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 大通りの手前で呼び止められたユラは、追いかけてきたログイットを見て、訝しげな顔をした。

「何よ、それ。変装?」
「どうかな。ドクターが面白がって……」

 ログイットは落ち着かない様子で黒縁の眼鏡をかけ直した。
 眼鏡一つで変装のつもりなのだろうかと、ユラは呆れ混じりに首を傾げた。

「ドクターのだったら、老眼鏡じゃないの? 目が悪くなっても知らないわよ」
「いや、そんなに度はないから。大丈夫だと思う」
「だったらいいけど……それより、何か用だったんでしょ」

 ユラが促すと、ログイットは曖昧な笑みを浮かべて首裏を掻いた。

「素材の買い出しなら手伝ってくるようにって、ドクターが」
「え?」

 ユラは目を瞬き、次には、眉間にくっきりと皺を寄せた。
 反応を予想していたログイットは苦笑するばかりだ。

「……いいわよ、別に。いつものことだもの。わざわざ手伝ってもらうほどじゃないわ」
「でも、大荷物になるだろ? 男手があった方が……」
「いらないってば! だいたい、自分の立場が分かってないの? 昼間からほいほい出歩くってどうなのよ。見つかったって知らないから」

 いらいらと腕を組み、それだけでは感情が収まらずにそっぽを向いた。
 誰も頼んでなどいないのだ。よけいな親切心で、勝手に身を滅ぼされてはたまらない。
 ここまで言えばドクターにも言い訳がつくだろうに、ログイットは妙に嬉しげな――ともすれば、微笑ましいとでも言いかねない表情を見せた。

「心配してくれてるんだな」
「……別にそんな話じゃないわよ。こっちだって巻き込まれかねないって、それだけ」
「大丈夫、そうそう見つかるものじゃないさ。この暗さだし、区画も大分離れてる」
「あのねえ。そういう問題じゃ……」
「ドクターに頼まれたからっていうのもあるけど、俺が手伝いたいんだ。ほら、恩は返すものだろ?」

 いたずらめいた笑い方は初めて見るもので、ユラは思わず言葉に詰まった。
 熱を持った顔をごまかすようにそっぽを向き、ストールに顎を埋める。

「もういい、好きにしたら」
「ああ。そうさせてもらえると助かるよ」
「……言っておくけど、次は助けないからね」
「わかってる」

 可愛げなどかけらも込めてはいないというのに、ログイットが笑いを堪えるように口元を覆った。
 やたら癇に障ったので、近くにあった向こう臑を爪先で蹴ってやる。期待したほどのダメージは与えられなかったようで、「痛い」と主張するログイットの声は、やはり笑い混じりだった。

 街から雪が消えても、ガンプリシオの冬は寒い。通りを吹き抜けていった強い風に、ユラはストールを押さえて身を縮める。
 ふと、何か言いたげなログイットの視線に気付いた。

「何よ?」
「あ、いや……」
「そういえば、随分な薄着じゃない。寒くないの?」

 訊ねれば、ログイットが心外そうに目を瞬いた。

「俺?」
「だから、借りるものが違うんじゃないかって言ってるの。眼鏡は借りたのに、コートは借りなかったのね」
「ああ……うん、まあ、ちょっと色々と……」
「何よ?」
「いや、色々と」

 ごまかすように目を泳がすログイットに、ユラは怪訝な顔で首を傾げた。
 それが男の見栄によるものだと、ユラは気付かない。身長と体格差がありすぎて、いずれも肩幅が合わず、裾を引きずる羽目になるのだ。
 ユラの視線から逃れるようにして、ログイットが話題を変えた。

「そっちこそ、薄着すぎないか?」
「どこが?」
「いや、首周りとか……脚とか」
「……どこ見てるのよ、すけべ」
「え!? いや、そういう意味じゃなくて! 単に純粋な面積比の問題で……」

