08 // Time is the great healer.

時間だけが何かを変えていくのなら、足掻いている今には何の価値がある

 クローン技術の教材。アイデンティティが主題の映画。十八年前に死亡している、静帆と同じ名前の「姉」。
 条件は揃っている。
 揃ってはいるけど、ひっくり返せば「それだけ」のことだ。
 ――岡崎は、静帆を姉のクローンだとでも考えているんだろうか。
 僕もそう思い込みそうだ。余りにも、そう考えることが出来るような材料が、多すぎて。
 だけど、そんな訳はない。一晩寝て大分落ち着いた頭で、僕はやっとその結論にたどり着いた。そう、そんな突拍子もない話、あるわけがないんだ。
 いつだったかテレビのクイズ番組でやっていた詭弁の話を思い出した。白を黒だと言いくるめることは出来るかもしれないけれど、言い負かしたところで白が黒に変わるわけじゃない。理屈は事実を塗り替えない――僕にはそんな発想自体が眉唾もので、そういう見方もあるんだなあなんて間抜けな感想を持ったものだったけれど、今は確かにそうだと思う。
 静帆の両親は、静帆に姉さんの代わりを求めてるのかもしれない。それは静帆自身にとっては大事かもしれないけど、そこからクローンなんてSFじみた結論に吹っ飛ぶにはかなりの無理がある。第一、一卵性の双子だって遺伝子は同じだとか、人格を復元することなんて出来やしないとか――僕にそう言ったのは、当の岡崎だ。

(ああちくしょう、頭パンクする……)

 実力テストはもう明日だっていうのに、勉強なんか手につくはずがない。切り替えの鈍い自分の頭にうめきつつ、僕はイディオムの参考書を放り投げた。当たり所が悪かったのか、スタンドが派手な音を立ててひっくり返る。ついてないときはとことんついてないらしい。直す気にもなれずに、僕は机に突っ伏した。
 結局今日に至るまで、静帆とはろくに口をきいていない。明日はもう冬休みで、実力テストの日で、陸上部の追い出し会もあって――ついでにクリスマスイブだ。何だかもう、出来るなら一日中家にこもりたい。
 もっとも母さんは相変わらず不機嫌なままだし、姉ちゃんは直接聞いてきこそしないものの僕のことを怪しんでるし、父さんは無関心を決め込んだままで、家の中にも不協和音は響いてる。居心地のいい逃げ場所なんてどこにもない。

(……サボるわけにも、なあ)

 静帆と顔を合わせたくない。岡崎の顔も見たくない。そんな風に悶々と渦巻いていた僕の不満は、翌日、予想外の形で気を抜かれることになった。
 静帆が休んでいたのだ。
 テスト前を前にして、短い休憩時間中のクラスには焦げるような空気が漂っていた。その中でわざわざ声を掛けてきた信に、僕は不機嫌な態度で応じた。

「槙村さん、どうしたんだろうね。大丈夫かな」
「風邪か何かだろ。お前が心配することじゃねぇよ」
「それはそうだけど……まだ喧嘩してるんだ?……今日、約束とかしてないの」
「してない。陸上部のほう出るし」

 信が意外そうに目を見張った。タイミングよく先生がテスト用紙を抱えて教室に入ってきたので、それ以上何か言われることはなかったものの、僕は不機嫌な顔で頭を掻く。
 気になることが多すぎて、英単語の入る余地なんてないも同然だ。受ける前から返ってくるのが怖いテストを睨みながら、ちらりと、静帆の青い顔を思い出した。
 考えてみれば、体調が悪そうだったような気がする。頭に血が上ってて忘れてたけど、一番辛いのは、多分静帆だ。

(おれも態度悪かったし、このままってのも……)

 テストが終わったら、メールでも送ってみるか。
 気もそぞろに問題を読みながら、僕は胸中でひとりごちた。





 散々悩んだ挙句、風邪か、大丈夫かとかつまらないことをメールに書いた。
 こんなとき、気の利かない自分の性格に頭を抱えたくなる。うまく励ましたり、気を紛らわせたり、そういうことをやってのける要領のよさは、姉ちゃんが全部身長と一緒に持ってってしまったんじゃないだろうか。お陰で後に生まれた僕の背は伸びないし要領は悪い。そう考えればいっそ諦めもつくというのに。
 テストが終わった後の開放感は、この時期になってもやっぱりまだ気が抜けていて、しつこく単語帳を睨みながら帰っていくやつは少数派だ。
 追い出し会が始まるまで、しばらく時間があった。信がこっちを気にしながら教室を出てしまうと今更ながらに緊張して、大きな音を立てる教室の時計を恨みがましく見上げた。準備は一、二年でやるのが慣例だし、あんまり早く行き過ぎても気まずい。
 落ち着かないままイディオムの参考書をめくっていると、携帯電話がメールの着信を告げる。静帆からだった。

