00//Man proposes; God disposes.

運命は誰かの指先ひとつで呆気なくひっくり返される。

 温暖化はずっと前から騒がれていたけれど、南極でラーセンBとウィルキンスがとうとう崩壊したらしい。氷棚が一気に減ったことで思い出したように騒ぎ出したテレビは、毎日のようにそのニュースを流しているけれど、それでも、師走の日本はやっぱり寒い。
 吐きだす息の白さにそんなことを思いながら、僕はコンクリートの階段を一段ずつ降りた。
 屋根と南校舎の間から覗く空にはそれなりに屑星が見えた。いつだったか、冬はすぐに日が落ちるから嫌だと僕がこぼしていたら、静帆は「でも帰りに星が見えるでしょ?」とあっけなく笑った。それに思わずうなずいてしまってから、僕はすっかりそんな気になってしまったのだろう。正直、感傷的すぎてとても口に出せる話じゃない。
 静帆――槙村静帆まきむらしずほは、僕が付き合っている女の子だ。
 彼女とか恋人とかって言えばいいのかもしれないけれど、やっぱりいざ言おうとすると、どうしてもむずがゆくてたまらなくなってしまう。
 どうして女は何でもかんでも言葉にして欲しがるんだろう。僕が悩みを蒸し返して考え込んでいると、足元から唐突に声が上がった。

「ストップ。あと二段で蹴飛ばしちゃう」

 僕はびくりと足を止める。よく見ると、階段に人の形をした塊が浮かんで見えた。

「……静帆……驚かすなよ」

 僕が思わずため息をつくと、静帆はスカートの砂を払いながら笑った。肩にかかる真っ黒な髪も十五歳にしては子供っぽい顔立ちも、ほとんど手を加えていなくて、多分集合写真で目を引くようなタイプじゃない。だけど、くしゃっとした笑い方は特徴的で、僕にはすごくかわいく見えた。

「お疲れさま。ぼーっとしてるね、大丈夫?」
「大丈夫だけど……先に帰っててよかったのに」

 もう辺りは真っ暗だ。危ないからというつもりで言った僕に、静帆は頬を膨らませた。……かわいいというより、子供っぽい。

「いっつも思うけどね、そういう言い方ってないと思う!」

 そのまま肩掛け鞄を引っ張って歩いていってしまったので、僕はさすがに慌てて階段を駆け降りた。

「悪い、そういう意味じゃ……」
「知りませんー。いっつもそうじゃない、貸したCDまだ返ってこないし」
「あ」
「ほらまた忘れてる」
「わ……悪い、明日持ってくる」
「ふーん、へーえ」
「……あのなあ。じゃあ何て言ったらいいんだよ……」

 静帆がぴたりと足を止めて、真顔で僕を振り返った。

「……だったら、手、つないでもいい?」
「げっ」
「あー! ゲってなにゲって!」
「あーあーあーおれが悪かったって!」

 最初は人見知りする子なんだと思ってたのに、親しくなってみると静帆は結構言いたいことを言うタイプだった。僕は多分おとなしい子が好きなんだろうと思ってたのに、静帆との会話は想像と全然違う。だけどそれも嫌じゃなくて、むしろ予想外に楽しいのは、もしかしてアバタもエクボってやつなんだろうか。
 でも手を繋ぐのは嫌だ。制服で下校中ならなおさら嫌だ。どこで同級生だの近所のおばさんだのに見られてからかわれるか、わかったもんじゃない。
 半分冗談の半分本気で言いあっていると、校門をでてしばらくしたところで、静帆がふっと黙りこんだ。

「何――」
「忘れ物! やだもう、取りに行ってくる!」
「待ってようか」

 今度こそ間違えなかったぞ、と構えて言うと、静帆は少し考える様子を見せて、結局首を振った。

「……うーん……ううん、いいよ。先に帰ってて」

 もう遅いし、日だって落ちきっている。本当にいいんだろうか。
 僕が珍しい反応に戸惑っていると、静帆は足を止めて手を振った。

「じゃあ、また明日。CD忘れちゃ駄目だからね!」
「しず――」

 一瞬だった。
 ヘッドライトが目を焼いて、耳に飛びこんだのは、ブレーキの音と何かがぶつかる重い音。
 黒いシルエットが飛んだ。やがて凍りついたような沈黙の中、かちかちという音が聞こえ始める

 震えている僕の、歯が鳴る音だった。

(うそだ)

 僕は動こうとしない足を必死に蹴飛ばして、道路に広がった静帆の傍へ近づいた。
 ――嘘だ。
 こっちを向いた静帆の体は、血だまりの中、ぴくりとも動かない。

 僕は自分の叫び声を聞いた。
 静帆はそのまま、永遠に動かなくなった。

photo by RainRain