*032

 事態の収拾は、予想していたよりもずいぶんとスムーズに進みました。
 こちらの隠蔽工作に、第二神官長が横槍を入れてこなかったのが大きな要因です。衆人環視の元で〈星〉が拐かされたわけですから大騒ぎになっていたのですが、かえってそれが、それ以上の事件を覆い隠しました。
 ギルバート王子の負傷も多少不本意ながら痴情のもつれとして片付けられ、その裏にある諸々の厄介事は、歴史の裏に隠れていくことになります。

 ですが、本当の勝負所はここからです。
 第六神官長の行為は戦時の緊急避難措置として査問委員会で不処分が決定しました。それらの混乱が収まり、監査院が第二神官長を訴追するのが先か、第二神官長がまた新たな手を打つのが先か。早すぎても遅すぎてもいけません。時期の見極めが肝要です。

 神殿は、表層ばかりの平穏を取り戻そうとしていました。
 残るのは、あとひとつだけです。

 

 

 

 神官長らとの会議を終えて、私は私室ではなく西棟に足を向けました。
 サキが眉を寄せて声をかけてきます。

「アヤリ様、少しお休みになっては……」
「大丈夫ですよ。ちょっと口うるさくなってませんか、サキ」

 私は苦笑いで返しました。
 離れた間に私があんな目に遭ったせいか、やたらと心配性になっている気がします。
 拗ねたような表情を見せ、サキが不満げに答えました。

「そうは仰いますけれど、アヤリ様。あれからほとんど休んでいらっしゃいませんわ。あまりご無理をなさらないでくださいな」
「魔法技術室に寄るだけですよ。ダイカ卿が嫌な顔をするので面白いです」
「ああ……」

 得心がいったようにうなずき、サキはそれ以上反対を唱えませんでした。
 西棟の魔法技術室に足を踏み入れると、技師がせわしなく部屋の中を行き来していました。実験室から戻った技師が驚いた顔をして頭を下げ、上司を呼びます。

「星下。わざわざのお運びをありがとうございます」
「試作品ができたそうですね」
「ええ。どうぞ、こちらです」

 物柔らかな微笑を浮かべた女性が、私を見て前を譲りました。
 くだんのダイカ卿の恋人だと聞いて驚いたのですが、温和そうな容貌とは裏腹に、有能な魔法技師長です。

 そこで、台の上ではなくその向こうに転がる物体が目に入りました。
 思わず足を止めて、まじまじと見入ってしまいます。

「……技師長。何か、あそこにキノコ生えてそうな死体がいるんですが」
「まあ星下。的確なたとえですね」

 にこにこと手を合わせる様子は優美ですが、続く言葉には一切の容赦がありませんでした。

「たかだか一週間の半徹です。お気になさらず。だらしのない部下で申し訳ありません」

 灰吹銀の箱を抱くようにして床に倒れているのは、魔法技術室に身柄預かりとなったマヒト卿です。眠っているのかどうかさえ微妙に判然としない虚ろな目をしているのですが、果たして生きているのでしょうか。
 そういば驚いたことに、あの転移魔法や青い薔薇は本当にマヒト卿が一人で作り上げたのだそうです。人間、何か一つは取り柄があるものですね。
 そんなわけで有効活用できる部署に押し付けたのですが、彼には災難だったかもしれません。
 技師長は笑顔を変えることなく、固定台を示しました。

「それはどうでもいいとして、こちらが転移妨害の術式になります。試作品ですけれど」
「ああ……うーん、ちょっと大きいですね……」

 一抱えほどもある銀盤です。これを持ち歩くのは一苦労でしょう。
 まあ、妨害範囲や手法の検討も含め、突貫工事で作り上げたのですから仕方ありません。

「布との相性が悪いので、どうしても金属になりますね。ですがご心配なく。来月にはこの半分にさせますわ。ね?」

 にこやかに促され、びくぅっ、と跳ねるように半死体が反応しました。

「自分で作ったものには責任を持たなくては。ね?」
「う……うう……っ」
「うふふ、今日はもう寝てもいいですよ。夢の中で術式を組まないようにね。ああ君、彼を仮眠室まで連れて行ってあげてください」

 技師長の笑顔を受け、技師が魘されているマヒト卿を担いで奥に向かいました。
 ……あれ、下手をすると廃人になるんじゃないでしょうか。
 密かに冷や汗をかいていると、技師長がきょとんと目を瞬きました。

「あら……ギルバート王子、また遊びにいらしたんですか?」
「いや、挨拶に来た。ちょうどよかったな」

 振り返ると、ギーが包帯を巻いた手をひらひらと振っていました。
 頓着のない様子に笑ってしまいます。サキがわずかに眉を潜めましたが、特段噛み付くこともなく、後ろに控えました。

