医者はいかにも居心地が悪そうに、ひとつ咳払いをして口を開いた。シュミットと極力目を合わせないようにして、早口に告げる。
結論から言えば、命に別状はない。打撲以外には鎖骨と肋軟骨に各一箇所のヒビ、あとは捻挫程度だ。ヤリ=スーレはその時点で顔色を失っていたのだが、続いて全治三週間という言葉を聞いて安堵の息を吐いた。感覚的には、そう長いものではない。
「心配要りません。お若いですし、すぐに治りますよ。ただ、鎖骨の骨折箇所が筋肉の付着部なんです。重いものを持ったり手を上げたりして筋肉が引っ張られると、完全に骨折してしまう可能性がありますから……まあ、しばらく大人しくしていた方がいいですね」
シュミットはうなずき、音を立てずに腰を上げた。
「完治まで入院させる」
「え? いや、何もそこまで……」
黒い目に一瞥され、医者が顔を引きつらせて言葉を呑んだ。
「……あ、いや、わかりました。そうですね、その方がいい」
無言のまま部屋を出て行くシュミットに代わり、ヤリ=スーレが丁寧に一礼した。医者の大きな嘆息がそれを送り出す。
外来の椅子で唇を噛んでいたラスが、のろのろと顔を上げた。
「あの、俺……」
「――死ぬなら、一人で死ね」
立ち止まりもせず投げつけられた言葉に、ラスは打たれたように唇を噛んでうなだれた。
規則正しい足音が去っていく。反感を覚えることさえできずに拳を握り締めると、ヤリ=スーレの大きな手がラスの肩を叩いた。
「……ごめん。わかってる、俺が悪い……」
くしゃくしゃと頭を撫でられて、泣きそうになった。
唇を噛むラスの背を、ヤリ=スーレが促すように押した。うつむくばかりだった首を痛いくらいに上げると、優しい目がうなずいた。
引きずるような足を病室に向け、ラスは扉の前で胸の辺りを擦った。
動悸がなかなか治まらない。
ゆっくりと息を吸って、吐き出して、ようやく扉に手を掛けた。
病室は思ったよりも白くなかった。ベッドに横たわったエイダが、半分夢の中にいるような目でラスを見る。思わず硬直したラスに首を傾げ、次いで痛みか何かで顔をしかめた。
「……びっくりした……ここ、病院? もしかして、あたし、気絶した?」
「あ、ああ。なんか、診察の途中で」
「うん、そう、そうだった。……死ぬかと思った。あの医者、ヤブじゃないの」
痛み止めのせいか言葉こそ切れ切れだったが、内容はしっかり悪態をついている。ほっとするような、でも笑ってはいけないような気がして、表情をうまく作れなかった。
「……なんて顔、してるの」
エイダが困ったように眉尻を下げた。
「兄さんにきついこと言われた? 気にしなくていいよ。あの人、大人げないだけだから」
「いや……」
溢れ出す感情を必死に抑えようとして、声がぶれた。
「……ごめん。俺が……俺のせいで、こんな」
「もういいよ。反省、してるんでしょ? ……あたしも悪い。あんな状態だったんだから、止めるべきだったのに……判断が甘かった。ごめん」
「違う、俺が……!」
握り締めた拳が軋んだ。優しい言葉が痛かった。
手を抜くなとあれほど言われた。慎重になれと何度も言われた。いつしか慣れてしまって、聞き流していた。自分を過信していた。
何も言う資格などないと思った。この場に立っていることすら苦痛だった。消えてしまいたかった。口ばかり生意気で、何一つまともにできていやしない。
うつむいていたラスは、エイダが身を起こす気配にあわてて顔を上げた。
「ちょっ、おい、なに動いて――」
「うるさい」
エイダがぴしゃりと言った。顔をしかめた理由は痛みや体の不自由さだけではないらしい。ラスがとっさに差し出した腕を掴み、エイダはラスの頭を肩口に押し付けるようにして引き寄せた。
「お、おい?」
あわてるラスの耳に、大きなため息が届く。
「まったく……ちっちゃな子供じゃないんだから、しゃんとしなよ」
泣いている子供を宥めるように、やわらかな手がぞんざいに背中を叩いた。
「思いつめろなんて誰も言ってない。反省しないのは問題外だけど、後悔しすぎるのもよくないよ。辞めるなんて言ったら、それこそ怒るから」
――見透かされていたらしい。
黙り込んだラスに、エイダは苦笑じみた声で言った。
「ね、考えてみて。あたしの怪我は治るよ。取り返しのつかないことなんて、まだなんにもない。……今から、もう一回頑張ればいいよ。まだ全然遅くない。……だから、ね? くじけてないで、頑張ってみせてよ」
うなずくしかなくて、うなずいた。
涙腺を刺してくる温度と戦いながら、ラスはもう一度、決意を込めてうなずいた。