『大丈夫。ありがと』

 静帆にしては珍しい、短いメールだ。いつもなら必要ないことまでつらつらと書いてくるのに。

(ありがと、ってことは……怒ってないような感じもするけど。あいつのことだから、無視とかできねぇだけかもなあ)

 やっぱりまだ怒っているんだろうか。それとも風邪がひどいんだろうか。どっちにしろ、この分じゃ海に行く約束なんて果たせそうにはない。
 液晶画面の無機質な文字をいくら読み返しても、読めるような行間なんて見当たらない。静帆のメールが教科書みたいな文面なのは、記号とか画像とかがこっぱずかしいという僕の苦情のせいだ。今はそれを恨めしく思う。語尾にハートマークかにこやかな顔文字でもついてれば、少しは都合のいい方向に解釈できそうなのに。
 もやもやとしたものを抱えたまま、参考書を鞄に詰めて家庭科室に向かう。近づくたびに重くなっていく足取りに頭を抱えたくなっていると、唐突に、馬鹿明るい声を投げられた。

「あっれ、東じゃん! 何、来たの?」

 けらけらと笑いながら、抱えた段ボール箱で小突いてくる。
 僕がよろめきながら振り返ったところにいたのは、陸上部の中でも一番背の高い、郷沖だった。

「ほら、そんなとこ突っ立ってねーで入れよ。もしかして緊張してんの?」
「ばっ……ち、違えよ!!」
「うわ図星か! いやーかわいいとこあんじゃんお前もさー」
「だから……って、ちょ、おい、やめろこける!」

 慌てて逃げ出して調理室のドアを開けると、中のざわつきが心持ち静かになった。
 頭を打たれたような気がして、唾を飲み込む。部屋の中にいたメンバーの顔は、知っている奴よりも知らない奴の方が多いようだった。目が合った佐々原が、憮然と顔を背ける。足を踏み出すのを忘れていた僕に、背中から呆れたような郷沖の言葉がかかる。

「東ぁ、そこで突っ立ってられると入れねーんですけど?」
「あ……悪い」

 じろじろと視線はやってきたけれど、どれもこれも、「誰だこいつ」と言いたそうな目だった。
 そうか、と僕は呆然と思う。こっちが一年を知らないのと同じで、一年も僕のことを知らないのだ。
 潜められた声がまるで全部僕のことを話しているように思えた。胸を引っ掻くような錯覚にひっそりと笑う。それに気付いたのか、郷沖が僕に遠慮のない声を投げた。

「東、お前何飲む?」
「え?……ああ、何でも……任せる」
「よし任された。青汁決定」
「何でんなもん用意してんだよ!?」

 思わず悲鳴じみた声になった。返ってきたのはやたら楽しげなニヤニヤ笑い。ああそうだ、こいつはそういう奴だった。うかつなことを言った自分を呪ってやりたい。

「仕方ねぇなあ、サービスで濃度二倍にしてやっから」
「サービスかそれ……ってしかも粉末かよ! 溶けきらねぇって!」
「うろたえるな、根性は不可能を可能にする」
「あああやめろおれが悪かった、お願いです一袋にしてくださいっ」

 わざとらしい咳払いが、即席漫才を遮った。
 微妙な空気を漂わせ始めていた調理室がようやく落ち着きを取り戻して、近藤のじいさんに集まる。

「……元気が有り余っとるようだが、いいかげん始めさせてもらえんかの」

 僕は思わず首をすくめる。
 何だか、似たようなことをやった覚えがあるような気がした。これが既視感ってやつだろうか。

「それじゃあとりあえず、乾杯ってことで! 大木よろしく!」

 郷沖が大げさに手を叩く。部長になったらしい大木が、苦笑で応じた。

「お前が司会でいいだろ、宴会部長」
「ああ? いつの間に任命したよ!」

 場が笑うような形に緩んだ。すったもんだの末に、ようやく乾杯の音頭が取られる。大木がさりげなく回してくれたコーラの紙コップをありがたく頂戴して、僕は隅の方へ下がった。
 つつがなく進んでいく追い出し会の空気は、僕の存在なんてなかったみたいだ。にぎやかな部屋の中で、小さく息をついた。
 最悪の形で部を辞めて、もう一年もたつのか。なんだか随分と色んなことがあった気がする。今ここの場所は、僕がいた頃とは大分違うメンバーで、全然違う空気で出来ている。
 部をやめる前は、どんな感じだっただろう。それがよく思い出せないことに気付いて、不思議に思った。
 覚えているのは、最後のあのときの、凍りついた空気だ。同情から怒りへと変わる目の色。それを見て途方もなく胸がすいたことは、今でもまだ、はっきりと思い出せる。

