

 幼い声にいきなり謝られて、俺は間の抜けた声を出してしまった。

「かさねがさね、ごめいわくをおかけしてしまって……」

 俺の腰くらいまでしか背丈のない女の子が、しゅんとしてうつむいている。
 その光景は、なんとなく罪悪感をちくちくと呼び起こした。

「いや……まあ、迷惑じゃないとは言わないけどな。早いとこ持って帰ってくれれば、別に……ほら、あいつも怪我、なかったことだしさ」
「……はい」

 自責の念、っていうのは、こういうのを言うんだろう。
 まっすぐな目でうなずいた鈴ちゃんは、俺よりもよっぽどしっかりしている風に見えた。
 ――同時に、俺とは比べものにならないくらい、色んなものを背負っているようにも。

「……ってあぶねえ! 関わんな俺!」
「えっ!?」
「いや何でもない! 気にすんな!」
「あ、はい! ……あの……一己さん、おそいですね」

 言われてみて気付いた。
 そういえば、遅い。
 怪訝に思って階段を振り返ったとき、聞き覚えのある轟音が響いた。

 そう。
 確か、真っ昼間に聞いたばかりの音。
 ――その名を、破壊音という。

「んな……!」
「まさか……すみません、しつれいします!」
「あ、ってオイコラ、靴!」

 土足で上がりこんだ鈴ちゃんに思わずまっとうなツッコミをかましながら追いかけた。
 というか、速い。小さな体が一瞬で階段を駆け登って行った。
 一般人の俺が追いつけるわけもなく、俺は遅れて開け放たれた扉に足を踏み入れた。

「おい、一己……!」
「あ、二巳、今は入らないほうが」

 静止は遅すぎた。
 視界に入ったのは、スーツにサングラスという、夜中にしてたら通報されそうな格好をした男。
 奴は俺と目を合わせる間もなく、開け放たれた窓からフッと姿を消した。

 ――何か、変なモンを見た気がする。
 混乱しながらごしごしとこすった目を部屋の中に戻し、俺は思わず叫んだ。

「な……なんっだこりゃあああ!!」

 台風でも暴れまわったかのような状況だった。
 本棚はベッドに倒れこんで本が散乱しているし、机は原形を留めないほどズタボロで、壁にまでよくわからない、でかい爪で引っかいたような裂き傷が走っている。
 おまけに窓ガラスまで砕けて床に散らばっているときたら、もう強盗どころの騒ぎじゃない。

「二巳、ストップ。入んない方がいい。怪我する」
「って……おい、お前こそ怪我してんじゃねーか……!」
「平気平気。かすり傷」

 いつもどおりの暢気な台詞を、俺はそのとおりに受け止められなかった。
 刃物で切られたのか、トレーナーはあちこち切れ目が入って血がにじんでいる。腕の傷が多いのは、目や喉を庇ったからだろうか。
 血なんて見る機会のない一般人な俺に、この光景は堪えた。
 どうするかなぁこれ、なんて部屋の惨状を見渡している双子の兄が、全く知らない人間のような――そんな、違和感まで覚える。
 足を竦めてしまった俺の前で、鈴ちゃんがおずおずと切り出した。

「……あの、手あてを……」
「ん、大丈夫。それより、ごめん。持ってかれた」
「いえ……」

 沈んだ様子で、鈴ちゃんは答えた。
 たぶん、あの白い鈴のことだろう。さすがに落ち込んだ感じだったけど、鈴ちゃんは気持ちを切り替えるみたいに首を振った。
 なんだかそれは、大人の女みたいな仕草だった。

「しかたありません。わたくしの、ておちです。……こちらこそ、まきこんでしまって……」

 かろん、と乾いた音が、雑然とした部屋に響いた。
 耳鳴りかと思ったが、そうじゃなかったらしい。鈴ちゃんが打たれたように顔を上げたからだ。

 ――なんだろう、すごく、嫌な感じに聞き覚えのある音だったような気がする。

「まさか……!?」

 まんまるに目をみはった鈴ちゃんが、きょとんとする一己の胸にぺたりと手を置いた。
 緊張感のない一己の顔とは裏腹に、幼い顔が、見る見るうちに曇る。
 俺は、胃が痛くなるのを感じた。

