*025

 周辺は一気にあわただしくなりました。通常業務ももちろんありますから、日々三時間睡眠で乗り切っています。眠らずにすむならそれが一番効率的なのですが、残念ながら神は我々後裔に鋼鉄の体を与えてくれてはいません。普通に疲労がたまります。
 〈祝福〉は餓死さえも防いでくれるものなのですから、やろうと思えば眠らない身体にすることもできたのではないでしょうか。

 まったく気がきかない、と八つ当たりめいたぼやきをこぼしていたところ、ダイカ卿が経過報告に訪れました。
 行動は監視させていますが、怪しい素振りはまったくありません。しごく真面目に大叔父の身辺を調査しているようです。
 そのダイカ卿は、ふと話が途切れた折に、細いため息を吐きました。
 それは感嘆と呼ばれる類のもので、私は首を傾げます。

「何です?」
「いえ……長く動揺は続かないだろうと思っていましたが、すっかり落ち着かれましたね」
「……まるで私が狼狽していたかのように聞こえますね」
「あ、いや! そういう意味では!」

 実際感情をうまく制御できていなかったのは事実であるものの、こうもはっきり指摘されると面白くはありません。
 にっこり微笑んで返すとあわてて否定しましたが、上手い言い訳は見つからなかったようです。
 頭に手をやり、ダイカ卿は気まずげに続けました。

「実は、猊下のご下命で、ラクイラの王子の警護を指揮しておりまして……星下せいかにお取り次ぎを頼まれたのですが」
「お断りします」
「……と、仰るだろうとは言ったのですがね」

 その苦笑いには好意がにじんでいたので、私は眉をひそめました。
 なんでしょう。妙に親しげです。

「彼に請われて剣の指導をしているのです。驚くほど筋が良いですよ。多少変わり者ですが、性質はとても素直で、鍛えがいがあります」
「それが何ですか」
「いえ、頭から毛嫌いなさるような男ではないと思うのです。一度くらい――」
「……ダイカ卿」

 私は無感動に笑みを深めます。
 その不穏さに気づいてか、ダイカ卿がぎくりと身を竦めました。

「次にその話題を振ったら、あなたの恋人にあることないこと吹き込みます。主に結婚関係の話をあれこれと」
「わ……わかり、ました。ご容赦を……!」
「ご理解いただけたなら結構です」

 この手のタイプには権力を振りかざしても意味がありません。
 一番効果的であろう材料で脅しつけ、私は笑顔のままお茶のカップを持ち上げました。

「それにしても、やはりそれらしい情報は見つかりませんか」
「あ、ええ。あまり時間がなく……今のところ調べられたのは、本邸の動きだけなのですが。申し訳ありません」
「いえ、それは予想できたことですからね。気にしないでください」

 もとより、彼が手がかりをつかむことを期待していたわけではありません。信頼を置くには立場が微妙です。
 こちらが得ている情報と差異がないことを確かめながら、私は顎に指をかけました。

「マヒト卿はどうです?」
「は……マヒト卿ですか? どうと言いますと……先日星下の件で絡まれましたが、そのことでしょうか」

 ああ、こちらにも絡んでいましたか。
 お疲れ様ですと言いたい気分になって、私は苦笑しました。

「いえ、イコウ卿とのつながりがあるかと思いまして」
「大叔父と? いや、考えにくいですね……星下が神都を離れておられる間の来訪者は全て把握しましたが、少なくとも本邸には訪れていません」
「そうですか。それは残念」

 怪訝な顔をするダイカ卿に、私は口角を持ち上げて目を伏せました。

「いずれにせよ、そろそろ清算の時期ですね。年が変わるまでには片付けたいところです」
「……ええ」

 ダイカ卿は私の言葉にうなずきましたが、うべなう声は苦いものです。
 彼が協力を申し出たのは、職業意識や使命感だけではないでしょう。身内の潔白を晴らしたいという感情も含まれていたのかもしれません。どうにも、律儀な人のようですから。
 これで演技であればさすが第二神官長の血縁だと感心してしまうところですが、その可能性は低そうです。ただ、利用されている可能性は高いでしょう。
 思わぬところで伏兵になられては困ります。そろそろ切り上げどきでしょうか。

「ご心配なく。表沙汰にする気はありませんからね。親族にまで累を及ばせるつもりもありません。助力には感謝していますよ」

 すでに追い込みは仕上げに入っていますが、それは口にしません。
 まあ失脚させるのは本人だけです。あくまで、基本的には、ですが。
 わざと的を外した気休めの言葉に、ダイカ卿はもの言いたげな顔を見せましたが、結局口を閉ざして目礼しました。

