*015

 知らせを受けて駆けつけたサキは、蒼白な顔で主人の前に両膝をついた。
 長椅子に横たえられた、彼女の至尊の存在。
 どこか幼さの残る顔はひどく静かだ。苦悶は見られない。その胸がわずかに上下していなければ――生きているのかどうか不安になるほどに。
 ギルバートが硬い表情で見つめる中、サキは彼女の手に額を寄せた。
 祈るように目を伏せる。ゆっくりとした長いため息は、抑えきることのできない怒りに震えていた。

「星下は、何と?」
「……隠せと言っていた」
「そう……そうでしょうね」

 優美な所作で立ち上がった〈星〉の侍従は、滾り立つような怒りを目に宿してギルバートを睨んだ。
 その強さに、壁際に控えるリドが息を飲む。

「この先はわたくしが差配いたしますわ。去りなさい。そして黙しなさい。こちらの要求はそれだけよ」
「断る。理由を言え」

 サキが瞬間、無表情になる。
 叩き返すようなギルバートの答えに、リドがぎょっとして声を上げた。

「殿下!」
「……その頭には一体何が入っているのかしら。自分が命令できる立場にあると思って?」
「あろうがなかろうが関係ない。説明しろ」
「寝言を言いたいなら死になさい! 今すぐに!」

 裂帛の怒声が窓を震わせた。凍てつくような目がギルバートを射抜く。

「おめおめと目の前で傷つけられて、よくもそんな口を……! 適うならこの国ごと焼き払ってしまいたいくらいだわ! ええ、星下がお止めにならなければそうしていてよ!」

 突き立てるような殺気に、リドが青い顔で割って入った。
 何か言おうとするギルバートを視線で宥め、サキの憤りを真正面から受け止める。

「今回の件は、紛れもなくこちらの手落ちです。本当に申し訳ございません。お詫びして済むはずもありませんが……内密にとのことであれば、相応の医師をお呼びします。我々にも、可能な限りの協力お許しいただきたいのです。どうか、ご受容いただけませんか」

 真摯な言葉にサキは嫌そうな顔を見せたが、ややあって、細い息を吐いた。

「……医師は必要ないわ」
「あいつもそう言っていたな。何故だ?」

 ギルバートの問い掛けに、彼女はちらりと眉をひそめた。
 その目に僅かな迷いをのぞかせ、眠る主人を見つめる。
 やがて、彼女は目を伏せて答えた。

「……リド。少し外していただけるかしら」
「えっ」
「安心なさいな。殺さなくてよ。とりあえず今は」

 余計に不安になるようなことを付け加え、彼女はリドを促した。
 ギルバートにまで「早く行け」と渋面で言われ、彼はためらいながらも扉に向かう。その背中に、サキが思い出したように声をかけた。

「神殿のイッサを呼んでくださる? 砂色の髪の衛士よ」
「あ……あの人ですね。わかりました」

 扉が、静かに閉められる。
 淀んだ沈黙の中で、サキは気怠げにソファに腰を降ろした。
「これから話すことは他言無用。よろしくて?」
「ああ」
「もし漏らすようなら、その首はないとお思いなさい」

 ギルバートは壁に背を預け、腕を組んで頷いた。
 それを胡乱な目で見やり、サキは沈んだ声で告げる。

「時の〈神后〉とその直系は、決して害されることはない……建前の話ではなくてよ。それは、実際的に不可能なの」
「どういう意味だ?」
「刃でも毒でも病でも、神の眷属であるあの方を侵すことはできない。必ず癒されますわ。それが、あの方が神に与えられた〈祝福〉だから。これは諸国の王と、限られた神官のみが知ることよ」

 人を癒す技術はあっても、魔法は存在しない。
 当然のこととして知られるそれと異なる事実に、だがギルバートは安堵を浮かべて答えた。

「医者いらずか。便利だな」

 あっさりとした反応へ盛大に顔をしかめ、サキは額に手を当てる。

「……アヤリ様のお気持ちがわかった気がしますわ……」
「それで、今はどうなっているんだ? すぐに目が覚めるのか?」
「快復なされば目を覚まされてよ。治癒の間は意識を保てませんの。……様子からして、致死性のものですわね。数日は目覚められないわ」

 ギルバートが目を眇める。
 リドの言った通り、これは途方のない失態だ。警備の配置を思い返す。手配は通常通りに行った。だが、どこかに見落としがあったからこそ、こんな事態を引き起こしてしまったのだ。

「……隠す理由は何だ? あいつはそこまで甘い奴じゃないだろう」
「ああ、思ったよりも愚かではないのね」

 肯定を返し、サキは忌々しさの滲む声で言った。

「手を下したのはラクイラの者であっても、黒幕はそうではないからよ」
「どういう意味だ?」
「よくお考えなさい。ラクイラのような田舎に、〈星〉を弑するような不信心者がいて? どうなるかを考える以前に思いつきもしませんわ。大方、笑い薬だとでも聞かされていたのでしょうけれど……下手人を捕らえるだけでは意味が無いわ」

 辺境になればなるほど、信心は深くなる傾向にある。むしろ〈神后〉を神位ではなく施政者として見るのは、神殿の人間だ。
 意図的に攻撃しやすい空気を作っていたことには触れず、サキは剣呑な目を窓の外に投げた。

