Variety is the spice of life

「……追いかけないの?」

 帰国の挨拶をしにきたフィフィナが、そう訊ねてしまったのは、ギルバートがひどく落ち込んでいるようだったからだ。

 ギルバートと話したあのときから、帰国することは決めていた。もはや打つ手は残っていない。この国に、フィフィナの後ろ盾となる人間はいない。あがくことのできない自分を愚かしくも思うけれど、万一祖国に累を及ばせるようなことになれば、後悔するのはフィフィナ自身だ。誇りを折ることはできなかった。
 諦めるしかないのだと分かっていた。せめて最後は素直になろうと、そう思っていたのに――《星》と何を話したのか、彼らしくない空気に困惑した。

 どうせあの彼女のことだから、こっぴどく彼をつきはなしたのだろう。好きだなんて一言も告げなかったに違いない。もしそれを知っていれば、ギルバートはこんなにも迷ってはいないはずだ。

 執務中だったギルバートは、頭の後ろで手を組んで、目を伏せた。

「……今は、無理だな。どう考えても怒る」

 ――ああ。
 すとんと納得のいく感覚。そこには、安堵と多少の喪失感が混ざっていた。
 その温度がいとしく思えて、フィフィナはそっと微笑んだ。

「そう」

 きっと彼は、そのうち彼女を追いかけるだろう。到底手の届かないような存在に、その子供のような傲慢さで、高く高く梯子をついで。
 あの理性の固まりのような彼女がどんな顔をするのか、それを想像すると、ひどく楽しい気分になった。
 自然と、相槌の響きがやわらかくなる。
 ギルバートが目を開けて、フィフィナを見た。

「帰るのか?」
「ええ。誰かさんが逃げまわるから、すっかり長居をしてしまったわ。……残念だけど、縁がなかったみたい」
「悪かったな。色々と面倒を掛けた」
「お互い様よ」

 苦笑で返し、少しだけ迷って、フィフィナは口を開いた。

「……フォーリで木登りを教えた女の子を、覚えている?」

 軽く目をみはり、ギルバートはおかしげに笑った。
 心臓が、小さく軋んだ音を立てた。
 それはずっと欲しかった、彼の心からの笑顔で。
 一緒にフォーリの城下町を一望した、自分の国をとても美しいものなのだと教えてくれた、あの時と同じもので。

「なんだ、あれか。見違えたな」
「もう大人だもの。いつまでもあのままではいられないわ。あなたが変わらなさ過ぎるのよ。……変わったところも、あるけど」
「そうか?」
「ええ」

 ほんの少しの寂しさとともに笑みを見せると、ギルバートは居心地が悪そうに首裏を掻いた。

「そのうちまた遊びに来い。木登りならいつでも付き合うぞ」
「ふふ、遠慮しておくわ。星下をお誘いして嫌な顔をされるといいわよ?」
「……登りそうにないな」
「登らないでしょうね。きっと五歳の彼女もそうだったと思うわ」

 くすくすと笑い声を転がせて、フィフィナは穏やかに、ギルバートを見つめた。

「忘れていいの。だけど、知っていて。……わたしは、あなたのことが好きだったわ」

 どうか、今だけは信じてほしい。
 好きだったわ。本当に好きだったの。貴方はわたしの世界を変えた。あざやかにあざやかに、きっと誰よりも。
 貴方が欲しかった。どうしても手に入れたかった。貴方のものになりたかった。
 だけど、そればかり考えて、きっと間違ってしまったの。
 王妃としてふさわしい姫ならば受けいれられると思っていた。だけど貴方はそうじゃなかった。取り繕われたものに不信感を抱いて、私から距離を置いた。
 ――ねえ、最初からこんな風に、貴方を好きなのと伝えていたら、今は違っていたかしら。
 貴方は彼女に出会うこともなく、好感をいつか愛情に変えるような、そんな思いを抱いてくれたかしら。

 仮定の話に意味はなくて、痛みを覚える心に苦笑するだけだ。

「だから、あなたには幸せになってほしい。そして、それ以上に……あなたにはあなたでいてほしいの」

 驚いたようなギルバートの顔に、フィフィナは小さく肩をすくめる。
 恋心よりも、どこかいたずらを告白するような気持ちになった。
 ギルバートは思案げに首裏に手をやって、ふと、思いついたように返した。

「忘れなくてもいいんだろう?」
「え?」
「光栄だ。覚えてるさ、ずっと」

 あっけにとられたフィフィナの顔が、泣きたいのか笑いたいのか、くしゃりと歪む。
 その表情を隠すかのように頬に手を当てて、彼女は好きな男に、慣れない憎まれ口を叩いた。

「ずるいわ」
「そうか?」
「……政治利用はしないでね? 今後の縁談に関わるわ。わたしは絶対、国にとってもわたしにとっても、素敵な旦那様を捕まえてみせるんだから」

 ひどく晴れがましい気分で、フィフィナは笑顔を見せた。
 頼もしいな、という的外れな返答に、言い返す言葉を考えながら。