*007

 晩餐会は、日を置いただけに盛大なものでした。
 海鮮を中心とした豪華な食事の後には、王城のホールで夜会です。一夜にお目見えを片付けてしまえるので、毎夜宴に呼びつけられるよりは合理的ですが――参加者が多いので、人の名前と顔を覚えるのは一苦労です。
 まあ今回の名目は休暇であり、一応のところあまり仕事ではないので、そこまで気を張る必要もありません。――具体的に言うと、各人の名前と地位と影響を持つ部署を把握し、諸問題を探って状況を把握する必要性があまりありません。
 ついやってしまいそうではありますが。職業病ですね。

 エスコートに手を貸し、ギーは今更のように言いました。

「そういえば、ドレスじゃないのか」
「気づくのが遅いですよ。……戦闘服ですからね。こちらの立場もはっきりしますし」
「なんだ、やる気だな」
「まあそれなりに」

 面白くなってきたのは確かです。敵は手ごわいほどやりがいがありますから、正直ガルグリッド卿の横槍は渡りに船。彼には不本意なことでしょうが、やる気に火がついてしまったのだから仕方ありません。
 ただし、本当に結婚する気は毛頭ないので、やりすぎないのも大事です。

 いろいろと制約があるのは仕事と同じ。その中で望む結果を引き出すために策を練るのもいつもと同じです。
 馴染んだ高揚感に口角を持ち上げ、私は傍らの王子殿下に告げました。

「とりあえず仲良くは見せるつもりなので、適当に話を合わせてください。あと、ほいほい持ち上げるのは禁止です」
「手っ取り早いだろう。お前は足が遅い」
「人のやる気を削ぎたいんですか。帰りますよ今すぐ!」
「わかった。謝るから怒るな」

 ホールに入ると、一角から険のある視線が飛んできました。
 ソファでお茶を飲んでいるドレス姿のご令嬢がた。その中心にフィフィナ姫の姿を見つけ、私はにっこりとギーを見上げました。

「では、ちょっと行って来ます」
「俺は行かなくていいのか?」
「婚約者を演じるわけじゃありませんからね。四六時中一緒にいるのは不自然ですし面倒です。まあ任せてください」
「近くで観戦したい気もする」
「遠慮してください。あなたといると疲れるんですよ……」
「なんだ、軟弱だな。体力をつけろ」
「むしろ減りが早いのは気力だと思います」

 こんな会話だとは思いにも寄らないのでしょう。ご令嬢がたのとげとげしい視線とひそひそ話をうかがいつつ、私はにこやかそのものにギーの手を放しました。

「そろそろ始めますか。あとで合流しましょう」
「ああ。よろしく頼む」
「……待った。頭を叩くのも禁止です」

 不穏な動きを見せた右手に先手を取ると、ギーはぴたりと止まって、整った顔に渋面を作りました。
 こうやって改まった場で改まった姿を眺めると、ちゃんとした王子様に見えなくもないのですが。濃紺の盛装がよく似合います。
 着飾っても装いに負けていないのは、ちょっと羨ましいかもしれません。普段のざっくりした本質を知っているだけに。

 手持ち無沙汰にこめかみを掻いていたギーは、ふと、面白いことを思いついたように私を見下ろしました。

 ――嫌な予感がします。

 何ですかと口に出す前に、彼は似合わない優雅な所作で私の手を掬い取りました。
 止める間もなく手袋越しにさっと口付け、にやりと私を見上げます。

「……では、星下せいか。健闘を祈る」

 王子様らしい行動になぜか猛烈な拒否感を覚え、私は手を振り払いたくなるのを必死に堪えました。
 いけません、毒されてきた気がします。王子が王子らしいことをしただけで、何故こんなに動揺してしまうのか。あまりにも不毛です。

 ますます険悪な雰囲気になってきたご令嬢がたに目を向け、私はため息を飲み込んで笑いかけました。

 

 

「それにしても、驚きましたわ。星下せいかはとても身を律しておいでですのね」
「本当。どのような場でもお気持ちを正していらっしゃるのだわ」
「素晴らしいことですわね。……わたくしなどには、とても真似できませんわ?」

 扇で口元を覆ったご令嬢がたのくすくす笑いがさざめきます。
 要は地味だと言いたいのでしょう。
 後ろに控えるサキの、「だからドレスにしましょうって申し上げましたのに!」という叫びが聞こえてくるかのようです。元が元なので、ドレスでも大差ないと思うんですけどね。

