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 さて、お仕事です。
 というより、転移魔法を使っても片道三日の道程をはるばるやってきた主目的は、どう考えてもこちら。紛争調停のための会議なのですが。

 問題は、領有権があいまいだった小さな島から始まりました。どうでもいい存在だったその島で、希少資源であるギアノが発見されたのです。
 正確には、ギアノが魔法情報の記録媒体として非常に有用なものであることが発見されたのですが。現在主に利用されている白金とは桁違いの適性を持つため、魔法技術の大幅な進歩が期待されています。つまりはそれが、莫大なお金になるわけです。となると争いが起きないはずがありません。二国が利益を争ってバチバチやりあい始めたところに、その島の住民は独自の文化を理由にして、神殿に自治権を求めました。かくして三竦みのできあがりです。
 
 会議は踊る、されど進まず。
 三者の利益のごねあいは、放っておけば火花から火災に変わりかねませんでした。だからこそ猊下も介入をご決断になったわけですが――いかんせん、利益が大きいだけにどちらも譲る気配をみせません。いいかげん鬱陶しくもなります。
 そのうちの一国であるヴィーレの宰相との会談で、私はそのハゲ頭を思い切り書類ではたいてやりたくなっていました。
 賞賛に値するほどしつこいです。同じことを何度言えば気が済むんでしょう。

「……そもそもリシェールという呼び名自体、わが国があの島々へ与えたものなのです。ヴィーレは長年あの地域を保護してきました。それを今になって独立だ、譲渡だと……到底許容されることではないでしょう」
「なるほど。ですが、官も置かれず街道や湾口の整備もされていないようでは、何をもって保護と呼ぶのか、多少疑問がありますね」

 一時間に及ぶ誇張された昔話を聞き終え、私は無感動な微笑で返しました。
 その質問は想定のうちでしょう。ヴィーレの宰相は動じることなく答えます。

「無論、海賊からです。古くは、あの海域はならず者が多い場所でしたからな」

 対立するクレフトール国と同じ回答です。もうちょっとひねっていただきたいのですが。
 要は、それくらいしか主張できる成果がないです。
 ついでに言うなら海賊を討伐して南海域を安定させたのは、ヴィーレでもクレフトールでもなく、ラクイラの名高い獅子王なのですが。両国は戦果が明らかになった頃、ようやく重い腰を上げて勝ち馬に乗っただけです。
 そんな思いをおくびにも出さず、私は、交渉の駒を一つ進めました。

「なるほど、海賊ですか。当時は税の徴収も大変だったでしょう。貴国は島嶼を多く抱えておいでですから」
「……そうですな。あの時代の海賊は、公船までも標的にしておりましたので……」
「なるほど。それで、クルズ葉への課税で損失を埋めようとしたわけですね?」

 一言で、相手の顔色が変わりました。
 皇国における課税権――つまりどこで何から税金を取るかを決める権利は、神殿にあります。
 各国に認められているのは、神殿が認めた範囲での課税。つまるところ、彼らはこっそりと二重に税金を取っているわけです。それをこの人が知らないはずがありません。

「そ……それは……」
「気付かれていないとお思いでしたか? それとも、黙認されているとでも? 残念ながら、それはいささか楽観が過ぎますね」

 これは王の首につながる大事です。宰相が独断で判断できるレベルの問題ではありません。
 外交は予測と準備が何よりも大切です。交渉当事者は、あくまで所属集団の代表者でしかありません。このカードへの返しを定めてこなかった時点で、彼に打てる手などないのです。

「お間違いなきよう。神殿はあくまで衡平のために訪れているのです。いずれかを利するためではない。各々主張はあるでしょうが、最終的には、リシェール諸島を直轄地とすることも視野に入れています」
「な……!」

 ただし、直轄地の増設は、お金がかかるのでやりたくないのが本音です。
 神殿がここまで強硬に出てくるとは思っていなかったのでしょう。色をなす宰相に、私は冷然と微笑みました。

「何を優先すべきか、よくお考えになることです。足元も固められぬようでは、思わぬところで思わぬものを失うことになるでしょう。……猊下は寛大な方ですが、無為を無為のまま据え置くことをよしとなさるほど、お気の長い方ではありませんよ?」

 

 

 その後も脅しと利益の調整を行い、予定日を一日過ぎただけで、どうにか条約の締結に漕ぎ着けられました。
 最良ではないが上々です。
 くたびれて椅子に沈む私に、サキがこの地方のお茶を淹れてくれました。紅味の強い色と独特な香りは人を選びますが、私は割と好きな方です。
 
「見事なお手並みですわ、アヤリ様」
「いえ、どうでしょうね。少し負かせすぎたかもしれません」

 最高の外交とは、相手を勝った気にさせて操ることです。
 それを考えると、これは多少の遺恨を残すでしょう。

「釘をさすだけにしておくつもりだったんですが……やれやれです。消火はできましたけど……」
「やむを得ませんわ。相手は引き伸ばしをはかって、会議を骨抜きにしようとしていたのですもの」

 少し癖のあるお茶を含み、私はゆるやかに息を吐きます。このお茶には鎮静作用があるとかで、考え事をするときには向きませんが、今くらいは気を抜いてもいいでしょう。
 まあ気になる点はあるのですが、政治というのは長い期間で見なければ結論を出せない部分が大きいものです。その場での勝利は、そのまま将来の成功に直結するものではありません。
 条約に合意が取り付けられるかという状勢でしたから、リシェール諸島の三十年間の自治という結論はとりあえず及第点でしょう。期限を過ぎる頃には、おそらく資源も枯渇しています。
 こめかみをぐりぐりと押さえていると、サキが切り替えるように手を叩きました。
 
「さあアヤリ様、休暇ですわ! 折角ですもの、恋のひとつもなさってくださいな」
「……先日と言ってる事が違いませんか? 確か損失が何とか」
「恋と結婚は別ですわ」

 きっぱりと答えられ、私は苦笑いを返しました。
 さすが恋多き彼女のこと。発想は根っこのところで猊下と同じです。要は、私がどうなるのかを見てみたいのでしょう。

「何が楽しいんでしょうね……厄介なだけだと思うんですけど。他人事だからですか?」
「自分でする分にも楽しいものですわ。日々に張り合いが出ます」
「ああ、最近化粧が念入りなのってそのせいですか」
「うふふ。恋をすると女は綺麗になりますのよ」

 彼女は華やかに微笑みました。言葉どおり肌の調子もとってもよさそうで、ストレスを上手に発散しているのがよくわかります。
 しかしまた、間の悪いときに出張が入ったものです。彼女の恋のスパンは非常に短いので、おそらくニヶ月も神都を離れては、帰ってきて続きをとは行かないでしょう。
 少しばかり申し訳なく思いますが、まあ仕事です。割り切っていただくしかありません。

「アヤリ様は本当に、そちらにはまったく興味をお持ちでないのですもの。少しは殿方に目を向けてくださいな。好みなどおありではありませんの?」
「うーん……そうですね、賢い人がいいです。ああ、でも賢すぎても面倒くさいか……」

 立場上、ほいほい人と深い仲になるのはためらわれます。
 考え出すと色々と条件がくっついてくるので、考えているうちに、面倒くさいなあと放り投げてしまうのが常でした。
 今回もそうしてしまった私に、サキは頬に手を当てて、首を傾げます。

「考えるものではありませんわ。恋は落ちるものですもの」
「……落ちないように命綱をつけておきたいところです」
「まあ」

 サキは呆れたように目を丸くして、仕方のないこととでも言いたげに苦笑しました。