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「ようこそおいでくださいました、星下せいか

 ものやわらかな微笑とともに深く一礼したのは、猊下のお気に入りであるところのラクイラ王妃でした。
 賓客はまず、王族の女性が迎えるのがこの地方の慣例なのだそうです。

 見合い相手の王子もいないのには驚きましたが、まあご機嫌を取られても鬱陶しいのでそれはいいです。
 それにしても、広間には本当に限られた人数しか詰めていません。城門からの道のりも礼節を損なわない程度に押さえられていました。
 仰々しく迎えられることに慣れていましたので、この簡素さはかえってありがたいです。疲れてますし。

「ご歓迎嬉しく思います。滞在中は何かと手数をかけるでしょうが、どうぞよしなに」
「めっそうもございません。ごゆるりとお過ごしくださいませ」

 王妃はお仕着せでない笑顔で私を見つめました。
 なかなか感じのいい方です。まあ迷惑をかけられているのはこちらなので、失礼な感じだったら帰りたい気分に拍車がかかりますが。そもそも猊下がお引き受けにならなかったでしょう。

「猊下より、よろしくお伝えするよう申し付かっています。私だけこちらを訪れることを口惜しんでおいででしたよ。よほど以前の滞在が快適だったのでしょうね」
「まあ。光栄ですわ」

 とても嬉しそうに相好を崩されて、少しばかり面映くなりました。
 裏表のなさそうなところは、この方の美点なのでしょう。実際どうかはまだわかりませんが。

「長旅にお疲れではございませんか? もしお差し支えなければ、晩餐会は明日改めて開かせていただきますが……」
「そうですか。お気遣いありがたく頂きます」

 ちょっと素で喜びました。まだ昼を少し回った頃。これはご飯を食べたら爆睡してもいいってことですね。嬉しいです!
 小躍りしそうになりながら、私は笑顔を返しました。

 ――このときにはまさか、その安眠を妨害されることになるとは思いもしなかったのです。

 

 

 

 居心地のいいベッドで夢も見ないほどぐっすり眠り込んでいた私は、ダンッという派手な音に目を覚ましました。
 重い体はまだ睡眠を求めていますが、音がしたのは天井のほうです。二度寝をするには、いささか状況が不穏でした。
 まあ、これだけ堂々と音を立てているのです。暗殺者や間諜の類ではないでしょう。
 人を呼ぶのも面倒です。のろのろとガウンを羽織って、出窓に近づきました。

 カーテンを引き、外を確かめ――目の前に降ってきた何かに、私は目を丸くしました。
 それは、文字通り降ってきたのです。屋根の上から。

 よく見直すと、それはまだ少年めいた印象のある青年でした。おそらく、私とそう変わらない年齢でしょう。
 思い切り目が合ってしまって、どう対応すべきか刹那悩みました。悲鳴をあげてカーテンを閉めるべきでしょうか。それとも人を呼ぶべきでしょうか。
 どちらもいまいち面倒だったので、私はため息混じりに訊ねました。

「……何をしているんですか、そんな所で」

 短く整えられた蜂蜜色の髪。物怖じを知らないその瞳は、辺りを包む夕焼けに似た黄金です。
 上等な衣服と、獅子王と渾名されるラクイラ王そっくりの顔立ちからして――おそらく、この人が見合い相手でしょう。なぜに屋根から降ってきたのかはわかりませんが。
 ギルバート王子は服の汚れを払いながら、なんの悪びれもなく答えました。

「知らない鳥がいた。捕まえようとしたんだが、逃げられたな」
「……あなた、鳥類学者ですか?」
「いや?」
「ではなぜ捕獲しようなんて考えるんです。ペットにでもする気ですか? 野鳥は飼うと長生きしませんよ」
「魔法で盗み聴きに使っているかもしれないだろう」
「聞いたことがありませんが。そんな事例があったんですか?」
「あったら面白いな」

 思わず脱力しました。そこはしれっと答えるところじゃないと思うんですが。
 音声を扱う魔法は、情報量の大きさから実用に至っていません。もし開発されているとすれば革新的ですが、認可されている関数にそういったものはなかったはずです。無認可であれば犯罪ですし、ちょっと考えにくいでしょう。
 そもそも理由は王子としての用心では明らかになく、悪ガキの好奇心だと思われます。

「……そうですか。私はおかげで起こされたんですけど。とりあえず謝ってください」
「なんだ、こんな時間から寝ていたのか?」
「ほっといてください。というか、迎賓館の屋根に登らないで下さい。怒られますよ」

 あれ、という顔で、ギルバート王子は私を見つめました。

「ああ、お前が神殿からの客か。それは疲れてるな。悪かった」

 ちょっとあっさりしすぎじゃないでしょうか、その口調。失礼を働いたことに対してではなく、単純に起こしたことを謝っているだけのようです。
 ……大丈夫でしょうか、この王子。どう考えても、私が誰なのかわかっていません。この部屋にいるという時点で気付いて欲しいものです。どうにも危機管理が足りないような。
 渋面を作った私に何を勘違いしたのか、彼は右手を差し出しました。

「まあ、そう怒るな。これをやろう」
「……なんですか、これ」
「さっきの鳥の羽」
「むしったんですか!」

 青銀の綺麗な羽は、握っていたせいでよれよれです。――というより、素手で捕まえようとしたんでしょうか。生きている鳥を。
 なんだかもう色々と衝撃で、私は額を押さえて手すりに突っ伏しました。

「それで、そろそろ目が覚めたか?」
「起きてますよ……しばらく寝付けない程度にははっきりと」
「じゃあ出て来い」
「……はい?」

 いきなり何を言い出すんでしょう、この人は。
 怪訝に返した私に、彼は面白いことを思いついたかのように笑いました。

「どうせ明日からは忙しいんだろう? 折角だ、その辺を案内してやろう」
「いや、いりません」
「心配するな。他の奴には秘密にしておいてやる。うまいもん食わせてやるから来い」
「いりませんって! 人の話聞いてますか!」
「来ないならそのまま引きずっていく」

 あまりの発言に、絶句しました。ちょっと殴っていいでしょうかこの王子。拳で。
 とりあえず右手を握ってみたものの、途中で思い直して、盛大なため息を吐きました。

「まったく……わかりました、着替えますから待ってください」
「よし。お前、名前は?」
「……アーリャです」
「俺はギルバートだ。ギーでいいぞ」

 名乗るんですか。そこで普通に本名を名乗っちゃうんですかあなた。偽名を使った私が馬鹿みたいじゃないですか。
 もう全部ばらして怒ってしまおうかと一瞬思いましたが、私はその感情を押し止めました。
 こうなったら全力をもって嫌がらせをさせてもらいます。
 見てなさいこの馬鹿王子、明日会って青ざめればいいですよ!
 ひらひらと手を振るギルバート王子……ギーに、私は思い切り渋面を返し、カーテンを閉めました。