 ダイカ卿を送り出して一息つき、私は書類を手に取りました。
 政争にかまけて仕事を滞らせるのは愚の骨頂です。必然的に睡眠時間を削ることになってしまいますが、山ほどのすべきことを整理して片付けていく作業は嫌いではありません。
 忙しいことはいいことです。とくにこういう、面倒くさい厄介ごとを抱え込んでいる時には。
 慣れた手つきで許可と保留と突き返しを繰り返していた私は、ふと一つの書類束に手を止めました。

「……税関改革の検討会ですか……なるほど、このタイミングで」
「ええ。さすがリョウイツ卿ですわ」

 帰国後に、交易を管轄下に置く第六神官長と話をする機会がありましたが、ラクイラの関税制度を話題に上げた覚えがあります。好機だと踏んだのでしょう。予算や規模の詳細な計画だけを見れば前々から準備していたかのような完成度ですが、これを突貫で作ってしまうのが第六神官長派の面白いところです。
 彼は先日、こちらの要請を呑んだばかりです。跳ね除けるわけにはいかないでしょう。
 ざっと目を通してみましたが、なかなか興味深い計画です。
 私は笑みを浮かべてサキに指示を出しました。

「いいでしょう。誰か人を遣わせるよう伝えてください」
「お聞きいただけるようであればすぐにでも、リョウイツ卿ご自身がお運びになるとのことですわ。お招きいたしますか?」
「さすが。本当に行動派ですね」

 なんだか楽しくなって、喉で笑いました。
 この伏魔殿で狸とやりあうだけの政治力を持ちながら、あくまで正攻法を好むご老体は、その宣言通りすぐに私の執務室へ訪れました。
 鍛えられた体躯と力強い笑顔の、そのままに実直な性質は、実力に裏打ちされているからこそ人を惹いてやみません。この人の下にラクイラのガルグリッド卿あたりがつけば、かなり面白いことになりそうだと思う所以です。

「お時間をいただけて幸いです、星下」
「これを後回しにするほど節穴の目ではありませんよ。わざわざのお運びに感謝します」

 お互いにさっくりとした社交辞令を済ませ、話はすぐに計画の中身に移りました。
 ある制度をそのまま、別の文化を持つ別の地域に持ってきたところで、うまく行くはずはありません。それぞれの現状と問題点を洗い出し、考えうる限りの可能性を想定して適応させる作業が必要です。
 今回の税関制度の改善は、主たる目的を密輸の防止に置いたものです。
 一通り議論を交わし、修正点についておおまかな合意を得たところで、サキのお茶に目を細めていた第六神官長が口を開きました。

「そういえば、ラクイラの王子にはお目通りを許されないのですかな」

 危うくお茶を気管に入れるところでした。
 力ずくで嚥下すると、私はひきつりそうな笑顔をどうにか取り繕って、リョウイツ卿を見返しました。

「……唐突ですね。どんなお気向きですか」
「少し話す機会がありましてな。この件についても意見を聞いたのです」
「それはまた。まともな議論にはならなかったでしょう」
「いやいや。これがどうして面白い。確かに知識が足りぬ部分は見られるものの、なかなか楽しい時間でしたよ」

 過大評価です。それ絶対深い考えはありませんよ! 直感八割で話してますよ!
 怒鳴りたい気分を抑えたのは、否定されて話を続けられるのが嫌だったからです。そんなこちらの気持ちなどつゆ知らず、もしくは知った上で堂々と、彼は楽しげに話を戻しました。

「で、お会いにはならないのですかな?」
「……リョウイツ卿」

 頭痛を覚えてこめかみを押さえると、彼は陽気な笑い声をこぼしました。

「いや、失敬。妙に肩を持ちたくなる男でして」
「会う気はありませんよ。彼との話は済んでいますからね。これ以上は不毛です」
「それは残念だ」

 それ以上は食い下がることなく、リョウイツ卿は腰を上げました。
 深い皺を刻んだ顔に、柔和な笑みが浮かびます。それは含みのない、どこか慈しむような表情でした。

「皇配云々はさておき、彼のような友人は得がたいものです。そう切り捨てず、別の道を探されてはいかがかな」

 ……あの人は、一体何をしているんでしょう。
 というより本当に一体全体何なんですか。賭けどうこうの話ではありません。
 「差し出がましいようですが」と前置きをして心底余計なお世話の進言を始めた女官を下がらせ、私は痛む頭を押さえました。

 腹立たしい。そう、度しがたい事態です。

 なにを私のテリトリーで支持層拡大してるんですか! あまり関わるのはどうかと忠告してくる人間と、会ってやれとなだめてくる人間が三七比で押しかけてきているこの状況は一体どうなっているんですか!
 前者はまだわかります、色々利害も絡むのでとても理解できる発言です。だけど後者は本当に度しがたい。鉄炉に押し込めて蓋を閉じた怒りが再燃もしますよ!

