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 定刻通りに現れた神官の一人は、既知の人物だった。
 ふっくらした顔つきの神殿主幹技師だ。さすがに笑顔こそないものの、穏和で平静な印象は変わらず揺るぎない。彼女は壁際に立つユラを見て、意外そうに目を瞬かせた。

「まあ、驚いた。ここで知っている顔に会うとは思わなかったわ」

 護衛にも見まがうような厳つい部下を連れたところを見るに、彼女はどうやら、随行者ではなく主要人物のようだった。
 ニッツフェンが如才ないタイミングで口を挟んだ。

「実は偶然、我々の小さな令嬢を助けていただいたのですよ。両手の軽い炎症だけで済んだのは、彼女のおかげです」
「あらあらあら、まあ」
「非常に幸運でした。何しろ、彼女は今回の問題の専門技術者だ。なぜこのような惨事が引き起こされてしまったのか、我々に適切な助言を与えてくれるでしょう」
「あらあら。彼女が優秀な魔工技師であることは否定しないけれど……その役割に適任かという点では、どうお考えかしら?」

 棘のある口振りではなかったが、その目には、相手に見せるための警戒が覗いていた。
 かつて禁術に関わっていた人間を側に置こうというのだ。他意を疑われても仕方がない。
 ニッツフェンは動じることなく、平然と返答を口にした。

「我々はこの惨事を最小限に押さえ、速やかに原因を特定し、排除し、再発を防がねばなりません。ただ、もちろんその責任は我々にある。彼女に求めるのは、あくまでそのために必要な『説得力』です」
「なるほど。では、彼女の意志に任せましょう」

 神官は穏やかに微笑んだ。
 どんなものが来ようと小揺るぎもしないかのような泰然――それはおそらく、今彼女が背負っているものが、神殿そのものであるためなのだろう。

「さあ、そろそろ始めましょうか。いつにもまして時間が貴重な時のことですからね」

 にこやかながら緊張感のある前置きを終え、各々が席に着く。
 そこから始まった会談は、神殿側の独壇場と言ってもよかった。用意されていた題目は、本日の主眼はそこにないのだとばかりに手早く畳みかけていく。可も不可も、決めるのは神殿であると、その態度が告げていた。
 意見の摺り合わせと言うより、もはや口頭の通達だ。
 ニッツフェンは終始苦い顔だったが、時折二、三の確認をするだけで、強く食い下がる様子は見せない。

 実際、話題が〈傘〉の話に入るまで、ユラが退屈するほどの時間はかからなかった。

 ニッツフェンはユラにしたのと同じ説明を、淀みなく告げた。驚いたことに、慎重に表現を選びながらも、そこには一切の嘘や誤魔化しがなかった。
 見た目とは違い、冷静な交渉事のできる人材のようだと、ユラは半ば呆れ混じりの感想を抱いた。

(……それにしても……ここまで、随分と一方的よね。わざとなのかしら……?)

 ユラにとって、政治は異分野だ。やりとりの意図も目的点もその経路も、今ひとつ理解できない。
 少し気が散っていたところに、神官の声が響いた。

「お話はよく分かりました。……さしあたり、あなた方の望みは、早急な〈傘〉の再構成。それでよろしいですね?」

 ひやりと背中が冷たくなる。ユラは息を呑み、目線を上げた。
 低い声でも、声を荒げているわけでもない。だというのに、場の空気を一掃するような力が、その声にはあった。
 漂う空気の緊張感がいや増す中、ニッツフェンはわずかな沈黙だけで口を開いた。

「仰る通りです。こちらに非がある事は重々承知の上ですが、このままではどれだけの被害が――」
「バルガネス卿。二度目はないのです。おわかりですね」

 ただ人の好いばかりだった神官の笑顔が、底知れぬ深みを帯びた。
 反論の言葉を喉の奥に押し込み、ニッツフェンが奥歯を軋ませた。神官は、ゆったりとした口調で続けた。

「五年前、〈神殿〉は強権を発動してまでガンプリシオに進駐しています。各国の反発や警戒を考慮した上で、被害を最小限に抑えるためにそうしたのです。……その保護を自ら拒んでおきながら、再び寛恕を求めるというのは、あまりに虫のいい話ではありませんか?」

 決して険を含ませない声だったが、その響きには有無を言わせないものがあった。
 事態が明らかにならないうちから動けば、各国からいらぬ疑惑を招くだろう。〈神殿〉がそうまでして手をさしのべてやる理由など、どこにもない。
 原因を作ったのはガルフォールトだ。
 ――たとえ〈神殿〉に、それ以上の目論見があったとしても。