 じっとりしたユラの目に、ログイットは慌てて首を振った。
 毛織物のオフタートルワンピースは襟刳りが開いていて、ボトムも動きやすく丈が短い。髪もヘアクリップで纏められて、細い首筋を晒している。誰が見ても防寒指数が低いと言うだろう。
 ユラも本気で相手の下心を疑ったわけではない。ログイットの狼狽ぶりに、してやった気分になって機嫌指数を上方修正した。

「首周りが苦しいの、嫌なのよ。寒いのはそんなに気にならない方だし」
「……この間のコートは?」
「あれは駄目になったから、代わりを取り寄せてるところ。術式の触媒にするにはキャメルが一番向いてるから。相性とか耐久性とか諸々ね」

 駱駝の毛織物キャメルは希少な素材で、在庫として抱えている商会は少ない。要望通りの商品が届くにはもう少し時間がかかるだろう。
 物が届いたら、今度は術式を縫い込まなくてはいけない。設計図は残してあるからそう時間はかからないだろうが、それでも数日はかかる。
 この際だからもう一度構成を見直しておこうかと思案していたユラは、ログイットが血の気を引かせていることに気付いた。
 ――触媒は術式への耐性が重要になる。つまり逆を言えば、術式を使えば触媒は劣化するのだ。
 どうやら彼は、コートが駄目になった原因に気付いてしまったらしい。

「……ごめん、俺のせいだよな。弁償する」
「いいわよ」
「でも」
「別にいいってば。現行無職が何言ってるんだか」
「……まだ馘首クビにはなってない」
「時間の問題よね」

 きっぱり言い過ぎたせいで、ログイットが言葉もなく胸を押さえた。
 しまった、とユラは眉根を寄せる。また言い過ぎたかもしれない。どうにかフォローの言葉を見つけようとしたが、うまく人を励ますことができるようなら最初から失言などしていない。結局、他にうまい言い方を見つけられず、開きかけた口をそのままつぐんだ。

(……どうして、こうなるのよ)

 結局のところ、ユラがひとりぼっちでいる理由は、うまくできない自分自身のせいなのだ。
 息苦しさに耐えられなくなり、足を止めた。
 ログイットが不思議そうに振り返る。

「ユラ?」
「……やっぱり、手伝わなくていいわ。一人で大丈夫だから」
「……急にどうしたんだ?」
「あなたも暇じゃないでしょ。ドクターだって、私が嫌がったって言えば怒らないわよ。それでいいじゃない」
「ユラ」

 困惑しきった声がユラの名前を呼んだので、ますます顔をあげられなくなった。
 違う。こうやって、構って欲しかったわけではない。だが――ログイットがすんなり納得して立ち去ってしまうはずがないのだ。わかりきっていた事態を招いた自分に、苛立ちを覚えた。
 自分本位で、わがままで、救いようがない。
 ずぶずぶと自己嫌悪に陥っているユラに、ログイットは、面倒そうな様子のかけらもなく訊ねてきた。

「ごめん。何か、怒らせるようなことを言ったかな」
「……別に、そういうのじゃないわ」
「だったら……いや……そうか。俺みたいなのと一緒にいたら、迷惑がかかるよな」

 思わず顔を上げた。
 引っかけでも何でもないようで、ログイットが浮かべた苦笑には、隠しきれない自嘲の色が見えた。

「ちょっと、私は別に……!」
「万が一のことがあれば、否応なしに君を巻き込んでしまう。恩を徒で返すようなものだ。すまない。よく考えればわかることなのに、考えが足りなかった」
「だから違うってば! もう、いいからとりあえず黙って!」

 八つ当たりに近い気分で怒鳴ると、ログイットがそれこそ叱られた犬のような風情で口をつぐむ。
 大声を上げたユラに、通行人からちらほらと好奇の視線が飛んできた。
 おかげで、ユラは慣れない種類の言語感覚を総動員して、弁解の言葉を探す羽目になった。