 憤然としながら書類を片付けていたところに、サキが複雑そうな顔で姿を見せました。

「アヤリ様。例の、鳥の件なのですが――」

 改まって告げられた報告。
 その内容は、予想外のものでした。

 猊下の私室をおとなうと、父上がローテーブルに突っ伏して眠っていました。
 すっかり酔い潰されてしまっています。
 珍しいですね、こんなに飲まれるなんて。弱いのは自覚されていたと思うんですが。
 神官衣のままの私をご覧になって、ソファでくつろぐ猊下は含み笑いを転ばされました。

「なんだ、まだ仕事をしていたのか? そなたは真面目すぎていけない」
「いいじゃないですか。趣味なんです」
「それにしては、顔が渋いぞ」

 誰のせいだとお思いですか。
 そう言いたい気分を飲みこんで、女官から毛布を受けとりました。
 首筋まで真っ赤に染めて眠る父の肩に掛け、卓上のワインを眺めます。さて、果たして何本目でしょう。猊下もいささか頬を上気させておいでで、多少なりともお過ごしのようです。

「まあ座れ。そやつが早々に潰れてしまったのでな。そなたもたまには付き合うといい」

 猊下は手ずから、細身のグラスになみなみとワインを注がれました。
 そのグラスを手に取らず、私は苦い声で、最近しょっちゅう口にしている問いかけを繰り返しました。

「……猊下。一体どのようなご貴慮ですか」
「暇つぶしに決まっておろう」

 私が事実にたどり着いたことは、既に猊下の耳に入っていることでしょう。
 お酒のお誘いについてではないと十分にご理解なさった上で、猊下はくつくつとお笑いになりました。

 ラクイラで見かけた青い鳥。――その正体は、魔法で色を付けた鳩でした。
 鮮やか過ぎる青銀は術式を読み取ったとおり、自然のものではなかったのです。
 もちろん色を変えただけではありません。本命は長距離情報伝達の実験です。発色の式に巧妙に絡めて難読化し、容易には解析できないよう迷彩をかけた、実用的な情報収集の道具として開発されているものでした。
 その実験の許可を求められた猊下が面白がって手を加えさせられ、この事態へと相成ったわけです。
 現在実用化されている長距離通信は、対となる板に書きこんだ文字をそのまま転送する転写板だけです。小動物に魔法式を付与するだけでも高度な技術を求められますから、ある意味では当然である出所なのですが。 

「まったく……暇つぶしで人を監視しないでください。信用されていないのかと思いますよ」
「監視とは人聞きの悪い。盗聴していたわけではないぞ」
「心拍数を拾うのも大概悪趣味ですけどね」

 白い目を向けましたが、猊下は平然とグラスを傾けられるばかりです。
 対象物を限定して心拍数を取得し、一程度を超えれば信号を送る。超えなければ取得したデータを一定の間隔で破棄する。これなら最大の障害である転送量と情報保持量の問題が解決しますが――動静と突き合わせて私の動揺を楽しんでおられたのかと思うと、さすがに腹立たしいものがあります。

「目くじらをたてていないで、付き合わぬか。毒は入っておらぬぞ」
「入っていたら、ますます猊下が理解できませんよ……」
「おや、私はわかりやすかろうに。娘が可愛くて仕方がないのだよ。それも同じだ」

 艶やかな笑みをもって目線で示されたのは、見事に酔い潰れている我が父です。私を理由にしないでいただきたいのですが。
 憮然として、私はワインに口をつけました。
 うわ、甘い。父上に合わせられたのか……しかしこれ、かなり度数が高いですよ。父上が酔いつぶれるのも納得です。
 夕餉を取りはぐれていたので、女官に軽食を頼みました。空腹にこれは少しまずいです。
 私が観念したのを見て、猊下は上機嫌にグラスを重ねられました。

 こういうのも団欒というのでしょうか。規則正しい父の寝息があまりに安穩で、怒り続ける気力がなくなってしまいます。
 いろいろ言いたいことはあるものの、私は結局、この方に弱いのです。

「弱いくせによく飲んでな。めずらしくくだを巻いていた。父親というものも、なかなか気苦労の絶えぬものだな」
「肴が何だったのかは聞きたくないですね!」
「おや。かえって気にならぬか?」
「なりません。大体想像はつきますから。勝手に盛り上がらないで欲しいです」