「……とりこまれた……? でも、まさか、そんな……」

 ほとんどひとりごとのような言葉に、一己がふと、めずらしく眉を寄せた。
 ぽりぽりと頬を掻いて、ようやく思い出したように俺を見る。

「二巳、先に飯食ってて」
「……は?」
「今日はコロッケだってさ。冷めちゃうし」

 ――何をいきなり、日常のような話題を。
 呆気に取られて二人を見交わした俺は、そこでようやく、二人が俺に聞かれたくない話をするのだということに気付いた。

「……勝手にしろ!」

 言いたいことは山ほどあった。だけど、でてきたのは結局、そんな言葉だけで。
 俺はイライラとムカムカを抱え込んで持て余したまま、妙な音を立てるようになった部屋の扉を叩きつけた。

 ああそうだ、確かに俺は関係ない。そもそも関係したいとも思わない。
 いつだって一己は俺の知らないところで勝手に何かに巻き込まれて、いつのまにかなんでもないような顔をして戻ってくるのだ。
 それを面白くないと思ったことなんて、これまでただの一度だってなかったのに。

 しかめっ面のままダイニングに入ると、母さんがコロッケの皿を運びながら訊ねてきた。

「あら、二巳。一己、大丈夫だった?」
「部屋は大丈夫じゃなかった」
「あらら。困ったわねぇ」
「先にメシ食ってろってさ」

 どうにも声が不機嫌になる。
 あらそう、とあっさり答えた母さんは、茶碗に米をよそって俺のほうに差し出した。

(くそ、一己のアホンダラ)

 胸のムカムカが収まらない。
 自棄食いに近い勢いで自分の皿を空にすると、当然の権利として一己のコロッケに手を伸ばしていた俺は、階段を降りてくる足音に顔をしかめたまま振り返った。
 思ったよりも、話は早く済んだらしい。
 怪我の手当てもちゃんとしたようだ。ミイラみたいになるんじゃないかという予想は外れ、赤い線のような傷跡はそのまま剥き出しだった。それでも見た目は思ったほど悲惨じゃないし、とりあえず血も止まっているように見える。
 母さんが目を丸くした。

「あらあらあら、どうしたの。また何かあったの?」
「うん、ごめん。部屋がなんかすごいことになってる」
「あらまあ」

 それだけか。なんでそんなに落ち着いてるんだ、家の中で事件が起きたんだぞ!?
 ここで俺が大騒ぎをしても、二人ともきょとんとするばかりなのは目に見える。
 怒鳴りたい気分をぐっと押さえ込み、一己の皿からコロッケをさらった。

「……んだよ、遅せぇよ」
「うん、ごめん。……って二巳、それ俺の分」
「うるせえ」

 大きいままのコロッケを口の中に放りこむ。
 一己の文句にそっぽを向いたところで、鈴ちゃんが小さくなって「すみません」と謝った。……なんでこの子が謝るんだ。
 テーブルで新聞を広げていた母さんが、首を傾げて鈴ちゃんを見た。

「あら、さっきのお客さん? どうする、夕飯食べてく?」
「えっ? あ、いえ、おかまいなく……!」
「あれ、いいの?」

 言ったのは一己だ。
 ……勝手に何をほざいてるんだ、おまえは。
 無言のまま口いっぱいのコロッケを咀嚼していた俺は、椅子をひいた一己の発言に思いきりむせた。

「そうだ、母さん。俺、ちょっとしばらく外泊するから」

 さすがの母さんも、とっさに言葉が出なかったらしい。
 咳き込んでいる俺に同意を求めるみたいに目を向けて、答えられる状況じゃないのを確認したあと、とまどいながら訊ねた。

「えーっと……ちょっととしばらく、どっち?」

 ――ちがうだろ、そこじゃねーだろ!
 心からツッコミを入れたかった俺は、だがしかし、その間ひたすら呼吸困難と戦っていたのだった。