 本日の私は正装でこそありますが、ドレスではなく神官衣です。最高級の白いサテンを青の繊細な刺繍が彩る上質な衣装ですが、仕事着ですから華やかさではドレスに負けます。
 サキも付き合って神官衣なのは少々申し訳ない気分にはなりますが。美人なので、盛装させると周囲を霞ませるほど華やかなんですよね。あれは見ていて結構楽しいです。

 ともあれ、今はそれを言っている場合ではありません。
 あからさまな嘲笑に、私は笑顔で返しました。

「無駄は好きでないもので。ど派手な神官は猊下お一人で十分ですからね」

 ご令嬢がたは笑顔のまま固まりました。
 それもそのはず、下手に反応すると不敬にあたります。私は娘ですからある程度許される部分がありますが、私以外ではそうはいきません。
 硬直した空気をやわらげたのは、通りのよい穏やかな声でした。

「星下にかかると、猊下もかたなしでいらっしゃるわね」

 くすくすと笑い声を転ばせて、フィフィナ姫が小首を傾げます。

「けれど、皆さんの仰るとおりだわ。ドレスよりも、むしろ星下にふさわしい装いなのではないかしら。高潔な白に、清廉の青――見た目の華やかさよりも、星下のお人となりこそが美しいのでしょうね」

 フィフィナ姫は、にこりと私に笑いかけました。
 まさに小鳥のようという形容にふさわしい可憐さです。おまけに賞賛の言葉は上辺だけのものではなく、素直な敬意を感じさせました。
 そのそらとぼけた穏やかさが、ラクイラの令嬢たちから棘を取り除いていきます。

「ま……まあ、フィフィナ姫ったら……」
「あなたらしいこと」
「もう、本当に……仕方のない方ね」

 ご令嬢がたが微苦笑を交し合いますが、そこにあるのは紛れもない好意です。
 親愛を受けながらも一目置かれている様子は、素晴らしく安定した王家の姿。王子妃として採点するなら満点に近いです。
 ……ううむ。完璧すぎて裏を疑ってしまうのは性分でしょうか。
 ちなみに、裏があると個人的に評価が上がります。
 なんだか和んでしまった空気の中で考えをめぐらせていると、気を取り直したようにご令嬢の一人が口を開きました。

「ところで、星下。先ほどのお話ですと、ラクイラへはご休養にいらしたのだとか?」
「驚いてしまいましたわ。殿下ったら、あのようなご冗談を仰って」

 どうやら彼女たちは、昼にお会いした取り巻きの方のようです。
 一人がけのソファに深く腰掛け、肘を置いて、私は笑顔で答えました。

「いえ、縁談は事実ですよ。正式なものではありませんが」
「まあっ……!」
「なんてこと」
「殿下は継嗣でいらっしゃいますのに!」

 非難めいた声が次々と上がります。
 それは仕方のないことでしょう。ラクイラ王家には王弟も、王弟の息子もいますが、通常であればギーがそのまま即位するはずなのです。
 皇配になるとなれば、それはすなわち彼の廃嫡を意味します。つまり、ラクイラはたった一人しかいない王子を皇国に差し出すことになるわけです。
 反感は当然でしたが、個人的な感情も多分に感じられました。民草にはあけすけに、貴族には呆れ混じりに愛されているようです。少々意外ですね。

「仰るとおりです。ただ、前例がないわけではありません。候補であることは確かですね」
「……けれど、キリルアル公の例は特殊でしょう?」
「おや。よくご存知ですね」

 フィフィナ姫の発言に、私は眉を上げました。
 かつて神殿が、北端の国イヴァトの第一位王位継承権者を皇配に引っこ抜いたのは有名な話です。残念ながら、巷に語られている愛とか恋とかいった話ではありません。それは、色々ときなくさかった彼の国の勢力を弱めるための大胆な策でした。
 〈神后〉は、あくまで皇国の妻であるというのが神殿の考えです。皇配は政治的な権力から切り離された、いわば〈神后〉の内縁の夫に近い立場。それでいて限りない栄誉とされる地位なので、うかつに断るわけにも行きません。素晴らしい逆転の発想です。当然、夫婦仲はえらく冷え込んでいたようですが。

「ラクイラには、かの国のような事情はございません。本気でギルバート王子を皇配に据えられるおつもりですか?」
「さあ、どうでしょう。なにぶんお会いしたばかりです」
「ギルバート王子は民にとても慕われておいでですし、誰もがあの方が即位することを願っています。それでも?」
「もちろん考慮しますが……決めるのは、私ですよ」