「ここで一つ、ご意見を伺おうかしら。……そこの貴公子さん? あなたはどう思いますか」

 ガルフォールト側の人間が緊張に身を固める中、金髪の青年はおどけた仕草で肩をすくめた。

「筋違いだというのは同感です。面目次第もない。……ただ、支配者のしでかしたことで被害を受けるのは、いつだって何の責任もない人間ばかりだ。虫がいい話だとは承知の上で、縋れるものには縋りたいのが人情ってものです。責任を負うのは、もっと上の人間であるべきだ」
「ガルフォールトには、その覚悟がおありかしら」
「それは、これから証明するしかないですね」

 神官は、にこりと笑みを浮かべた。

「あなたのご意見には、個人的には同感です。ですが、政治の問題上、現状で〈神殿〉が動くことはできません。――ガルフォールト王より、公式に依願を。それが絶対条件です。そのために、あなた方はもう動いておいででしょう?」

 沈黙を守るニッツフェンに、ユラは苦々しい思いでため息を飲み込んだ。
 反論を封じられた形だ。交渉者が白旗を上げている以上、発展はないだろう。
 人好きのする笑顔でとりつく島もない空気を作るという、この上なく矛盾した事をしてのけた神官は、あくまでその笑顔を保ったまま、部下に目配せをした。

「〈神殿〉はいつでも動けるよう準備をしています。可能な限り早急に、〈傘〉の再建を行いましょう。そのために必要なものを、一日でも一時間でも早く我々に提示してくださることを、心から願っています」

 告げるべきは告げたという態度で〈神殿〉からの使者たちが引き上げ始める。
 身構えるユラの前で立ち止まり、神官は穏やかな声で言った。

「あなたも災難続きね、ユラ」
「いえ。身から出た錆ですから」
「あなたから情報を得ていたにもかかわらず、この有様ですもの。信用を損ねてしまったかしら」
「いいえ。……ただの、成り行きです」

 ユラは視線を落とした。
 責任があるとしたら、それは、ユラこそが負うべきものだ。平然としていられるほど冷血にはなれない。

「……一つ、確認させてください」
「何かしら」
「元第六研の人間で、今、〈神殿〉の監視下にないのは――」
「セシロトの第二王子、クランヘルム・ゼスト・アーネル氏、ただ一人だけです」

 ユラは唇を結んだ。
 どうしてだろう、と内心に問いかけた。どうしてこんなことになってしまうのだろうかと。事が起きてから、何度もそうしてきたように。
 いつになく沈んだユラを見て、ガルフォールトにおける臨時最高責任者は、別の懸念を覚えたようだった。

「あなたがそれを選ぶのなら、それでいいでしょう。ただ……過去が追いかけてきたとき、それはもう、あなただけの問題ではありません。わかりますね?」
「……いやと言うほど承知しています」
「そう。では、私から言うことはありません。覚えておいてくださいね、ユラ。正しい選択だけが、あなたを守ります」

 ユラは苦々しい気持ちで、神官を見送った。
 二年前にとった選択は、自分を守りたくて選んだ訳ではない。だが、それを口にしたところで空しいばかりだ。
 絶対的に正しい選択などどこにもない。
 後悔をしないためには、ただ、後悔すると思う道を潰していくほかないのだ。

 「話があるの」と切り出したユラに、ニッツフェンは所用が済むまで会議室で待っているよう提案した。
 ティティを関わらせたくないのはお互い様だ。重厚な広い会議室の中で、ユラは一人、時間を持て余していた。
 ホテルの窓はすべて厚布で覆われていた。まるで最初から用意されていた飾りのような顔をしているので、ついじっと眺めてしまう。やたらと丁寧な仕事に、日常を保とうとする人間の姿まで見た気がした。
 厚布の向こうも、今は心慣れた暗闇だろう。
 頬杖をついてぼんやりしていると、不意にドアがノックを受けた。
 顔を見せたのは、金髪碧眼の青年だった。

「やあ、お疲れ! 今日は大活躍だったね」

 相変わらず警護官の服を纏っているものの、護衛される側だというのは既にはっきりしている。ティティが名前を呼んでいたような気もするのだが、なにせ混乱の中のことだ。思い出すことはできなかった。

「……どうも。何か用?」
「これからニッツと密談だよね。私も混ぜてもらおうと思って」
「どうぞ、お好きに」

 無愛想な承諾を返し、ユラは再び顔を背けた。
 この一行で最も重要な人物の言うことだ。相当嫌がらなければ同席は拒めないだろう。
 会話を拒否するユラの肩を、立ったままの男が指先でつついた。