「〈星〉に毒を盛るような人間は神殿にしかいなくてよ。そして神殿の人間は、〈祝福〉こそ知らなくても、〈星〉を弑することができないことは当然知っている……浅はかにも程があるけれど、ラクイラの責任を問うための策略ですわね。そうお考えになったからこそ、アヤリ様はこれを隠せとおっしゃったのよ」

 考えもしなかった可能性に、ギルバートは苦々しい顔で「迂遠だな」と吐き捨てた。
 だが、確実な方法ではある。そうまでしてラクイラを害したい人間がいることに、濁るような気分の悪さを持て余した。
 視線を床に落とす。自然と、言葉が口をついた。

「……すまない」

 ギルバートの謝罪に、サキが怪訝な顔をした。

「何についての謝罪かしら。心当たりが多すぎてよ」
「お前の言った通りだ。目の前にいたのに、俺は気付かなかった。……責められて当然だ」

 サキが少しだけ意外そうな表情をひらめかせる。
 彼女はため息混じりに何かを言いかけたが、足音に気づいて口を閉ざした。
 リドがその人物を呼び止める声が聞こえた。おそらく、こちらに知らせるためだったのだろう。
 ――その名前は、主人が気に入っていた、ラクイラの内務卿のものだった。
 間を置かず、部屋の扉が叩かれる。
 サキと目配せを交わして了解を得ると、ギルバートは相手に入室を促した。

「入れ」
「失礼いたします」

 姿を見せたのは、予想通りの緋色の男だった。その後ろに、困り切った顔をしたリドが続いたので、サキは彼に冷ややかな眼差しを送った。
 ガルグリッドは目礼して部屋を見渡した。長椅子に横たえられた〈星〉の姿を認め、その顔に険しい表情を浮かべる。

「……星下に危急があったと聞き参りました。御容態をお聞かせ願えますか」
「見てのとおりですわ。大事ございません」

 ギルバートが言葉を飲んで唇を曲げた。下手に口を挟めるほど、裏を読むやりとりに長けてはいない。
 到底本心とは思えないサキの無感動な返答に、ガルグリッドは怯むことなく続けた。

「この度の事、誠に申し訳ありません。内密にとのご意向かと存じますので、関係者は拘束せず監視をつけております。ご許可があれば、すぐに身柄を確保いたしましょう」
「結構ですわ。ゆめゆめ逃がさぬようお願いいたします」
「承知いたしました」

 無骨な容姿で流れるように一礼し、彼は射抜くような強い目でサキを見据えた。

「ところで、確認させて頂きたいのですが……星下は幾度に渡り、警護の者に配置の変更を指示なさったと報告を受けております。何か僭越がございましたでしょうか」
「ああ……休暇ですもの。こちらも衛士は伴っておりますし、星下もお気を休められたかったのですわ」
「然様ですか。至らぬことをお詫び申し上げます」
「星下にお伝えいたしますわ。それよりも、今回の件の捜査はくれぐれも内密に。漏れてお困りになるのはどちらか、よくおわかりでしょう?」
「無論、重々承知しております。不躾な訪問、どうぞご寛如のほどを」

 冷然と微笑むサキに再び頭を下げ、内務卿は迷いのない足取りで部屋を後にする。
 扉が閉まり、一触即発の気配が薄れたことにリドがほっと息を吐いた。
 そんな中、サキがつかつかとソファに歩み寄り――唐突に、握った拳をクッションに叩き込んだ。

「サ、サキ嬢?」
「なんてこと……忌々しい、してやられましたわ!」

 呪詛のような声に、リドは驚いて目を瞠った。
「え!? そ、そうは思いませんでしたが、どこが……」
「分からないならそれでよくてよ。……まったく、責任を問う余地は残しておきたかったというのに……! どうしてこの国にあんな人材がいるんですの!」

 いらいらと吐き捨てる声は周囲をはばかってか潜められている。
 先程の会話のどこに彼女の失態があったのかわからず、リドは困惑して首を捻った。
 サキはしばらく険しい顔で考えに沈んでいたが、ふと、思い出したようにギルバートを見た。
 
「あなた、いつまでここにいるおつもり? さっさとお戻りなさい」
「いや。そいつを部屋まで運ぶ」
「冗談ではありませんわ! させるわけがなくてよ!」

 猫が毛を逆立てるような勢いで怒鳴ったサキに、ギルバートは渋面を見せた。

「それくらいさせろ」

「馬鹿も休み休みおっしゃい! アヤリ様の名誉に関わりますわよ!」

「見られなければいいだろう。気にするな」
「……ああもう殺したい!」

 サキは結い上げていた髪を下ろし、苛立ちをぶつけるように掻き毟った。

「リド、さっさとこちらの関係者を呼んできてくださらない!? わたくしは内務卿を呼ぶよう頼んだ覚えはなくてよ!」
「す、すみません……」

 呼んだわけではなく端から事態を知られていたのだが、リドは所在なく頭を下げた。
 それを眺め、ギルバートは苦い息を吐いた。ここまで自分の立場を煩わしいと思ったのは、初めてのことかもしれない。
 後ろ髪を引かれるように、眠る女を見た。
 静かなその顔は、どこか知らないもののように思えた。