 そもそも父上を感傷に浸らせるような話ではないのです。一切、完全に、断固として!
 ふてくされて蜜のようなお酒を煽ると、喉に絡まるような甘みが残ります。猊下は肩をすくめながら、空になったグラスにワインを注ぎました。

「お前の色恋沙汰は初めてだからな。皆面白がっているのだろうよ」

 やはりといいますか、猊下の中でもマヒト卿はカウントに入らないようです。
 やたらと言い寄って見せてはいますが……演技力、ないですからね。あの人。

「私は楽しくないです」
「かたくなだな」

 ええそうです、意固地になっています。
 猊下の前で取り繕うことはありません。素直に現状を白状する気もありませんが。
 頬杖をついて頬をふくらませると、猊下が目を細められました。

「なあ、アヤリ。何をそのように気負っている?」

 ふと投げかけられた問い。
 その穏やかさに、私は困惑して顔を上げました。

「……何のお話ですか」
「皇配は確かに政治利用のできる手札だ。だが、それを用いずとも、そなたはうまく国を治めるだろう」
「……そうは思いません」
「私は好きな者を夫に選んだぞ。それは誤りだったと思うか?」
「いいえ。……そうではないんです。私は……」

 唇を結び、私は視線を落としました。

 私は、猊下と同じものを持ち合わせてはいないのです。
 息を飲むほどの美貌。居並ぶ古狸をさえ圧倒する神威しんい。それはどうあがき、どう言い繕ったところで、私にはないものなのです。
 たとえばラクイラでの一件。猊下であれば、毒を盛るような不届者はいなかったでしょう。たとえそれが即位前であったとしても。この方は、それを躊躇わせるだけの力を持った存在なのです。

 私には、そんな力はありません。

 けれど私は、私を否定させるわけにはいかないのです。

 私という存在は、猊下の選択の結果です。それを否定させることは、猊下を否定することに等しい。誰にもそんなことは許せない。だからこそ、どんな手段を用いてでも周囲に私を認めさせる必要があります。――〈神后〉として、ふさわしい存在であるのだと。誰もにそう思わせたい。私が願っているのは、そんな単純なものなのです。

 そんな言葉、酒の席だろうと、口にできるはずがありません。
 黙り込んだ私に、猊下は微苦笑を浮かべて、芸術品のような造形の腕を組まれました。

「まったく。そなたは私を信奉しすぎだ」
「ほっといてください」
「私はな、アヤリ。努力家で優秀な後継であるそなたを誇りに思っている。だがそれと同じくらい、そなたには幸せになって欲しいのだよ」
「……十分幸せです。現に今も、嬉々として第二神官長を陥れようとしてます」

 猊下が仰るのはそういう意味ではないことを知りながら、私は憮然と返しました。
 そうかと笑い、猊下はそれを受け流されます。
 すべてを手に入れているわけではありませんが、確かに私は満ち足りているのです。
 私のために骨身を惜しまず動いてくれる人がいて、程よく敵がいて、利益で繋がった味方もいる。とても充実しています。……そのはずです。
 酔いが回り始めた頭を振り、私はささやかな感傷を打ち消しました。

「そなたはよくやっている。だがな、人間は感情の生き物で、人生には無駄が必要だ」

 何やら引っ掛かりを感じて、私は猊下を睨みました。

「……まさか、本当にそのおつもりでラクイラの王子を招かれたんですか?」
「それこそまさかだ。ラクイラより求められたから許しただけのことだが……理由があるのは確かだな。あとはそなたで考えるといい」

 濡れた黒曜石の瞳を静かに眇め、猊下は笑みを深められました。
 そこには促すような意図があります。

 私が顔をしかめたとき、猊下の侍従が部屋を訪れました。
 すでに夜は更けています。私がここにいるのは彼も知っているでしょうから、これはめずらしいことでした。

「おくつろぎのところを申し訳ありません。急ぎ、お耳に入れたいことが」
「構わん」

 許しを得て、侍従が猊下に何事かをささやきます。
 猊下はすっと目を細め、剣呑に赤い唇を持ち上げました。
 どうやら、何か厄介ごとがあったようです。

「ラクイラの王子に毒を盛った馬鹿がいるらしい」

 告げられた言葉の意味を、一瞬、取り逃しました。
 とっさに息を詰めてしまった私に、猊下は目を伏せて指示を向けられました。

「安心しろ。生きている。調べついでに警告に行っておいで」