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 久しぶりに会った古馴染みは、常でも人に怯えられる悪人顔が、もはや極悪といえる水準までの凶相となっていた。
 眼鏡の奥で光る目は、それだけで相手を黙らせんばかりの威圧感を発している。
 ログイットは緊張と供に相手の反応を待った。高級ホテルの賓客室とはいえ、護衛を含めて総勢八名の大所帯だ。狭苦しいような圧迫感が否応なしに増し、背にのしかかっている。

「やってくれたな。とりあえず五体満足は喜んでやるが……及第点なのはそれだけだ、ログイット」

 口調は辛辣だったが、その中には一抹の安堵が混ざっていた。
 兄弟ぐるみで長い付き合いになるログイットだからこそ、感じ取れる些細なものだ。
 ログイットは表情の選び方に失敗し、結局、神妙な表情でうなだれた。

「すまない、ニッツ。面倒を掛けた」
「全くだ。昔からお前ら兄弟ときたら、私を便利屋か何かと勘違いしてはいないか」
「そんなことは……」

 ニッツフェン・フォーイ・バルガネスは貴族院の議員であり、優秀な法律家だ。兄が旧友である彼を何かと頼りにしている事はログイットも知っていたが、彼はどうやら、ログイット自身に対しても思うところがあるようだった。
 ぎこちない苦笑いを返したログイットに、ニッツフェンは渋面そのものでかぶりを振った。

「……まあいい。状況を説明しよう。幸い、ティティはお前を捜しに出ているところだ。戻る前に終わらせるぞ」
「ティティを連れてきたのか!? どうして――」
「いいか、ログイット。私は子どもが嫌いだ。人生において、可能な限り関わりを持ちたくないとさえ思っている」

 ふんと鼻を鳴らし、男は自慢にもならないことをきっぱりと言ってのけた。

「それを押してまで同行を許した。理由は分かるな?」
「まさか……兄さんに何か」
「九日前だ。王の命令で拘束された。現状も軟禁状態だ」

 予想以上の厳しい状況に、ログイットは奥歯を噛みしめた。
 ニッツフェンはわずかに眉を上げた。苛立ちに染まっていた目に、意外そうな色が覗く。

「俺のせいで……」
「口実になったのは確かだな。だが、いずれもヒューズは予測していた。お前が事を起こさずとも因縁を付けてきただろう。あいつは今や旧王子派の筆頭扱いだ。王からすれば、さぞ目障りだったろう」

 悔恨を露わにして、ログイットが目を伏せる。
 ニッツフェンは言葉の矛先を納め、うなだれるログイットを椅子に座らせた。

「兄さんは、どの辺りまで予測していたんだ……?」
「当局が反体制派に極端な方針を取ること、お前がいずれそれに応じられなくなるだろうということ、その他は大から小まで諸々だな。あいつは石橋に危険を見れば、隣に鉄橋を立てるような慎重派だ。もっとも、まさかいきなり保安局とやりあうとは思っていなかったようだが」
「……面目ない」
「全くだ。だが、ここから先は背を丸めるな。お前には正当性を主張してもらわねばならない。自分がすべて正しいのだという顔をしろ」

 ログイットはとっさに頷くことができなかった。
 煮え切らない態度にニッツフェンはわずかに目を眇めたが、あえて念を押すことはしなかった。感情がどうであろうと、理屈で納得すればすべき事はするのがログイットという男だ。その程度の信頼はある。

「ニッツ、一つだけ頼みがある」
「何だ」
「こっちで世話になった人物が、別件でトラブルに巻き込まれている。〈神殿〉と今後の身の振り方を調整しているところなんだが……決まるまで、うちで保護したい」

 神殿という言葉に僅かな反応を見せ、彼はしばし思案したのちに頷いた。

「いいだろう。〈神殿〉との繋がりがあるなら重畳だ」

 ニッツフェンは無駄のない動きで立ち上がると、いぶかしげな顔のログイットを見下ろした。

「私がガンプリシオに来た理由は三つある。一つは市当局との会談。二つ目はお前を連れ戻すこと。三つ目は、これがもっとも重要だが、ある人物を〈神殿〉に引き合わせることだ」
「ある人物……?」
「今は一時的に警護官となっている。お前はまだ面識がないだろうが、名前ぐらいは知っているはずだ」

 この状況でもっとも優先される人物だというのだ。まったく想像ができず、ログイットは困惑して眉を寄せた。
 ニッツフェンが近くにいた警護官に所在を訊ねると、いかめしい顔つきの警護官は、感情の揺れを見せずに答えた。