「だから……何ていうのか、人といるのが、苦手なの」

 絞り出した言葉は、紛れもない本音だった。
 顔を上げたログイットから目をそらすように俯いた。

「昔、思いやりのない人間だって言われたことがあるわ。その通りだって思った。すごく納得したのよ。……言い方はきついし、いつだって相手を言い負かせようとしてる。人に優しくする方法なんて全然分からない。そういうのって、直せないの。今まで生きてきて思い知ってる」

 顔を伏せたまま言い終える、ユラは清々した気分で息を吐いた。
 何かを定義することは、ユラのような人間にとっては安心の素だ。諦観と、壁を作り出してくれる。
 思い込みでも落ち着いたような気になり、ようやくログイットを見ることができた。

「つまり、お互い嫌な思いはしたくないでしょって話よ。あなたのせいじゃないって納得したなら、譲歩して」
「俺は別に……君といて、嫌な思いをしたことはないけど」
「……は?」
「確かに言葉を飾らないから、ぐさっとくることはあるけど。優しいっていうのは、そういうものだけじゃないはずだ。……ユラは十分、優しいと思う」

 今度こそ、二の句を告げられなくなった。
 冷えきっているはずの指先が熱を持って、痺れているような感覚がじわりと上ってくる。それを嬉しいと表現するのはなんだか癪で、ぐっと唇を結んだ。

「……それは、どうも」
「いや。……少し、君のその優しさに、甘えすぎていた。ごめん。君の言うとおり、フラットでおとなしく――」
「ねえ」

 とっさに言葉を遮ったが、その続きを口にするには思い切りが必要だった。
 面倒くさい性格をこの上なく自覚している。ログイットが根気よく待たなければ、多分、出てこないままだっただろう。

「……今日、荷物が多くなりそうで」
「え? ……あ、ああ、うん」
「あなたがいやになってなければだけど……その、持ってくれるなら、助かる」

 そろりと確かめたログイットの表情は、ほっとしたような、害のないものだった。

 

 

 

 

「あ……!」

 車中で窓を眺めていた少女が、小さく声を漏らした。
 どうしたのかと男が問いかけるより先に、少女は勢いよく振り返る。

「とめて! はやく!」

 運転手が困惑した目を男によこす。
 男も十分に困惑して、少女の細い肩に手を置いた。

「無理を言うな。どうした?」
「いいから、はやくとめて! いたの!」
「なんだと? しかしだな……」

 ガンプリシオは常夜の街だ。子どもの目で遠くまで見渡せるような環境ではない。メインストリートは人も車も交通量が多く、とてもではないが信じられなかったのだ。
 男の脳裏に、少女の直感を信じる気持ちと、常識的な判断がせめぎ合うのは一瞬だった。
 ようやく止められた車から少女がまろび出る。護衛に短い指示をとばした男は、それを見失わないように急いで追った。

 人混みをかき分け、少女は懸命に走っていた。
 転ぶのではないかと男は冷や冷やしていたが、足をもつれさせながらも、少女は一目散に道を戻っていく。
 やがて、少女が声を上げた場所にたどり着いた。
 この状況では、たとえ見間違いではなかったとしても、もう見つけられるはずはない。
 少女はそれでも諦めきれないようで、しばらくその近くをうろうろしていたが、男が声をかけると泣き出しそうな顔でうなだれた。

「いっちゃった……」

 悄然とした小さな体が余りにも健気で、男は柔らかく苦笑した。

「君に気付かなかったのだろう。こんなに暗くては仕方がない」
「……だって」
「大丈夫だ。あいつはちゃんと見つかる。だから、あとでたっぷり怒ってやればいい。……そうだろう?」

 慣れていない優しい口調を心がけ、頭を撫でながら言い聞かせた。悪人顔はどうにもできないが、声音を和らげることは可能だ。
 潤んだ目で男を見上げた少女は、唇を結んで頷いた。