*019
「というわけで、いよいよお見合いづいてきました」
経緯をこの上なくざっくりと話したところ、サキはこれ以上ないほど目を丸くして、次の瞬間には唸っていました。
「……く、頚り殺してやりたい……! いけしゃあしゃあと何ですの!?」
「口実としては使いやすいですからね。おそらく、時間稼ぎでしょう」
案の定の反応です。ここまで予想通りに怒ってくれるのは、ある意味で予想以上ですね。
彼女がいちいち怒ってくれることは、私の平静に一役買っています。
ですが、そうは思わない人物ももちろんいるわけで――書類を整えていたレキは、いつものごとく、冷ややかな目でサキを見やりました。
「そろそろ黙ってくれないか、サキ。時間の無駄だよ」
「レキ! あなたには忠誠心が足りないのよ!」
「ぎゃあぎゃあ騒ぐことが忠誠だとは思わないね」
「なんですって!?」
「……二人とも、その辺りで収めてください。報告を」
サキが唇を大きく曲げ、片割れを忌々しげに睨みました。
そういえば、彼女がしっかりと私の目覚めに備えていたのは嬉しい誤算でした。てっきり無茶をして使い物にならないだろうと思っていたのですが。誰かがストップを掛けてくれたんでしょうか。
先に報告を始めたのは、レキの方でした。
「第二神官長の収賄の件ですが、特定はほぼ完了しました。ただ、確実な証拠を入手するには商会との直接交渉が必要でしょう。周辺が整い次第、ヒュースリアに向かいます」
「見込みはありますか?」
「当局を抱き込み、その上で商会の上層部を一掃させます。商会の存続がかかれば、内通者も得られるかと」
「……そうですね……」
上から押さえ込むことは容易です。
ですが、南方の情勢を考えると、あまりヒュースリア当局に借りを作りたくはありません。
私はしばし思案をめぐらせて、レキに訊ねました。
「内部告発者を用意することはできそうですか?」
「……ご要望とあれば」
ほんのわずかな間は、件の商会の、同族会社ゆえの困難さを考慮してのことでしょう。
それでも返された肯定の返事は、彼が腹を括ったということです。任せて問題ないでしょう。
「では、それで検討してください。……サキ、そちらはどうですか?」
「イコウ卿の周辺を洗い直しましたわ。残念ながら、それらしき形跡を見つけることはできませんでしたけれど……印象としては、ほぼ黒ですわね」
「なるほど。なかなか尻尾を掴ませませんね……」
〈星〉に毒を盛るなどという暴挙は、おいそれと無関係の人間に頼めるようなことではありません。
道具となったラクイラの令嬢は除き、その手前までは必ず信用のおける子飼いを使うはずです。
そう踏んで第二神官長の周辺を調べさせたのですが、ラクイラに赴いた人間――もしくは、赴くだけの空白を持つ人間は見つかりませんでした。
まったく、なんとも準備のいい。
一人もいないということ自体が疑わしさを増しますが、疑いは疑いでしかありません。
実行犯側からたどるより容易だろうと思って後回しにしていたのですが、そちらから再度検証したほうがよさそうですね。
幸い、あちらにいるガルグリッド卿は有能です。サキがうまいこと言質を取られてしまったとはいえ、ラクイラの負い目を拭えるほどのものではありません。全面的な協力を得られるはずです。
「ヴィーレや第四神官長まで、調査の範囲を広げたほうがよろしいでしょうか」
「いえ、その必要はありません。彼らはイコウ卿に比べて動機が弱いです」
私は冷ややかに笑みを深め、ゆったりと目を伏せました。
札は、既に揃っています。
その他が無とは言えませんが、順次積み重ねていけばいいだけです。
そろそろ、更なる先へ進む準備に移る頃合いでしょう。
「サキはそちらを切り上げて、多数派工作に取り掛かってください。円卓会議での解任請願と監査院の訴追の二本立てで、年明けまでに第二神官長を排斥します」
ぴんと糸を張るような緊張が、空気を粛然と塗り替えます。
二人は慇懃に腰を折り、明朗に答えました。
「承知いたしました。速やかに」
「お任せくださいませ」
私は、今回の件を表沙汰にするつもりはありません。宗教的な象徴でもある次期〈神后〉に毒を盛るような者がいたなどという事実は、権威に関わります。
だからこそ、これは訴追を目的としたものではありません。ただの政争です。
万に一つでもイコウ卿が無実であろうと、私の政敵であることに変わりはありません。
論理は単純です。
敗者こそが、弱者なのですから。