「『彼』は現在、令嬢の警護に当たっています」
「……なんだと?」
「どうしてもと譲りませんでしたので、やむをえず。念のためサクフォンをつけております」
「……どいつもこいつも、どうしてこう好き勝手に動きたがる……!」

 警護官は失言が聞こえなかったかのような涼しい顔で姿勢を戻し、話を飲み込めないログイットに冷ややかな目を送った。
 規律を絵に描いたような男からすれば、どんな理由があろうと、ログイットのような命令違反者は唾棄すべきものだろう。肩身の狭い思いだった。
 今となっては、特大の釘を刺してくれたユラに感謝するばかりだ。
 ふと懸念を思い出して、ログイットの眉間に皺が寄った。

(心配が、杞憂ならいいんだが……)

 ログイットが不在の間、商会に出かけると宣言したユラとやり合ったのは、つい今朝方の話だ。
 危険だという説得も効をなさなかった。せめてもの抵抗にバリケードを築いて閉じこめてはみたものの、ユラの手元に素材という万能道具がある以上、意味はなさないだろう。かえって負けん気を引き起こしてしまったかもしれない。
 とはいえ、ユラの主張も分かるのだ。
 この常闇の街で、偶然敵に見つかる可能性は低い。そして、〈神殿〉はすでに逃亡中の重犯罪容疑者を確保すべく、ユラの行動範囲に人員を配置している。ユラがよほど予想外の行動にでも出ない限り、その身に危険が及ぶことは考えにくい。

(……そう、やりすぎなんだ)

 離れているという事実だけで、こうも不安になるとは思わなかった。
 自嘲を浮かべてしまいそうな口元をどうにか引き締め、ログイットは暫定の上司に従って、部屋を出た。

 

 

 

 言い訳を許されるのなら、お互い、疲れていたのだ。

 ユラはただでさえ行動を制限されることに慣れておらず、おまけに神殿にも商会にも大家にも、行く先々でログイットのことを囃されて二重に苛立っていた。ログイットはログイットで、神経を尖らせる対象が増えた上に、ユラの不機嫌にあてられて無意識に消耗していた。
 ついでに言うなら、タイミングも悪かった。
 あわただしく方々との連絡調整を終え、ようやく一息ついたところだった。だからこそログイットは身内と接触を持とうとしたのだが、慎重を期するあまり、自分が戻らなかった場合の対応を事細かにユラに指示したのもまずかった。
 聞いているうちに不穏の気配を漂わせはじめたユラは、やがてくっきりと眉間に皺を寄せ、顎を上げて言い放った。

「ああそう。だったら、その間に商会に行って、外套を受け取ってくるわ」
「……は……!?」

 もちろんログイットは止めた。危険だと言葉を尽くして説得したが、不機嫌になったユラは、もちろん、聞く耳を持とうとしなかった。

「外套なんて、そんなに急ぐようなものじゃないだろう。俺が戻ってからでも……」
「ついさっき、戻らないかもしれないって言わなかった? そうしたら半日むだになるわね」
「それは万一の可能性で――」
「神殿だって、見張りだか護衛だか知らないけどその辺に置いてるじゃない。あなたに文句を付けられるほどの無謀じゃないわ」

 下手に感情論を理屈づけるだけ、たちが悪い。
 とうとうそっぽを向いたユラにログイットは説得を諦め、深々と、長いため息を吐き出した。

「……わかった」

 ログイットはそのまま部屋を出ていった。
 ユラは怪訝な顔で、扉が閉まるのを眺めた。
 保安上の理由で、部屋の格は惜しまなかった。廊下に続く扉を開けてすぐという状況では気が休まらない。ベッドルームの向こうには、心ばかりのリビングがある。
 そのまま外出したわけではないだろうが、いやに素直に引き下がったように思えて眉を寄せ――はたと、物音に顔をしかめた。
 まさかと思って扉に手をかければ、外開きのはずの扉が開かない。

「……やってくれるじゃない……!」

 鍵は内鍵だ。おそらく扉の向こうで、机だのチェストだのが山積みになっているのだろう。
 頭に血が上ったユラに、おとなしくログイットの帰りを待つという選択肢はなかった。

 

 ――改めて振り返ると、何とも大人げない話だ。
 人通りの多い街道を歩きながら、ユラは白い息を吐いた。

 スーツケースに詰められるだけ詰めてきたとはいえ、手持ちの素材で組める術式は限られる。おまけに扉向こうのバリケードの材料は、賠償額など考えたくもない高級家具だ。壊すわけにはいかない。
 目まぐるしく方策を比較検討し、自宅の保管庫を恋しく思いながら苦労して術式を組み上げて、見事に扉を開ける頃には、動力源たる怒りはすっかり爽快感に取って代わられていた。