 残念ながら、仮に私が彼を望んだとすれば、この国に拒否権はありません。
 冷ややかに釘をさすと、フィフィナ姫は青ざめて唇を結びました。
 視線を落としたのは、ほんの一瞬。すぐに目を上げ、彼女は強い意思をともして私を見ました。

「わたしは、ギルバート王子をお慕いしております」

 きっぱりとした口調に、ご令嬢がたが驚いたようにフィフィナ姫を見ました。
 美しい空色の瞳が、まっすぐに私を見据えます。
 私は笑みそうになる口元を、かろうじて引き締めました。

 なるほど、そうきましたか。
 情に訴えるやり方は、この場合とても有効です。最初に手をつけたのはフォーリなのだから横槍を入れるな、なんて方向よりは、よほどよい攻め方でしょう。
 可憐な姫君の一途な恋情。ここで切り捨てたなら、私の評判は大暴落です。

「……今のラクイラには、強引なことをなさる理由はないはずですもの。星下にお認めいただけるよう、願っていますわ」
「そうですね。想い合う二人を引き裂くような真似は、私も望みませんよ」

 彼女と私の間に、火花が散ったのがわかりました。
 向こうにも選ぶ権利がありますからねと言外に告げたのが伝わったのでしょう。ご令嬢がたは素直に受け取って胸を撫で下ろされたようですが、フィフィナ姫だけは正確に意味を把握したようです。

 ともあれ、これでお互いに宣戦布告は完了です。
 鉄壁の笑顔で挨拶を残して、私はご令嬢の集まるテーブルを離れると、ギーの姿を探しました。有力者の顔も覚えておきたいことですし、ついでに案内を頼めば挑発にもなります。一石二鳥でしょう。
 サキは私の後ろに付き従いながら、まだぷりぷりと怒っていました。

「サキ、皺ができますよ」
「あとで手入れいたします! ……まったく許しがたいにもほどがありますわよたかだか片田舎の小娘どもがピーピーと……!」

 いらいらと爪を噛まんばかりの呟きに、私は苦笑を返しました。
 あいかわらず、高度だろうが稚拙だろうが嫌味も喧嘩も全力で買い叩く人です。黙っていてくださいという指示がよほど神経をすり減らしたのでしょう。神殿では彼女の好きにさせていたのも一因かもしれません。
 ですが彼女を野放しにすると、それこそ純朴なラクイラのご令嬢がた相手のこと。山を更地にする勢いで叩き潰してしまうでしょう。それはちょっと困ります。
 やれやれと肩をすくめ、私は話の矛先を変えました。

「それにしても、フォーリはずいぶんと熱心ですね。わざわざ姫君本人を送り込んでいるわけですから」
「……え?」
「同じ条件を備える国なら他にもあるんですよ。ラクイラにこだわる理由が気になりますね。少し調べてみると面白いかもしれません。もしかしたら、掘り出し物の情報が……あれ、サキ?」

 彼女が足を止めたので、私は首をかしげて振り返りました。
 まん丸に目をみはっていたサキは、困惑気味に口元に手を当てました。

「どうかしました?」
「……いえ……思いにも寄らなかったお言葉に、少々、驚きまして」
「そうですか? わりと定型の発想だと思うんですが」
「ええ、ええ、そうですわね。失礼致しました。どうぞお捨て置きくださいませ」

 なにやら妙な反応です。言いたいことを飲み込んだようにも思えたのですが、まあ、わざわざ聞き出すようなことでもないでしょう。
 とりあえず先ほどの私の発言は、素直に受け取れば、フィフィナ姫がギーを落とせば身を引きますよという意味にもなります。
 姫君はますますアピールに励むでしょうし、大臣も妨害に動くはず。そもそもギーは惚れた女性でなければ娶る気はないなんてわがままを言っていましたが、それがフィフィナ姫ではいけない理由というのは特にないのです。

 ですが――一度喧嘩を買った以上、そして私が謀略に荷担する以上、負けは認められません。
 もちろん敵は姫君ではなく、黒幕と目されるガルグリッド卿です。
 ラクイラの内務卿との関係を悪化させるのはあまりよいことではありませんが、あちらも政治家です。私情で国を害するほど愚かではないでしょう。せいぜい風当たりが強くなる程度です。

 さてどう手を打ってくるかと、私はひそかに笑いました。