それにしても、楽しいです。
神殿での日々は、なんて充実しているのでしょう。楽しくて仕方がありません。
ましてや今回は敵が強大で、全力の抵抗を期待できる全面戦争です。まさに今、私は生きているのだという感じがします。
あっちがこうしてきたらああしてそうして、と考えを巡らせて笑みをこぼしていると、侍従二人がひそひそ声を交わしました。
「……どうにも生き生きしていらっしゃるわね」
「むしろ、うきうきでも間違いじゃないな。そんなに休暇がストレスだったのか?」
「ああ……そうね、ストレスになりそうなのが一人いましたわ」
嫌なことを思い出させないで欲しいです。せっかく楽しんでいるのに。
聞こえない振りをした私は、ふと思い出して引き出しを開けました。
「そうだ、サキ。こちらを魔法技術室の方で解析してもらえますか?」
折りたたまれた布を開き、サキは眉根を寄せました。
そこには掴まれて折れ曲がった青銀の羽が、数枚収まっています。
「鳥の羽根……? 例のもの、ですかしら」
「ええ、着色の魔法が組まれているみたいですね。ただ、ちょっと何かが混ざっているようなので」
ギーは盗聴を疑ったようですが、技術的にそれは難しいでしょう。現地の人間を抱き込む方がよほど簡単です。
ただ、生物への術式の付与は高度な技術が必要となります。出処が限られる以上、調べて損はないでしょう。
「特に急ぎませんが、面白いものが出るかもしれませんからね。人選はあなたに任せます」
「かしこまりました」
サキが首を傾げながら答えたとき、部屋付きの衛士が執務室に姿を見せました。
苦り切った顔で、おおよその予測ができます。
発言を促すと、彼は深く一礼して言いました。
「マヒト卿がお見えです。いかがいたしましょう」
「……まったく。今日も粘り強いことですね」
「申し訳ありません。一向にお帰りいただけず、しまいには恫喝を用いられるありさまで……」
衛士が門前払いをするには厄介な相手です。なにしろ彼は、目下皇配の最有力候補にして、神后の信用篤い総神官長のご子息であるわけですから。
防音魔法を施してあるので彼がいくら騒ごうと無視することはできますが、さすがに、部屋付きの衛士たちの苦労を思うと無碍にもできません。
それにしても、実に、あいかわらず考えの足りない人です。
もうちょっとこう、優秀で抜け目のない策略家だったりしたら、少しは楽しく相手をできるるのですが……実際のところは父親の権力を笠に着て威張り散らしているだけですからね。どうにも、興味をそそられないのです。
無言で眉間を揉んでいると、サキがこれ以上なく顔をしかめました。
「あの無能、性懲りもなく……! 追い返してまいりますわ!」
「いえ、会いましょう。話も切りがいいところですしね」
サキは軽く目を瞠りましたが、そのまま何も言わずに会釈しました。
立場上の引き際をわきまえているのは彼女の美点です。そのかわり、許されるギリギリまでは駄々をこねる人でもあるのですが。
第二神官長の推薦物件と会うことを決めた以上、なしのつぶてで拒否を続けるのは、無用に相手を刺激することになります。
釘を差して効果があるとは思えませんが、何もしないよりはましでしょう。マヒト卿にこの状況で、妙な動きをされても困ります。
執務室に入れる気は毛頭なかったので、その手前の応接室に通してもらいました。
もちろんお茶など入れるはずもありませんし、席をすすめるつもりもありません。さっさと用件を片付けてお帰りいただきます。
……さて。
彼は私を見るなり、整った顔に甘ったるい笑みを浮かべました。
「やあ、姫君。実に二ヶ月ぶりだね。君のいない神殿はまるで化石展のようだったよ。……予定より帰りが早かったようだけれど、ラクイラのような田舎は、水が合わなかったかな?」
マヒト卿の評判を総括すると、「無能な美青年」というものになります。
銀色の柔らかな髪と青空の瞳、均整の取れた体躯と、貴公子然とした優雅な物腰。ですが、忍耐力がなく居丈高で、根回しや情報共有を軽んじるため、神官としては限りなく使えない。要するにそんな人物です。
それでも女官には人気のようなのですが。上記のような特徴の人物を「可愛い」と言ってのける彼女たちの計り知れない包容力をうかがわせるエピソードです。顔がいいと、欠点も美点になるのでしょうか。
残念ながら、彼を幼いころから知っている私としては、女官に大人気の甘い笑顔を向けられても、「気持ち悪い」以外の感想を打ち出せません。
