You can't tell a book by its cover

「あなたは面白いひとだな。俺の妃にならないか?」
「まあ、陛下。ご冗談を」

 海賊討伐の拠点とした地方貴族の邸宅で、王と交わした言葉。
 それがガルグリッドにとって、のちの王妃の最初の印象だった。

 

 

 ひだまりのような笑顔でするりとかわし、忙しく兵たちの世話に戻る妙齢の女性。
 その丸みの強い後ろ姿を見送った獅子王ヒューバートは、ふむと一声こぼして右腕の男を見た。

「なんだ、ガルグリッド。振られたぞ。この嘘つきめ」
「……やはりご冗談ではありませんでしたか」

 冷然と返したガルグリッドは、相談を終えた書類を抱えて無表情のまま息を吐いた。
 ヒューバートはさも心外そうな顔を見せているが、振られたのはガルグリッドのせいではない。断じて。

「たしかお前、俺が求婚すれば誰でも喜んで受けるだろうと言わなかったか?」
「もう少し状況と言葉をお選びになれば、多少は話が違うかと。失礼と取られなかっただけ、彼女の度量に感謝すべきでしょう」
「十分本気だったのだがな。残念だ」

 話題に上がる女性の名は、コーデリア・ロイル・ウィスタンティア。下級貴族の次女だ。聡明で穏やかな人柄と、全体的にふっくらした容姿の女性である。
 諸手を上げて勧める相手ではないが、すでに即位から一年が経過している。そろそろ王の隣を埋めたいと思っていたところだ。主君が彼女を選んだのだとすれば、ガルグリッドは彼女を王妃に据えるため尽力するだろう。ただ、獅子王はどの程度本気なのかがわかりにくい人物でもある。ことがことだけに、慎重な見極めが必要だ。
 内務卿派の動きも気になる。獅子王が城をあけている今、文官である自分がすべき最優先事項は、足場の保全である。

「こちらの案件は以上です。刺客が潜んでいる可能性もありますので、ご留意を」
「わかっているさ。父の二の轍は踏まん」

 悠然とした笑みは、絶対的な強者のものだ。
 誰よりも王らしい王。海賊はじきに殲滅され、荒れた内政も規律を取り戻すだろう。
 この国は、彼の元で、確実に再生する。そう信じさせるだけの力を、この王は持っているのだ。

 それが甘い見通しであったことを知るのは、王が凶刃に倒れた、その後だった。

 

 

 

 

 傷からくる熱に魘されて、ヒューバートは目を覚ました。
 かすむ目で視線を巡らせると、灯石の穏やかな灯りが闇の中に揺らめいていた。

「……お目覚めになりましたか?」

 穏やかな声が問う。
 綿の花のような、陽炎とは異なるやわらかさに、ヒューバートは息を吐いた。

「あなたか……」

 答えはなかった。ただ、微笑んだ気配を感じただけだ。
 感覚が鈍っている。おそらく、深夜だ。暗闇が嫌いだと言った彼の言葉を、彼女は覚えていたのだろう。
 混濁した意識から記憶をたぐり寄せる。――そう、斬られたのだ。相手の船上で次々と海賊を屠っていたヒューバートを背後から襲ったのは、年端のない子供だった。汚れた風体。伸びきらない小さな背、枯れ枝のような手足。気配だけで察知し、危なげなく切り捨てようとして――相手の幼さに気づき、瞬間、ためらいが生まれた。
 ほんのわずかな隙。それは、混戦の中で見逃されるようなものではなかった。
 海賊の一人が目の前の子供ごと、王に凶刃を食い込ませた。
 さらわれてきたのかそれとも海賊の子供だったのか、今となっては知るすべもない。動きを止めてしまったあの一瞬。守ることも殺すこともできなかった。すぐさま敵を斬り捨てた部下が、悲鳴のような怒鳴り声を上げたのを覚えている。

 ずっと、立ち止まらずにここまで来た。
 この国を立て直すのだと決めたあのときから、ガルグリッドという右腕を得て、支持者を増やし、敵対者をしりぞけてここまで来た。
 いまさら迷うことなどない。同じ場面にもう一度出くわしたなら、今度はためらうことなく斬り捨てるだろう。

 ――きっと、熱のせいだ。
 幼い頃、広いベッドで一人きり、夜中に目覚めて心細さに泣いたことを、思い出すのは。

 やわらかな手が、絞った布で汗ばんだ顔を拭う。
 離れていくその手を取って、熱よりも記憶に浮かされて、言った。

「……そばに、いてくれ」

 握り込んだ小さな手が、わずかにこわばる。
 水で冷えたその手を額に押しあてて、目を伏せた。

「どうか」
「陛下……」
「あなたが俺の隣で笑ってくれたら、俺は……まだ立ち止まらずに、いられる」

 凪のような沈黙。
 波の小さな音が、遠く聞こえる。
 やがて、小さく微笑む気配があった。

「私はここにおりますわ。どうぞ、安心してお休みになってください」
「……どうあっても本気にしないのか」

 渋面を作って返すと、コーデリアはひそめるような笑い声を転ばせた。
 飾り気のない、邪気のない、どこかやはり――穏やかな。そんな声だった。

「今は、早くお体を治されてください。お元気になって、すべてを片づけられて、一度城へお戻りになって――そうしたら、ちゃんと続きをお聞きいたしますから」

 否定ではない言葉に、ヒューバートは目を見張る。

「聞いたぞ」
「ええ、申し上げました」

 幼げなやりとりにコーデリアが笑う。
 おやすみなさいませ、という、ひだまりのような声にうながされて、ヒューバートは目を閉じた。

 
 最後まで気づかれず、声を挟む余地を見つけられなかった右腕が、こめかみを押さえていることに全く気づくこともなく。