 ――お前らに、おれの気持ちなんてわかってたまるか。
 ――本当は喜んでるんだろ? おれがいなきゃ、お前が代表に入れるんだからな。

 堰を切ったように溢れ出した言葉はどす黒い悪意で出来ていた。冷えた何かが喉の奥に詰まるようで視線を落とす。あの時僕は、笑っていたんじゃないか。

「……東、どうした?」

 気を使ってだろう。近くに席を取っていた大木が、ものすごく直球に訊ねてきた。まさか去年の行状を思い返して自己嫌悪していましたなんて答えられるはずもない。答えられなくて思わず固まったところに、郷沖がげらげらと笑いながら首を突っ込む。

「っつーか相変わらず馬鹿素直だよなあ部長様は! というわけで三年のコメントはお前からな!」
「え? うわっ!」

 無遠慮に大木の首を固めて引きずっていく。郷沖の言葉にはどこか含みがあるものの、とにかく、今は助かった。こっそりと席を離れようとすると、大木の慌てた声が飛んだ。

「あ、おい、東?」
「……小便」
「おう、戻ってくるまでに台詞用意しとけよー」

 軽く応じたのは郷沖だった。犬でも追うようにひらひらと手を振るので、相変わらずだと苦笑してしまう。
 外に出て、嫌な気持ちからじゃないため息をつくと、ぴりっとした痛みを喉に覚えた。冬至をすぎたばかりだからか、少し中にいただけなのに、日はあっという間に沈もうとしている。
 身震いしながらトイレを出た僕は、図々しく視界に入り込んできた教師の姿を見て足を止めた。綻んでいた顔の筋肉が強張るのを、ひどくはっきりと感じる。

「……岡崎」

 朝見たきりの担任は、ひどく不恰好な笑みを浮かべる。それは苦笑というより、泣き顔に近いように見えた。
 かっとなって通り過ぎようとした僕に、岡崎は静かな声で言った。

「すまない。君が、僕の顔も見たくないのは当然だ。……でも、あえて、話を聞いて欲しい」
「話すことなんかねぇっつって……!」
「頼む、聞いてくれ。……槙村さんのためにも」

 卑怯な言い方だ。
 唇を噛み締めた僕に、場所を変えないか、と岡崎が頼むように言った。迷いが頭を過ぎる。それでもその言葉に従うのは嫌で、ふいと廊下を睨みつけた。
 うなずくことも立ち去ることもできない僕に、岡崎はゆるく息をついた。

「あんたが……」

 ようやく口を開くと、岡崎が顔を上げる気配がした。僕は岡崎を見なかった。

「……あんたが何考えてんのか、大体はわかる」
「……そうか……そうだな、あからさまだったね」
「あんた、本気で――」

 本気で、静帆のことをクローンだとでも思っているのか。そんな馬鹿げた話を、本気で信じているのか。
 問おうとして、言えずに飲み込んだ。言ってしまえば丸め込まれてしまう気がした。
 黙りこんだ僕に、岡崎は確信を持った声で言った。

「僕は、以前の『静帆』を知っている」

 握り締めた手に爪が食い込んだ。胸を駆け巡った衝動をどうにか押さえ込んで、掠れた声を押し出す。

「……前のじゃねえよ。あいつの、姉ちゃんだろ……」
「……姉といえば、そうかもしれない。でも、実際は……人の手を介して作り出された、同じ遺伝子の……」

 着火点は容易に過ぎ去った。怒りに任せて岡崎の襟首を掴む。岡崎は痛ましそうな顔をしただけで、動揺もしなかった。

「前も元も知るかよ!! なんであんたは――あんたは、そんな――」

 どうして寄ってたかって、そんなことを押し付けるんだ。巧く言葉にならないことに苛立った。動揺しない岡崎にも、こんなことでしか怒りを表せない自分にも。

「なんでそんな、無茶苦茶なこと言いたがるんだよ!! 普通じゃねえよ! クローンだとか同じ遺伝子だとか、寝言もいい加減に……!」
「僕もそう思いたい……だが、事実だ」
「あんた、頭おかしいんじゃねぇか!?」

 感情のままに叫んだ。どこかで怯えているのに、気付いていた。
 相手は「大人」なのだ。腕力でどうこうという話ではなくて、絶対的に知識の多い、僕の知らないことを多く知っている存在だ。
 その理論で、理屈で、静帆を否定されるのが嫌だった。適うことなら殴り倒してでも止めたかった。それが出来なかったのは、こいつが静帆のためだとか、お為ごかしなことを言ったからだ。
 ふざけるな、と思う。その裏側で、それも嘘ではないのだと気付いている。

「……聞くだけは聞いてくれ。本当に彼女の味方が出来るのは、君くらいしかいないんだ」

 その言葉に揺さぶられた自分が、どうしようもなく情けなく思えた。



photo by RainRain