「ずいぶんと急なご訪問ですが、何かご用ですか?」
「つれないね。君が帰ってきたと聞いたから、会いたくなったに決まっているじゃないか。僕が贈った薔薇は気に入ってもらえたかい?」
「ええ、ありがとうございます。次はもう少し数を抑えていただけると助かりますが」
「はは、すまない。喜んでもらえたなら良かったよ。愛しい君のために作ったものだから」
「それはどうも」
ぺらっぺらな美辞麗句は今に始まったものではないのですが、どうしてでしょう、何だかやたらにうんざりします。
私の意識が変わったせいなのでしょうか。
彼の父親である総神官長は、神官の最高位にある人物です。ちなみに世襲制ではありませんからもちろん有能な人なのですが、どうも子育てには失敗したようですね。
「それはそうと、聞いたよ? ユークスでの会談では、ずいぶんと苦労をしたようじゃないか。ヴィーレもクレフトールも愚かだね。君の手を煩わせるなんて、考えが甘い」
あからさまな誇示です。子供が手札を見せびらかすようなものでしょう。
ですが、内容には興味を引かれました。
「意外に耳が早くていらっしゃるようですね」
「僕にだって情報の伝手はあるさ。特に、君のことだからね」
惚けるような笑みを浮かべ、彼は私の頬に触れようとして――サキが放った強い殺気に、その動きを止めました。
防衛本能はそれなりに強いようです。サキが彼と同格の家柄だということも、彼には大きな理由でしょう。
「……そろそろ、色よい返事をくれてもいい頃じゃないか? 君だって解っているだろう。僕以上に、君の夫にふさわしい人間はいない」
「そうですね。確かに、あなたは最も可能性の高い候補者です」
さりげなく手を引っ込めたマヒト卿が、目を輝かせました。
ですが、調子に乗ってもらうために言ったわけではありません。
私はこの上なく冷ややかに、最大限の釘を持ち上げました。
「ひとつ、忠告しておきましょう。私の邪魔はしないことです。あなたが余計なことさえしなければ、望む結果を得られる可能性は高いんですよ。私におもねる時間があるならば、ご自身の責務を果たしてください」
飾りも遠慮もない言葉で切り捨てると、マヒト卿はようやく笑みを消しました。
そちらの方がいくぶんましですね。こうしてみると、女官が美形だと騒ぐ理由もわかります。中身が伴わないのが残念な話ですが。
マヒト卿は皮肉さの混じる笑みを浮かべ、小さく肩を竦めました。
「……仕方ない、今日は帰るとするよ。だけど勘違いしないで欲しいのは、僕は僕の意思で君に逢いに来ているのだということだ」
「そうですか。では、次はこちらの都合を考慮してください」
「念頭においておこう。君の侍従が、今にも噛み付きそうな顔をしているからね」
サキに愛想のいい笑顔を見せて嫌そうな顔をさせ、マヒト卿はようやく部屋を辞します。
何とも言えない空気の中、レキが感心するようなため息を吐きました。
「すごいな……あそこまで、動けば動くほど事態を悪化させられるのは」
「まったく、無能は無能らしく大人しくしていればいいものを……! アヤリ様、いつまであれをのさばらせるおつもりですの!?」
正反対ですが同じ感想を抱いたらしい二人に、私は苦笑を返しました。
「彼が第一候補であるのは確かですからね。おかげで総神官長の影響力が落ちてしまっていますが、利用価値はあります」
それにしても、妙に疲れました。
マヒト卿が欲しいのは皇配という立場でしかないので、私が彼を選べば、望みどおり無関心になるでしょう。ただ、飼い殺しにするには面倒な性質の持ち主です。
細い息を吐いて窓枠にもたれ、私は数瞬、意識をそちらに囚われました。
時刻は夕暮れ。沈もうとしている太陽が、広い空を染め上げています。
群れを作って飛んでいく渡り鳥の影。大きな雲は目を奪うような色に焼かれ、ゆったりと、滑るように流れて行きます。
鮮やかな黄金。
――胸を軋ませるその色に、思い出したのは、何だったのか。
「星下?」
レキの声に、私は目を瞬きました。
いけない、ぼんやりしてしまいました。
振り返れば、サキが心配そうに眉根を寄せています。
「アヤリ様……お疲れではありませんこと? 今日は早くお休みになってくださいな」
「大丈夫ですよ」
「いいえ、お休みください。円卓会議も終わりました。他に急ぎの案件はありません」
サキとレキが交互に言います。
こんなときだけ息の合った二人に、私は苦笑いでうなずきました。