「何――」

 かみつくような勢いで振り返ったが、顔の前に掌を突きつけられて、思わず身を引いた。
 気勢をそがれたその一秒で、花が咲いた。
 比喩でも何でもない。焦点が結べるぎりぎりの近さに現れたのは、紛れもなく赤い花だ。その花は瞬きをする間に、小さな火花をいくつも散らして泡のように消えた。
 呆気に取られるユラに、金髪の警護官は三枚目じみた笑顔を見せた。

「よーしよし。眉間の皺、なくなったね」
「……手品ってわけ? 一体何なのよ、あなた……」
「あはは、職業病ってやつだね。私に一番しみついてるのって、大道芸なんだよ」
「はあ?」

 ユラはまた、訝しげに眉を寄せる。
 そのしかめ面に全く怯まず、青年は自分を指さして、にこやかな笑顔で続けた。

「生まれたときは王子様、大人になったら大道芸人。ついでにときどき演奏家とか絵描きとか詩人とかを兼業して身銭を稼ぎつつ、とりあえず今は短期契約で警護官ってわけ。芸達者でしょ?」
「……王子?」
「うん、そう」
「……冗談にしては面白くないんだけど」
「あっれえ。ひどいな、全部本当のことなのに」

 感情の読めない笑顔には、全く傷ついた様子もない。
 ユラはため息を吐いて窓に目を向けた。
 〈神殿〉がこの男を指して意見を求めたのは、最初からその正体を知っていたからだろう。だからこそ理解できない。自分が知る王族も大概常識からかけ離れた人物だったが、この青年が王子なのだとすれば、セシロトに負けず劣らずガルフォールトも先行きが暗い。

「――そうしないと、生き残れなかったからさ」

 ひやりとする声に、ユラは再び青年を見た。
 道化が仮面を外したような顔で目を細め、彼はおどけて肩をすくめた。

「うちの王様は玉座が大好きでね。できうるかぎりいつまでもしがみついていたいから、邪魔になった長男をあの世に追い払ったって寸法さ。それをアリーナ席から見ていた次男は恐れをなし、尻尾を巻いて逃げ出した。……でもまあ、逃げ切れるもんでもなくてね。結局ここに戻ってきてる」
「なんで私にそんな話をするのよ。完全に部外者なんだけど」
「大した理由はないよ。単に話したくなったからかな。君には、一方的に共感を抱いてるんだ」
「……どういう意味?」

 胸に渦巻いていた訝しさが、心の底で尖った警戒心に変わる。
 目を眇めたユラに、彼はことさら軽い口調で答えた。

「君も、逃げてきた口だろ? それで、私と同じように逃げ切れなかった」
「勝手なこと言わないで。別に逃げてきたつもりはないわ」
「それならすまなかった。……私はただ、逃げたいのなら手を貸すよって言いたかっただけだよ」
「勝手にそんなこと言っていいわけ? 協力を求めてきたのは、あの陰険眼鏡の方なんだけど」

 王子が盛大に吹き出した。そのまま腹を抱えて笑い転げるのを見て、ユラは首を捻る。そんなに面白いことを言っただろうか。

「言うねえ! ぴったりだ!」
「……適当に言ったんだけど。本当に陰険なの?」
「さあ? 私は彼に思うところがあるからね。ちょっとすっきりしたよ。……えーと、それで、君に手を貸す理由だけどね。さっき言った、同族意識が一つ。もう一つは、ティティ嬢を助けてくれたことへのお礼だよ。あの状況で迷いなく他人を優先するなんて、なかなかできるものじゃない。おかげで、お姫様が軽傷で済んだ。ありがとう」
「……あなたにお礼を言われる理由はないと思うけど」
「私が子ども好きっていうのもあるけど、まあ、すっごく遠い親戚なんだよ。彼女のミドルネームは僕の案だったりする。高祖父母が一緒でね」
「それって――」
「あ、ログイットは違うよ。母方の家系の方ほうだから、安心して」
「安心って!?」
「……で、あの子の母君は、その血のせいで亡くなったようなものなんだ」

 まともに文句を言う隙もなく投げかけられていた言葉が、急に不穏になった。
 相手の調子に飲まれかけていたユラは、落差についていけず無言になる。

「リフィカ・コーディア・ジルセスは、優秀な病理医で、従軍経験もあった。何より、ほんのちょっとだけ王家の血を引いていた。死んでも構わないくらいに、ほんの少しね。――だから、ガンプリシオの魔工事故傷害調査団の御旗にされたんだ。王家への不満を逸らすために」
「そんな……」
「ただの人身御供だっていうのに、彼女は、それが自分のなすべきことだと受け入れたそうだよ。恩恵なんてひとっかけらも受けちゃいないのに。自分が重篤な状態になるまで、患者の治療と研究に追われて……。……まだ三歳だったティティ嬢から、王家が、母親を奪ったんだ」

