06. Facts cannot lie

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 シュミットの行方は杳として知れないまま、三日目の朝が来た。

 事故か、それとも事件か――被害者であり唯一の目撃者でもあるヤリ=スーレが意識を取り戻さない以上、それに答える者はない。

 法精霊は、法の庭を見通すことはできない。異常繁殖を起こしたカランコエのこともあり、施行技官の立ち入りさえも禁じられたままだ。警察と上層部の会議も一向に打開策を見出せず、時間ばかりが過ぎていく。

 上層部は明らかにシュミットに疑念を抱いていた。 国内秩序法 インターナル・セキュリティ・アクトが施行を待つばかりとなった今、加熱した世論の一部は過激な方向へと進んでいる。シュミットが似たような思想の持ち主ではないかと睨んだのだろう。

 姿を消しているという状況、異常な数の再生請願――要素だけを引き出せば、怪しいことは確かだ。けれど、ラスにはどうしても肯けない。何を考えているのかわからない男だが、ラスの憤りを独善的だと言い切ったあの男が、そんな真似をするとは思えない。

 ――くそ。

 ラスは乱雑に髪をかき回した。そろそろ、忍耐も限界だ。昨日も一昨日も事態は変わらない。何もできず何も許されず書類仕事だけを与えられて、苛立ちは頂点に達している。

 ヤリ=スーレの容態も気がかりだが、シュミットに関しては、生死さえわからないのだ。

 初日に全員から身分証を取り上げたアシュリーの判断は、おそろしく正しかった。手段が手元にあったら、堪えられたかどうか自信はない。

 まだ薄暗い空に、ラスは白い息を吐いた。

 早朝の 中央裁判所 プライマル・コートは、いつものように刑事部だけが煌々と明かりを点している。

 重い足取りで東門をくぐったラスは、目の前に飛び出した人影にぎょっとして足を止めた。

「ケージ施行技官ですね? 少しばかり、お話を伺えますか」

 いかにも記者らしい格好をした男が、メモを手に訊ねてくる。

 顔を強張らせたラスに、彼は矢継ぎ早にまくしたてた。

「前代未聞の事件ですね。 最高法院 キングス・ベンチもかなり神経質になっているようですが、今回の件、あなたはどうお考えです?」

「え、あ……いや」

 ラスはうろたえながら意味のない声を出した。シュミットの件はまだ公表されていない。一体、どこから漏れたのだろう。下手なことは言えない。

 冷や汗をかいて固まるラスを救ったのは、氷が割れるような声だった。

「失礼。守秘義務がありますので」

 髪を下ろしたままのエイダを一瞬見違えた。あまりにも、いつもの彼女と雰囲気が違ったからだ。

 大人びた冷たい横顔。シュミットとの血の繋がりを、初めて実感する。

 ラスと記者の間に割り込んだエイダは、有無を言わせずにラスを庁舎に引っ張った。

 記者の低い声が追ってきた。

「これで三度目ですね」

 思わず振り返ったラスの隣で、エイダが目元を歪めた。

「ですが、法の庭に入ることができないなどという事態は聞いたことがありません。よほど重大な事件なんでしょう。……これは、法精霊が国内秩序法を認めないということでは?  中央裁判所 プライマル・コートはそれを隠蔽しようとしている。そういうことじゃないんですか」

「おい、あんた――」

 抉るような言い方にラスが色をなす。が、エイダが腕を引いてそれを止めた。

 記者は入り口で立ち止まり、裁判所の中まで追ってはこなかった。

 二人分の足音がひそやかに響く。やがて、エイダの手が離れた。 

「……三回目って、何だ?」

 早朝の庁舎はしんと静まって、エイダの細いため息がやけに大きく耳を打った。くしゃりと前髪を掻き上げ、彼女は疲れのにじむ声で言った。

「事故が起きた回数。あと二回は、十年前と、二年前。今回の件とは関係ないわ」

 二年前と言うと、彼女はすでに施行技官になっていたはずだ。

 そして先日の事故は数に入れていないらしい。複雑な顔をしたラスをちらりと見て、エイダは続けた。

「この間みたいなのを数に入れるんだったら、片手じゃ間に合わないけどね。……正確に言うなら、警察が 法の庭 ロー・ガーデンに入った回数で、同じく表沙汰になった回数よ」

「警察が入った?」

 ラスは驚いてエイダを見た。

 今まさに、それをどうするかで揉めているところではないか。

「じゃあ何で揉めてるんだよ。さっさと入れれば……」

「前と今とは違う。法の庭の状況も、国の状況も」

 強い口調でエイダがさえぎる。困惑するラスに気づいて、彼女はついと目を逸らした。

「……ごめん。でも、あの時も進んで入れたわけじゃないのよ。裁判所は伏せようとしたけど、新聞にすっぱ抜かれて調査せざるを得なくなったの。書いたのは、さっきの記者」

 エイダは皮肉げな笑みを浮かべた。どこか傷を庇うような色だった。

「鼻の利く記者よ。元の所属は噂のデイリー・ジャーナル。さっきのも、多分はったりだわ。かまをかけて言質を取って、加工して配るのがあの人たちの仕事なの。反応しないで。二の舞はできない」

「……悪い」

 挑発に乗りかけたのは確かだった。

 ずるずるとその場にしゃがみ込む。気にしなければならないことが多すぎて、頭が割れそうだ。

「それにしても、もう嗅ぎつけられたのかよ。いくらなんでも早すぎないか?」

「それは、そうだけど……」

 ふと、エイダが口元に手を当てた。

官報 ガゼット

「え?」

官報 オフィシャル・ガゼットよ。一昨日の施行分が載ってなかったからだわ」

 失態だと言わんばかりに、エイダが目許の険を強めた。

 ラスは眉を寄せる。彼女が真面目なのはいつものことだが、思いつめるような顔は珍しい。

 よく見ればエイダの目許には隈が浮いていて、顔色もひどく悪かった。硬い表情から無理が透けて見える。

「おまえ……少しは寝たのか?」

「大丈夫。問題ないよ」

 はねつけるようにエイダが返す。予想通りの答えだったが、とても額面どおりに受け取ることはできない。 

 階段を昇っていく細い背中に、ラスはぐしゃぐしゃと髪をかき回した。