「傷が開きますよ。動かさない方がいいです」
「リドにも言われた。利き手だからな、つい忘れる」
「忘れないでください。痛い思いをするのは自分でしょうに」

 彼に対するわだかまりは、すべて消えてはいなくても、大分薄らいでいました。
 先日当人が言っていたとおり、彼がここを訪れたのは、囮になるためだったのです。それを計画したのがラクイラの内務卿だと聞いたときには、心底呆れましたが。
 下手人を調べていたところ、どうもラクイラで流れていた縁談の噂に食いついていたようだと言うことで、早々に犯人の狙いを絞っていたのだそうです。
 しかしそれにしても、自国の王子にずいぶん無茶な真似をさせるものです。
 もちろん猊下には全てをお話した上で、万全の警備体制を敷いていたのですが。マヒト卿が決闘などを持ちかけなければ、あの毒の一件だけで尻尾をつかめていたはずだったのです。
 話をややこしくしたのは猊下です。面白いから黙っておけとおっしゃって、ギーの訪問を私に伏せさせたのですから。最初からそれを聞いておけばあんなに怒る必要もなかったのだと思うと、なんだかとてつもない徒労感に襲われます。
 その徒労が、猊下の仰る必要な無駄なのかもしれませんが――だとしたら力の限り反抗したいです。

「帰国するんですか?」
「ああ。とりあえず傷もふさがったし、そろそろガルグリッドが周りを凍らせていそうだからな」
「長居してしまいましたからね。皆さんによろしくお伝え下さい。そうですね、特に内務卿にはくれぐれも」

 いずれやりかえしますよと笑顔で言外に告げると、ギーが、じっと私の顔を見つめてきました。
 何でしょう。ちょっと「ただの馬鹿だと思い込んで悪かったなあ」なんて思っていたのが伝わったんでしょうか。

「なんですか?」
「……いや、また来る」
「そうですか。今度は先触れを出してくださいね」

 年単位で先の話になるでしょう。苦笑で釘を刺した私に、彼が表情を改めて言いました。

「頼みがあるんだが」
「なんでしょう」
「結婚するのは、あと何年か待ってほしい」
「……は?」

 思わず、間の抜けた返事をしてしまいました。
 当事者を置いてけぼりに、周囲から妙に盛り上がった歓声が上がります。

「お前が俺を選ぶに足るものを作る。猶予をくれ。五年くらい」
「長っ! え、いや、ちょっと待って下さい。そうじゃなくて! ラクイラはどうするつもりですか!」
「皇配には特に役目はないと聞いた。別にラクイラの王でも構わないだろう」
「いやいやいやそういう問題じゃ、っていうかそっちの王妃はどうするんですか……!」
「何かで代わりにはなる。お前の代わりはいない」

 また呼び方がお前になっています。
 指摘するべきはそこなのかと自分に思って、とっさに、続く言葉を失いました。
 動揺する心を力ずくでねじ伏せ、私は唇を噛みます。

「……正気に戻ってください。それは錯覚ですよ。色んなことがありすぎました。それを勘違いしているだけです」
「ガルグリッドにも言われたな」

 平然と笑い、ギーは笑みを見せました。

「俺はお前のことを、何も知らないんだと言われた。否定できなかったのは確かだ。だから話を持ちかけられたとき、会いに行こうと思った」
「……会いに来たって、あれ嘘じゃなかったんですか」
「嘘は何も言ってないぞ。どうせうまくつけない」

 言って、小さく肩をすくめます。

「よく考えた。それで出した答えだ。否定するな」

 私は目を逸らせずに、その場に立ちつくしました。
 鮮やかな黄金色の瞳。それは、見たことがないほどの穏やかさで。
 揺るがない声。曲がることを知らない目。
 この場所にあって、彼はどこかを変えながら、それでもなお変わらない。

「お前が強いのは知っている。折れないくらい真っ直ぐだと思う。それでも、支えが不要だとは思わない。お前の力になりたい。だから、もう少し待て」

 逃げ出したい気分になりながら、私は引け腰に声を上げました。

「っ……知りません。選ばないし待ちませんよ!」
「そう言うな。損はさせないぞ」
「どこから来るんですか、その自信!」

 まさかまた、ここに話が戻るとは思っていませんでした。
 頭を抱えたい気分になった私に、周囲が野次を飛ばします。

「えーいいじゃないですか星下、待ってあげましょうよー」
「そうですよ、数年くらい大したことないでしょ。まだ若いんだし」
「だよねー、十年くらいほったらかしてる人もいるし五年くらい」
「……うふふ。なにか言ったかしら?」
「ひい! いえ何も!」

 ま、周り敵だらけです。なんですかこの包囲網!
 目眩と頭痛に襲われながら、私は気力を奮い立たせて声を張り上げました。

「い……嫌です、断ります! 誰が何と言おうと折れませんから!」

 言い捨てて、私はその場から逃げ出しました。
 サキが呆れた顔でギーに放った言葉を、おかげで知らずに済んだのですが。

「しつこいわね。あの分だと折れられる見込みは薄くてよ?」
「諦める気はないからな。長期戦は覚悟の上だ」
「ああそう。せいぜい頑張りなさい」

 決して止めてはいない言葉に、彼がおかしそうに笑っているともし知ったなら、私は全力で怒鳴っていました。