 まるで、告解のような囁きだった。
 透き通るような碧眼がユラの奥底にある共感を引きずり出す。記憶にある感覚に、意識して感傷を振り払った。
 ここまで聞いても、この王子がユラに内情を話す理由がわからなかった。既にユラは協力を申し出ている。怒りの共有は組織の結束を強めるというが、そんな周りくどい真似をするようなタイプなら、もっと最初からもっともらしい話の進め方をするはずだ。

「すごいよね。私には無理だと思ったよ。彼女より私の方がずっと重い責任を背負ってるはずなのに……呑気な次男坊だったからね。首根っこを掴まれるまで逃げ回ってた。向き合う気になるまでも、呆れるくらい時間がかかった」
「……それで」
「っと、ああ、そうじゃなかった。つい私の話になってしまったけど……要はさ、彼らが抱えているものを、君に知っておいて欲しかったんだ」
「だから、どうして私に話すの」

 拭えない違和感に、もう一度訊ねた。
 淡く目を細めて笑った青年に、答えるつもりがあったのかどうかは分からない。
 ノックの音に扉が鳴って、ニッツフェンがようやく姿を現した。後ろにはログイットも付き従っている。
 立ち上がったユラは、眉を顰めてログイットを見た。

「遅くなってすまない。二十分ほどしか時間が取れないが、大丈夫だろうか」
「それはいいけど……ちょっと、人が多すぎない?」
「……保安上の問題もあるが……では、ログイットを外で待たせ――」

 皆まで言う前に、王子がログイットの肩に腕を回した。

「まあまあそう言わないで。私達は黙って壁になってるから、ほら、いないものと思ってくれればいいんじゃないかな」
「えっ、殿下……!?」
「こーらロギー君、お忍び中だっての。そうだ、扉を守ってるってことでどう? 誰か近づいてきたら迅速に対応できるしさ!」
「……だ、そうだが。どうする?」

 うんざりしたニッツフェンの確認に、ユラは細く息を吐く。
 そして、返事の代わりに話を切り出した。

「面倒な種類の話よ。取引がしたいの」
「……内容を聞こうか」
「今回の事件……セシロトの残党が関わっている可能性があるってことは、そっちの人から、聞いてるわよね?」

 直接的な問いかけを、ニッツフェンは一拍置いて肯った。
 セシロトの存在を報告すること自体は、ログイットから了承を求められていた。無報告でいられる内容でもない。ユラとの関係をどうごまかしていたのかは知らないが――薄々、察してはいるだろう。
 冷たくなる指先を握り、ユラはまっすぐに男の悪人顔を見据えた。

「居場所の手がかりを持っているわ。罠である可能性を踏まえた上で、あなたたちに提供してもいい」

 ニッツフェンが切れ長の目をこの上なく瞠り、何かを言いかける。
 なぜすぐに話さなかったのか。今になって話す理由は何か。ユラの素性は、本当に彼の推測どおりなのか。そんなところだろう。
 苦虫を噛みつぶした顔で苛立ちを飲み込み、ニッツフェンは低い声で訊ねた。

「対価は?」
「三つよ。まず、現地には私を同行させて。最初の交渉権は私に。それから――可能な限り、殺さないで」

 射竦めるような視線を受け止める。
 お互いに腹の内を探る、重苦しい沈黙が、広い室内を支配した。

「……第三条件が不明瞭だ。その場に居合わせた全員をどのような状況下でも生かして捕らえろという意味なら、受け入れかねる」

 ユラは意外に思って男を見上げた。人を何人か殺していそうな顔で、予想外の誠実さだ。
 条件の曖昧さは、彼の側にとって有利なものであるはずだ。ユラを真っ当な取引相手として扱うのでない限り、認識を摺り合わせるような手間は取らない。

「判断は、任せるわ。状況が許す限りでいい。努力して。……あなたたちにとっても、証人は有用なはずよ」
「妥当な意見だ。……いいだろう、条件を呑む」

 分の悪い賭ではないと思っていた。神殿にとって目下の最重要危険人物が関与していた可能性は、ガルフォールトにとって一筋の光明だ。首謀者が国内の人間である以上、責任転嫁は無理でも、外的要因の大きさを主張することはできる。そこに手土産が加われば、状況はぐっと好転する。
 安堵を表に出さないよう、音を出さずに息を吐いたユラは、ログイットの硬い表情に気づいていなかった。