 要は、頭が冷えてしまったのだ。
 実を言えば出かけるのも面倒になっていたのだが、それはそれで面白くない。重い腰を上げて商会に出向き、外套を受け取って、寄り道もせず帰路についた。

(……何をしているんだか)

 夜だろうが昼だろうがガンプリシオの空は真っ暗であるままだ。それでも、人通りは圧倒的に昼の方が多い。
 巷で言われるほどガンプリシオの治安は悪いものではないが、ユラのように昼夜を逆転してしまう人間は、この町では稀だ。多くは懐に時計を抱き、針の指し示す時間とともに暮らしている。
 人の気配に耐性が低いユラにとっては、すれ違う人間が多いだけでストレスだ。積もっていく疲労に、またため息が落ちた。

(挑発したのはこっちだけど、だからって、あそこまでする? 自分だってうろうろ出歩いてたくせに、あの過保護っぷり……)

 こみ上げてきた衝動にどうにか耐え、ユラは眉間を揉んだ。監視の目がある中で、地団駄を踏んでいるのはばつが悪い。
 ユラの報告を得て、〈神殿〉の行動は驚くほど早かった。セシロトの〈青い箱〉事件の首謀者が初めてその足跡を見せたのだ。新たなる脅威への警戒、重要証言者の安全確保、重犯罪容疑者の捜索――一夜にしてそれらの手を打ったようだとログイットから聞かされて、ユラは唖然とするしかなかった。
 ユラの自由は、〈神殿〉が与えた対価の一つだ。だからこそ彼らはユラを無理に保護下に置こうとはしない。だがそれも、次の拠点をどこに移すか決まるまでだ。お互いに落としどころを探すやりとりだが、おそらくは、落ち着ける場所を用意するまで、一時的に〈神殿〉に身を寄せることになるだろう。
 この先のことを考えると、胸に暗い影が落ちた。

(……私は、どうしたいんだろう)

 今度こそ逃げおおせたいのか。それとも、裏切った相手に断罪されたいのか。詰られたなら気が済むのだろうか。――謝ることもできないのに。
 胸にたまる鬱屈が、足取りを重くする。
 真新しい外套のポケットに手を入れ、指先に当たったものを取り出した。
 琥珀のような楕円の石だ。表面に刻まれているのは、三枚の葉と片皿天秤――セシロトの文様だ。燃やしたカーテンから生成されたその石は、予想していた以上に、致命的なほど身元を隠すつもりが感じられなかった。
 神殿に渡せば目の色を変えて解析し、有力な手がかりを掴むに違いない。

(どういうつもりなの……クランヘルム)

 鍵はかかっているが、おそらく、中に詰められているのは位置情報だ。とうてい、裏切者に渡すようなものではない。
 ユラがこれを〈神殿〉に引き渡すことはないと、たかをくくっているのだろうか。
 そのとおりになっているのだから笑えない。
 いつだってそうだった。あの男は、逃げ道を奪った上で、ユラに選ばせるのだ。

(性格の悪さは相変わらずみたいね。……渡せるはずなんてないのに)

 ユラは二年前、すでに目的を遂げている。禁術を告発したのは、神殿に恩を売りたかったわけでも、誰かを憎んでいたわけでもない。再びかつての仲間を売る理由はなかった。国という支援者を失い、権力を失い、追われる身となったクランヘルムに、脅威があるとは思えない。
 我が身が危険にさらされても、その思いは変わらなかった。
 憎まれて当然だし、彼らにはユラを憎む権利がある。裏切るのは一度で十分だ。
 素直に復讐されてやるしおらしさまでは、さすがに持ち合わせていなかったが。

 目を伏せて呼吸を整え、顔を上げようとしたとき――不意に、右手を引かれた。
 驚いて振り返ったユラに、目線の遙か下から、舌っ足らずな声が勢いよくぶつかってくる。

「レディ、ぶしつけにごめんなさい! ログイット・キルク・ジルセスをごぞんじ?」

 心底からぎょっとした。
 ログイットの名前が出てきたからというだけではない。なぜなら、ユラの手を引いたのは、ここにいるはずのない少女だったからだ。
 まっすぐで無垢な瞳。愛らしい顔立ち。お日様と同じ色のふわふわした髪に、後ろ頭には焦げ茶の大きなリボン。年齢は、確か八歳だと言っていたはずだ。
 写真で見たそのままの天使――ログイットの姪っ子が、まっすぐにユラを見上げていた。